山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

「磐余(いわれ)の地」を散策

2014年01月04日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2013/12/1(日)、談山神社の紅葉を満喫した後、午後からは「磐余」を歩きます。かって「磐余(いわれ)の地」には、「磐余稚桜宮、磐余甕栗宮、磐余玉穂宮、磐余池辺双槻宮」など古代天皇の宮が築かれました。そもそも
初代神武天皇は「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」と呼ばれ、「磐余」の地名が入っている。またここは聖徳太子が青春時代を過ごした場所でもあります。飛鳥以前の古代ヤマト政権を解明するには、とても重要な地域。しかし残念ながら、明日香ほど解明が進まず不明な点が多い。新興住宅など開発がすすみ、ますます困難になっている。一度歩いてみたいと思っていた。


200m級の巨大前方後円墳のメスリ山古墳。天皇陵に匹敵するくらいの規模と出土品だが、被埋葬者が不明で宮内庁の管理下に入っていない。そのため、雑草を踏みしめ自由に中へ入り込めます。木棺を納めた竪穴式石室と国内最大の特殊大型円筒埴輪が発掘された頂上部は、現在その痕跡を示すものは何も残っていません。

メスリ山古墳から300mほど北に、聖徳太子ゆかりの「上之宮遺跡」がある。三方を新興住宅に囲まれ、窮屈そうです。ここで太子は、605年に斑鳩宮に遷るまで、12才~32才の約20年間の青春時代を過ごしたといわれる。確定はされていないが、もうこれ以上の発掘調査は不可能でしょう。

上之宮遺跡から北西300mほどに「艸墓古墳(くさはかこふん)(カラト古墳)」があります。民家にくっついた異様なお墓。古墳の概念から程遠く、”土まんじゅう”のようだ。これでも立派な国の指定史跡です。なお南東部に石室への口が開いており、石室内に入り石棺に触れることもできるそうです。私は見逃してしまって、後悔しています。テッペンには立ちましたが・・・


艸墓古墳からこれまた300m位西に安倍文殊院がある。写真は、赤色だが「白山堂」という縁結びの神社。その横には「合格門」が。”縁結び”も”合格”もご縁がなくなった年になったので素通りです。ここ安倍文殊院は
「文殊の智恵」と、占いの安倍晴明で有名な神社(お寺?)。世相を反映してか、最近は「ボケ防止」にも力を入れられている様子。境内にはボケの花を植えられ、また「ぼけ酒」をNET販売されている。大変お智慧の働く神社のようです。「ボケ防止門」でもできたら、くぐりに来ようかと・・・。

安倍文殊院から300mほど北西に、吉備池がある。この池の傍から1998年(平成10)、百済大寺の跡と思われる大規模な伽藍、塔の壇跡、金堂や塔の周囲を囲む回廊の跡などが見つかった。飛鳥・藤原京の時代、官営の4大寺(薬師寺、元興寺<飛鳥寺>、弘福寺<川原寺>)の筆頭にあたる大官大寺だったが、その存在が判らず「幻の大寺」とされてきた寺です。

最後に、敏達天皇の訳語田幸玉宮跡(おさだのさきたまのみや)を訪れました。現在は春日神社という小さなお社ですが、その狭い境内にそびえ立つ数本の老巨樹に圧倒されます。その巨樹を見ただけで、歴史の重みを感じさせてくれます。

詳しくはホームページで。

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