油屋種吉の独り言

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うぐいす塚伝  (5)

2021-12-18 00:12:53 | 小説
 修は、ほんのつかの間、頭をうつむき加減
にして、じぶんのこころの中をのぞきこんだ。
 (まさか、こんなところで、あの女の子に
逢えるなんてこと……。もしほんとだったら
奇遇も奇遇。話ができすぎている)
 真偽のほどは、五分と五分。
 修のこころは、揺れに揺れた。
 胸がたか鳴るのを感じ、修は、ふふふっと
自嘲気味に笑った。
 もうじゅうぶん年老いているのに、まるで
二十歳そこそこの男のような恋心を燃やして
いるじぶんにあきれた。
 (こんなことなら、夜中に遊び歩いて、バ
ーやキャバレーで酒に酔った勢いで、店の女
の子と愚にもつかない話をくどくどとせずに、
いっそ、宇都宮に来たばかりのころ、勤めて
いた店でめぐり合った、いくつかの恋愛のチャ
ンスのひとつにでも、じぶんの人生をかける
べきだった……、そうだ、そうしたほうが良
かったのだ)
 修は、心底、そう思った。
 「ひとりで何をぶつぶつしゃべってるのか
しら、この方って……。うちのワンちゃんが
嫌がっててね。だから、速くのぼってくださ
いって、わたしが口を酸っぱくして、なんど
も後ろから頼んでるのに……、ほんと、どう
かなさってるんじゃありませんこと?よくう
ちのが吠えて、噛みついていかないこと」
 低い、ちょっとどすの利いた声。
 修にはそう思えた。
 ゆうに十歳は、じぶんより年老いているよ
うに見える婦人が、修がはっとするくらいの
大きさでそう言いながら、ぐんぐん歩みを速
め、彼をひきはなしていく。
 木々の間を、ときおり、吹きすぎていく風
を冷たく感じるのだろう。
 彼女は着ぶくれていて、まるで、この県の
マスコット・キャラクターのようだった。
 修はあまりにびっくりしたのか、呆然とし
てしまい、その場に、しばらく立ち尽くした。
 彼女になにかひとつ言葉をかけようとして
も、口を大きくあけたまま。
 もくもくとのぼっていく、彼女のうしろ姿
を見送ることしかできなかった。
 年老いて、世故にたけた者だけが、放つこ
とができる言葉。それを、若者は、ぜったい
と言っていいほど、語りかけられない。
 それが、修のこころを、もう少しでずたず
たに引き裂いてしまうところだったが、ふた
つの原因で、そうはならなかった。
 ひとつは、桜の花が、修のからだにふりか
かり、いやな想いを、彼のこころに長くとど
め置かなかったこと。
 もうひとつは、たとえ幻聴といえども、若
草の山で、たまたま出逢った女学生の声を耳
にすることができたという嬉しさが、修を幸
せな気分にしたからだった。
 (白昼夢でもあるまいが……、ううん、こ
の世には、時として不可解なことが起きるも
んやな)
 修は、そう再確認せざるを得なかった。
 (一度は会えたんや。だから、もう二度と
逢えないなんてことはないはずや。生きてい
るかぎり、きっと再会できるんや)
 修のこころの奥で、淡い希望のともしびが
ぽうっと燃え上がった。
 
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1 コメント

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Unknown (sunnylake279)
2021-12-18 09:39:45
おはようございます。
犬の飼い主は年配の女性だったんですね。
若草山の女学生の声は、その女性とは別だったということが分かりました。
声だけ聞こえたのですね。
世の中の不思議なことって起こるものですよね。
続きが楽しみです。
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