卒論のための調べものをしていたら、興味深い記事を見つけました。
『「不快感を与えただけで犯罪に」--米国新ネット関連法の危うさ』
う~ん・・・ここまでやってしまうと、少しやりすぎなのではないかと思いました。
たしかにこの方法では、ネットの匿名性によるデメリットを克服することはできますが、同時にメリットを殺してしまうんですよね。
やはり匿名性が保たれているからこそ、良くも悪くも踏み込んだ発言ができるということはあると思います。
また、「不快」というのは人によって基準の異なるものであるため、この法律が市民に与えるプレッシャーは計り知れません。
このように法律が生活に近い部分まで入り込んでくると、当然自由度が減っていくので、かなり息苦しい世の中になってしまうのではないでしょうか。
しかしまぁ、きっとそのメリットを捨ててまでこの法律を作らなければいけないほどの状態だったんでしょうね‥‥(^^;
市民の意識がキチンとしていれば、こんな法律がなくても大丈夫だと思うので、日本ではこんな法律を作ろうという話が出ないことを祈るばかりです。
関連エントリー(同じ窓で表示されます):
・「相手の気持ちを考えることの“優しさ”」
・「インターネットと“優しさ”」
『「不快感を与えただけで犯罪に」--米国新ネット関連法の危うさ』
う~ん・・・ここまでやってしまうと、少しやりすぎなのではないかと思いました。
たしかにこの方法では、ネットの匿名性によるデメリットを克服することはできますが、同時にメリットを殺してしまうんですよね。
やはり匿名性が保たれているからこそ、良くも悪くも踏み込んだ発言ができるということはあると思います。
また、「不快」というのは人によって基準の異なるものであるため、この法律が市民に与えるプレッシャーは計り知れません。
このように法律が生活に近い部分まで入り込んでくると、当然自由度が減っていくので、かなり息苦しい世の中になってしまうのではないでしょうか。
しかしまぁ、きっとそのメリットを捨ててまでこの法律を作らなければいけないほどの状態だったんでしょうね‥‥(^^;
市民の意識がキチンとしていれば、こんな法律がなくても大丈夫だと思うので、日本ではこんな法律を作ろうという話が出ないことを祈るばかりです。
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・「相手の気持ちを考えることの“優しさ”」
・「インターネットと“優しさ”」