優しさ研究所

来た人が優しい気持ちになれるようなブログを目指します。
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善と偽善

2005年06月21日 | Weblog
今日いただいたtea0さんのコメントを見て、考えたことを書こうと思います。


本当の善人と偽善者って、見分けが難しいですよね。
偽善とは「本心からではない、うわべだけの善行」(@nifty辞書)ということになっていますが、特にネット上だと相手の表情が見えないために、相手の心の内を読むことが非常に困難です。
行動だけ見れば善行だと思われることも、偽善に見えることは多々あると思います。

本当の善人は自分のことを善人だとは口に出さないでしょうし、思ってもいないという場合が多いと思います。
あくまで外からの評価ですし、同じ行動をしても善と思われる場合もあれば、偽善と思われる場合もあるということですね。
なので、その行いをした本人にとっては、偽善だと思われてもいいということなんじゃないでしょうか。
その行いによって「どう思われるか」のみを意識して行動したら、それこそ偽善と呼ばれてしまいますよね


先の新潟地震のとき、「しない善より、する偽善」というキャッチコピーで復興支援運動が展開されましたが、自分はその言葉にとても共感した記憶があります。
自分がこのブログを作ったのは、決して自慢とかの悪意ではなく、考えているだけでは何も行動を起こしていないのと一緒だと思い、少しでも何か行動を起こさないといけないと感じたからです。

自分は偽善者だと思われても、それは悪人よりはずっといい評価なので、悪い気はしません。
結果として、うわべだろうが善行と思われることをしているわけですからね。

内心の問題は、その人次第といったところでしょうか・・・
たとえ内心でも、他人を裏切るような考えは抱きたくないものですけどね。

とにかく自分は、自分の思う善に従って生きるのみです(*´▽`*)

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5 コメント

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長くてすいません (tea0)
2005-06-25 16:15:32
ご指名なのでコメント書きます。



こちゅ様の主張は

人からどう思われようと、しない善よりする偽善のほうが遥かに良いので、

善行をしましょう(もしくはこちゅ様本人はしている)

ということですよね。

かつ偽善の定義は「本心からではない、うわべだけの善行」としましょう。



確かにおっしゃるとおりだと思います。

カイロを送ったり、募金したりって行為は偽善でも素晴しいと思います。

私のような心の歪んだ、無関心な人間より遥かに良い。



しかし、一般化させれば、偽善は所詮偽善。

本心でないうわべだけの行為なんて付け焼刃。

自分の身を守る事のほうが重要なわけですから、

その為なら手のひらを返し、裏切り、状況をさらに悪化させる「場合も」あるでしょう。



例えば友達から「人が信じられない」と相談を受けたとしましょう。

(信じられないのに相談するなんて矛盾していますが、私を含めた弱い人はそんなものです)

そのときちょっとした優しさや正義感で

「私を信じて」と言ったとします。

友人は何度も何度も信じられないと相談し、

その都度「私を信じて」と答えます。

しかし、仕事に忙殺され、つい

「仕事で忙しいんだよ!何度も同じ事言ってさ!」

と口走ってしまいました。

友人は「やはりこの人もか」と思うでしょう。



全てがこうではもちろんありません。

例えば募金をして、やっぱり返してなんて言っても受け付けてくれないでしょう。

ですから、2chの運動を否定する気はありません。

むしろどんどんやって欲しい。

ですが、優しさを研究なさっているこちゅ様なら

中途半端な優しさや偽善が返って問題になる場合があることを十分ご承知のはず。

もし偽善をするなら最後まで責任を持って欲しいと思います。



また、こちゅ様は本を書きたいと思っていらっしゃいますよね。

私は是非書き上げて欲しいと申し上げました。



もし仮に次のような事を考えていらっしゃるならそれは偽善ではないかと思います。

(そんなことは無いと信じたいですが)



ブログを書き、それが有名になり、出版社の目に留まったとします。

出版社から本を書かないかと依頼され、ノーリスクで本を書きました。

本は優しさについて書かれており、印税が入ってきます。



本は優しさの布教(適切な言葉じゃないかもしれませんが)に役立つかもしれませんが、

この場合はお金儲けの道具でもある訳です(私は金儲けが悪いとは思いませんが)。

どちらが主従にせよ、裏があることは間違いない。

裏があるということは、うわべがあるということで、

偽善と呼んでもそう見当違いではなさそうに思えます。



もし、本を自費で出版し、利益を度外視して売り借金を作ってしまいました。

それでも本を学校などに無償で寄付するというならそれは素晴しい。

その本が後々話題になり、印税がたんまり入ってきたとしても

私は非難しません、むしろ購入して是非読みたいと思います。



なんとなく本を書いて、その結果名声や金銭を得られたらいいななんて

こちゅ様は思っていないと信じたいです。

優しさを研究し、本を出版されるならそれ相応の覚悟は

お持ち頂けたらと思います。



以上長くなり申し訳ありません。

このように私は相当に性格の悪い人間ですので、

これからはこっそりこちゅ様のブログを読んでいきたい思います。
返信する
ありがとうございます♪ (こちゅ)
2005-06-26 05:15:10
長いコメントだと謝ることはありませんよ☆

むしろそこまでの手間をかけてくれたことに、感謝しています♪



うわべだけの善行である偽善をなぜするのかという問題になるのですが、それは別に相手を傷つけるためではありません。

tea0さんが例に出していらっしゃるパターンだと、「ちょっとした優しさや正義感」という、自分がその場を繕うことを目的にしています。

そうだとしたら、そのようなブチギレはせずに、最後まで辛抱強く相談に乗る、または打開策を練ることが「その場を繕う」という目的のためには必要になるわけですね。

伝えにくいのですが、「その場を繕う」のが目的だったら最後まで繕い通そうとするのが自然な流れであって、「その相談の中で途中で態度を翻してもいい」なんて最初から考えていたら、それはもう偽善にすらならないと思うんです。

逆ギレしたらぶち壊しになるのは、火を見るより明らかですからね・・・



本を書くにあたっては、どうしてもそういう風にお金儲けだと思う方がいるというのは、わかっています。

そこで、印税の部分は値引きに回してしまおうと前から考えていました。

少しでも値段が安ければ読んでくれる方も多少は増えてくれるでしょうし、自分がそういうのとは関係なしに本を書いたというのを証明できると思いますので。

名声については、1人でも多くの人に本を読んでもらいたいということで、多少は話題になってほしいとは思いますが、それは自分が話題になるのではなく、本が話題になってほしいということですね。



愛のあるコメントありがとうございます♪

あなたのことを性格悪いだなんて、全然思わないですよ~。

また気軽にカキコしてほしいです(*´▽`*)
返信する
今度も長いです。 (tea0)
2005-06-28 00:23:14
また失礼します。



>>tea0さんが例に出していらっしゃるパターンだと、「ちょっとした優しさや正義感」という、自分がその場を繕うことを目的にしています。



その場を繕う事が目的なので、深くその人を救いたいなんて思っていませんよね。

つまりこれはうわべだけの行為と呼べないでしょうか。

そして相談に乗り、励ますというのは善行と言えるでしょう。

私の認識ではこれは偽善に属するような気がします。



ただ主観の違いということもありますし、本筋とは明らかに外れているので

この点に関する議論はあまり意味をなさないのでやめます。



>>「その場を繕う」のが目的だったら最後まで繕い通そうとするのが自然な流れであって



その場、もしくは相談を受けた当初ならば自然の流れです。

でもこちゅ様の人生で、この当初の自然の流れをまっとう出来ない人はいませんでしたでしょうか?

少なくとも私は、このような人を何人も見てきました。

我田引水かもしれませんが、うつ病の治療は数年を要します。

そんな長い時間、同じような悩みを根気良く聞くが自信がございますか?

(こちゅ様はあるのでしょうけど)



病気でなくとも、他人へ相談をしたがる人は、大概にして同じような悩みを打ち明けてきます。

何度同じ事を言わせるんだ・・・と思う事が良くあります。

ですから、そう一般論からかけ離れたこととも思えません。



>>「その相談の中で途中で態度を翻してもいい」なんて最初から考えていたら



最初から考えている人はそういないでしょう。

もし考えている人がいるなら、その行為は偽善ではなく、悪行に属するような気がします。





私の主張は、



偽善は所詮偽善で、場合によっては状況を悪化させることもあるので、

偽善と思われても、善行ならばやったほうが良いというこちゅ様の考えに、私は賛同しかねます。

もしやるのだったら、しっかり考えて、最後まで責任を持ち続けて欲しい。



ということです。



お話しを伺う限りでは、こちゅ様は最後まで責任を持つのだと思います。

だからといって他の人も同じようにするとは限りません。

ブログという性質上他人へのメッセージ性があるわけで、

私なんかは「偽善でもどんどんいい事しようよ」というメッセージを

こちゅ様の文章を読んで感じました。

そんな軽はずみに善行ならなんでもやっていいのですか?という疑問があったので

コメント致しました。



さらに議論をなさりたいということであれば、これからはトラックバックでやりましょう。

今一コメントだと不便ですし・・・。



ちなみに、私は面倒くさがりの悪人の偽善者なのでご注意を。
返信する
難しいですね~(^^; (こちゅ)
2005-06-28 03:03:14
ん~・・・議論というか、おそらく自分の言いたかったことが正確に伝わっていないだけのような気がしてきましたヾ(;´▽`A``

自分は「偽善でもやろう」ということを伝えたかったわけじゃないんですけどね‥‥



自分が言いたかったのは要するに、善か偽善かというのはあくまで他者の判断でどっちにもなってしまうわけですから、自分が善だと思ったことは、周りが偽善だと思おうが貫いた方がいいんじゃないかっていうことです。



「偽善でもどんどんいいことしようよ」というよりは、「偽善だと思われてもいいから、どんどんいいことしようよ」といったところでしょうか。







たしかに、全員が全員、最後まで責任をまっとうできるような人間だとは思っていません。

自分でさえ、もしかすると途中で責任を放棄してしまうこともないとは言い切れないですよ。

だから、最後まで責任をまっとうしろ、という風には自分からは言えません。



ただ、最初の時点ではその人は自分のことを救おうと思って行動してくれたんだということは、忘れちゃいけないんじゃないかと思います(最初から救う気なんてないんだったらそれは悪行だというのは、tea0さんも同意してくれていますね)。

それを、最後までやりきれなかったからといって責めるのは、自分を救おうとしてくれた人に対して少し酷なんじゃないかなと思いました。



状況が悪化したからといってその人を責めるのは結果論で、自分はそれよりも過程をちゃんと見て評価したいなと思っています。

人間は弱い生き物ですから、みんながみんな結果を出せる人ばかりではないですよね・・・それが自分の提唱(これは大げさな言い方かもしれないですが)している優しさです。



たしかに、コメント欄だと、tea0さんがチェックするのが面倒ですよね・・・

もしまだ納得いかない点があるようでしたら、トラックバックしていただけるとありがたいです(^^;
返信する
もしかして・・・ (こちゅ)
2005-06-28 10:22:14
「しない善より、する偽善」という言葉を出したのがいけなかったのかもしれませんね。



この言葉は、募金する側とされる側がお互いが知りもしない関係だからこそ言えるのであって、お互いが知り合いだったら「しない善より、する偽善」であってしまっては困ります。

あくまで、「募金を募るための上手な謳い文句」ですから、普段の生活にまではもちこまない方がいいですね‥‥

誤解を招くような言い方しちゃって、すいません(^^;
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