十数人ばかりのとあるサロンの会員を乗せた中型バスは
高速道を乗り継ぎ、矢のような速さで、富士の裾野のとあ
る湖のほとりにある超高級ホテルへと向かった。
「いいですか、みなさん。この旅は観光目的ではありませ
ん。わかってますよね」
リーダー格の女性の掛け声に応え、
「はあい」
車内のあちこちから、答えがぱらぱらと返ってくる。
他の人たちの中には、こんにちの準備疲れなのか、こっ
くりこっくり首を縦に振ったり、肩を寄せ合いひそひそ話
を始めたり、ポテチを早速、口にほうりこみ、ぽりぽり噛
みながら走り去っていく窓外の景色に、何とかして目線を
合わせようとする。
「あれれれえ、なんとまあ声が小さい。わかっているんで
しょうか。ホテルに付き次第、社長直々、みなさま方ひとり
ひとりの決意のほどを訊ねられることになっておりますのよ。
それがおいやなら、この辺りで降りていただいてもけっこう
なんですが……」
とある健康のための器具や食品をあつかう会社の代理店の
研修旅行。
乗客たちは、その会社の会員として登録されていて、会社
の製品を自費で購入、その売り上げの何パーセントかがふと
ころに入る計算になっている。
売れなければ、もちろん仕入れた分がマイナスである。
であるからには、会員たちめいめい、必死の面持ちのはず
であるが、たまの遠出。
少しは、はめを外したいと思う。
うきうきした気持ちが入り込まないはずがなかった。
二時間強の旅がそろそろ終わる。
バスがホテルの玄関前のロータリーをめぐりだした。
扉が音立てて開いた。
わっとばかりに女たちが立ちあがった。
めったに身に付けないくらいの値打ち物の衣服に自らを着
飾った女たちが、バスの昇降口へと足音たかく歩いて行く。
降りるのは最後でいいと思い、じっとすわっていたMであ
った。
彼女らのからだから放たれる雑多な香水の匂いが、Mの鼻
の穴に入り込んでしまい、ゴホゴホッとせき込んだ。
あわてて、ペットボトルに入ったお茶をひと口、喉に流し
込んだが、容易にせきが止まらない。
「あんた、なにぼやぼやしてんの。早く腰を上げて。みんな
が心配するからね」
女たちの最後尾にいたMの妻が、声をひそめて言った。
「へへっ、あっそうか」
思わず大声になってしまい、連れの女たちのクスクス笑い
を誘った。
(へへ、いいんだ。おら、いくら笑われたって。札びらが天
からひらひらと舞う動画なんぞいくらみせられても、おらの
気持ちは絶対変わるもんか。おいそれとブルジョアジーの気
分になれと言ったって、今までが今までだ。おらはプロレタ
リアートだ。上流階級ぶったって、所詮、庶民は庶民)
「何なのよ。その顔って?」
「おらの顔?」
「そう、何が言いたいか。ちゃんと書いてあるわ。あんたわ
りと素直で正直だからね」
思わずMは、鼻と口をおおっていたマスクを取り去り、両手
で顔をぬぐった。
Mは庶民の出身、子ども時代を昭和三十年代に過ごした。戦
後十年が経たばかりで貧しいながらも、庶民はみんな、助け合
いの精神で暮らしていた。ぜいたくは敵だ。戦時中に流行った
言葉の残滓が、子どもたちの頭にもしぶとく息づいていた。
それから半世紀を経た今でも、おいそれとMはその残りかす
を拭い去れないでいる。
「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。だけんど、今は母ちゃん
の言うとおり。そうしなきゃ、おまんまの食いあげになってし
まうらしいから、しかたねえ」
Mは下車する際、よろめいてしまい、ステップを踏み外しそ
うになった。
「あっ、大丈夫ですか」
出迎えた二十歳くらいの女性従業員が、Mのからだをしっか
りと支えた。
美人ではない。しかし、そこはかとない品の良さが、彼女の
からだから放たれている。
「あっすみません。大丈夫です。いやはや、どうもどうもね」
今さっきまでの反抗心はどこへやら、Mは一張羅のスーツの
背筋をぴしっとのばすと、すたすた歩きだした。
高速道を乗り継ぎ、矢のような速さで、富士の裾野のとあ
る湖のほとりにある超高級ホテルへと向かった。
「いいですか、みなさん。この旅は観光目的ではありませ
ん。わかってますよね」
リーダー格の女性の掛け声に応え、
「はあい」
車内のあちこちから、答えがぱらぱらと返ってくる。
他の人たちの中には、こんにちの準備疲れなのか、こっ
くりこっくり首を縦に振ったり、肩を寄せ合いひそひそ話
を始めたり、ポテチを早速、口にほうりこみ、ぽりぽり噛
みながら走り去っていく窓外の景色に、何とかして目線を
合わせようとする。
「あれれれえ、なんとまあ声が小さい。わかっているんで
しょうか。ホテルに付き次第、社長直々、みなさま方ひとり
ひとりの決意のほどを訊ねられることになっておりますのよ。
それがおいやなら、この辺りで降りていただいてもけっこう
なんですが……」
とある健康のための器具や食品をあつかう会社の代理店の
研修旅行。
乗客たちは、その会社の会員として登録されていて、会社
の製品を自費で購入、その売り上げの何パーセントかがふと
ころに入る計算になっている。
売れなければ、もちろん仕入れた分がマイナスである。
であるからには、会員たちめいめい、必死の面持ちのはず
であるが、たまの遠出。
少しは、はめを外したいと思う。
うきうきした気持ちが入り込まないはずがなかった。
二時間強の旅がそろそろ終わる。
バスがホテルの玄関前のロータリーをめぐりだした。
扉が音立てて開いた。
わっとばかりに女たちが立ちあがった。
めったに身に付けないくらいの値打ち物の衣服に自らを着
飾った女たちが、バスの昇降口へと足音たかく歩いて行く。
降りるのは最後でいいと思い、じっとすわっていたMであ
った。
彼女らのからだから放たれる雑多な香水の匂いが、Mの鼻
の穴に入り込んでしまい、ゴホゴホッとせき込んだ。
あわてて、ペットボトルに入ったお茶をひと口、喉に流し
込んだが、容易にせきが止まらない。
「あんた、なにぼやぼやしてんの。早く腰を上げて。みんな
が心配するからね」
女たちの最後尾にいたMの妻が、声をひそめて言った。
「へへっ、あっそうか」
思わず大声になってしまい、連れの女たちのクスクス笑い
を誘った。
(へへ、いいんだ。おら、いくら笑われたって。札びらが天
からひらひらと舞う動画なんぞいくらみせられても、おらの
気持ちは絶対変わるもんか。おいそれとブルジョアジーの気
分になれと言ったって、今までが今までだ。おらはプロレタ
リアートだ。上流階級ぶったって、所詮、庶民は庶民)
「何なのよ。その顔って?」
「おらの顔?」
「そう、何が言いたいか。ちゃんと書いてあるわ。あんたわ
りと素直で正直だからね」
思わずMは、鼻と口をおおっていたマスクを取り去り、両手
で顔をぬぐった。
Mは庶民の出身、子ども時代を昭和三十年代に過ごした。戦
後十年が経たばかりで貧しいながらも、庶民はみんな、助け合
いの精神で暮らしていた。ぜいたくは敵だ。戦時中に流行った
言葉の残滓が、子どもたちの頭にもしぶとく息づいていた。
それから半世紀を経た今でも、おいそれとMはその残りかす
を拭い去れないでいる。
「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。だけんど、今は母ちゃん
の言うとおり。そうしなきゃ、おまんまの食いあげになってし
まうらしいから、しかたねえ」
Mは下車する際、よろめいてしまい、ステップを踏み外しそ
うになった。
「あっ、大丈夫ですか」
出迎えた二十歳くらいの女性従業員が、Mのからだをしっか
りと支えた。
美人ではない。しかし、そこはかとない品の良さが、彼女の
からだから放たれている。
「あっすみません。大丈夫です。いやはや、どうもどうもね」
今さっきまでの反抗心はどこへやら、Mは一張羅のスーツの
背筋をぴしっとのばすと、すたすた歩きだした。
研修旅行でも、バスに乗っているとついのんびりした気持ちになりますね。
着飾った女性たちの、賑やかで華やかな感じが目に浮かびました。
Mは私と同じくらいの年齢みたいで、贅沢しないという考え方は似ています。
乗客は、M以外すべて女性なのかなと思いました。