油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

九月二十九日(日)くもり

2024-09-29 09:06:07 | 日記
 六時に起きて、庭先の縁台にすわった。
 突然わたしが歩いてきたのに驚いたのだろう。
 小さな茶色のかえるがぴょんぴょんはねた。

 家の裏が水田。
 春から夏にかけ、おたまじゃくしがすいぶん
と泳いでいた。

 かれらが今では成長し大人になったのだ。
 かように田舎は生き物が豊富で、朝から晩ま
でにぎやかなものである。

 稲の穂がこうべを深く垂れ、稲刈りを催促し
ている。

 ちょっと危険な田んぼ。
 猪よけの電気柵がまわりをかこんでいる。
 それでもかまわず、モミ食べたさに、果敢に
イノシシがつっこんでいるらしい。
 あちこちで、電線が垂れ下がっている。

 空はいまだ曇っていて、そよとした風もなし。
 とても涼しい。
 ゆうべは音立てて雨が降っていた。
 ひと雨ごとに秋がしのびよってくる気配あり。

 きのうは壬生のおもちゃの街をたずねた。
 大きな園芸店で、塾ののぼりを物色したが、お
目当てのものは見つからず、がっかり。

 通路を歩いていると、小学一年生くらいの女
の子が室内用の運動具で遊んでいる。
 足ふみベルトが動いている。
 その速さが尋常ではない。
 子どものこと、間違えて、設定してしまった
のだろう。

 「あぶないよ」
 声をかけるひまもない。
 彼女が片足をのせたとたん、勢いよく転んだ。
 ガンッ。
 はねるように小さな体が飛んだ。
 ほっそりした顔面を、したたかうちつけた。

 彼女はびっくりして、鼻の下を、ほっそりした
両手でおさえた。
 わたしをみて、目を丸くしている。

 わたしはあたりを見まわした。
 しかし、親らしき方はおられない。
 運よく、店の女性スタッフさんが通りかかった。

 「口もとをぶつけたようです。みてあげてくだ
さいね」
 わたしがそう頼むと、はい、と応えられ、
 「どうしたの。顔をぶつけたの」
 優しく尋ねられた。
 うれしかったのだろう。
 彼女の顔がパッと明るくなった。

 にこりともせぬじいちゃんが、訊ねないで良かっ
たなと、思った次第である。

 長年子どもを観てきた。
 やはり、どこに行っても、子どもが目に付くので
ある。
 
 
 
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せっせと草刈り。  (4)

2024-09-20 22:10:25 | 随筆
 一日休んで、きょうは草刈り。
 そう思い、起きがけにグラス一杯の水を飲もうと
台所に行った。

 ここ二十数年来の習慣である。
 これから動くぞ。
 そう、おのれの体にいいふくめることが出来るら
しい。

 寝起きの、まして高齢者の身体である。
 せかせかと動くと、ちょっとした危険がともなう
からである。

 野良着にきがえ、
 「田んぼに行くよ」
 と声をかけた。
 しかし、連れ合いは、見あたらない。

 「気をつけて」
 ようやく返事が耳にとどいた。

 玄関から向かいのガレージに向かった。
 鎌と砥石、それから一般ごみの入った袋を一輪車に
のっける必要があった。

 両手でハンドルを持ち、一歩二歩と歩き出したが、い
かんせん、からだが重い。

 「ちょっと体の調子がわるい」
 「きょうは休むといいよ。その年までがんばったんだ
から。あとは無理しないこと」
 「ああ……」

 わたしはばたばたと野良着を脱ぎ捨て、身軽になった
身体を、すぐさま、一階の居間のソファに横たえた。
 なんといったらいいか。
 まるで風船のごとく、からだから力が抜けだしていく。
 そんな気分になったのである。

 人間のからだは先ずは五十年。
 よほどのことがないかぎり、そのあたりまでは生き延
びることができるらしい。

 わたしは七十五歳であるから、もう二十五年おまけに
生きている勘定だ。

 あとは運しだい。
 どこかに弱点があれようなら、そこからこわれていく。

 それでも、医療の進歩はめざましく、かなりの部分を
カバーしてもらえるから、ありがたいことだ。

 わたしが生まれ育った家族は、総勢五人。 
 両親と子ども三人。すべて男ばかりだった。

 わたしは長男として生まれ、ふたつ離れて次男が、そ
して六つ離れて、三男とつづいた。
 今生きているのは、わたしひとりだ。

 次男は東日本大震災の起きた年の五月に亡くなった。
 三男が身まかったのは三年前の八月。

 次男は膵臓に悪性の腫瘍ができ、三男は片足の付け根
リンパが腫れた。

 「おれ、がんやね」
 宇都宮にデーラーで新車の商談をしている際に次男が
電話をよこした。

 わたしは一瞬、どう応じていいかわからず、
 「とにかくいま、子どもの車を選んでいる最中だから」
 そう答えるのが精いっぱいだった。

 早速、仕事の都合のついた一番下の子どもを連れ、実
家に見舞いに向かった。

 膵臓の場合、気づいた時には、腫瘍がかなり大きくなっ
ていて、
 「もう、どうしようもありません」
 となることが多い。

 しかし次男の場合、黄疸が出たり、蕁麻疹がでた。
 そのせいで、手術可能だった。

 胃をすべて切除してしまい、その後は不自由な生活をし
いられた。

 「両脚ならな。兄貴よ、良性だったんだがな。右足の付け
根のリンパにできものができてるってよ」
 三男は自分のことなのに、まるで他人事のようにしゃべっ
たが、さすがにショックを隠せなかった。
 顔色が暗く、声がしだいに小さくなってかすれた。

 ふたりとも六十代で鬼籍に入った。ちなみにふたりして、
愛煙家だった。

 ふた親は気力で、九十代まで生きた。
 はてさて、生まれて以来、ともに暮らした家族はすべてこ
の世の人ではない。

 おらは弟たちの分まで生きるぞ。
 そう思っている。 
 
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せっせと草刈り。  (3)

2024-09-17 20:02:48 | 随筆
 九月十七日(火) くもりのち晴れ
 朝方はとても涼しかった。
 気温をみると、なんと摂氏23度。
 空は灰色の雲におおわれていて、お日さまが顔を
出す気配がまったくない。

 (こりゃあ、一日、楽勝楽勝)
 すこぶる元気づき、自然と相好がくずれる。

 しかし、しかしである。
 午前十時を過ぎるころには、二階の屋根が白々と
してきた。
 「あれれ、やっぱりだめでしょうか」
 おらは窓際に寄り、ひとりごちた。

 きのうは山の畑の小道の膝上二十センチくらいま
でにのびた草を、幅二メートルにわたってせっせと
刈った。

 二時間くらいついやして、きょうのからだはその
せいでけっこうくたびれている。

 「きょうはお休みにしてしまおう」
 と声に出し、ドサリとPCの前にすわった。

 ブログを、なんと、三つも四つも書かせていただ
いている。
 まことにありがたいことで、その日、その時の気
分に応じて、いずこのブログに書くか決める。
 まことにぜいたくなことだ。

 書き出して十三年目。
 このところ、歳のせいか、体調が思わしくない時
がある。

 (そろそろ潮時かな。なんだって引き際が肝心だよ
な)
 そう心得て、他人さまにお見せするものとそうでな
いものの区別をつけることを始めた。

 人のいのちはいつ尽きるのだろう。
 他人さまのものではない。おのれの身の上である。
 一寸先のことすら不明だ。
 心の臓がぴたりと止まる。
 それでこの世とおさらばとなる。

 この日も永らくネットの友として付き合っていただ
いている方のごきょうだいが、ふいにお亡くなりになっ
た。

 「姉であるわたしにあの子、まったく、そんな素振り
を見せなかったんです」
 彼女をIさんとしておこう。

 わたしなら、その弟さんの立場だったらどうしたであ
ろう。
 きっとジタバタするに違いなかった。

 二度も三度も振りまわして、ようやく視界がひらける。
 そうやって、おらがのびた草にてこずっているさいちゅ
う、ふと一メートル先で何かが飛んでいるのに気づいた。

 篠竹の群生の上を見やった。
 塩からトンボがふわりと、一本の細竹にとまる気配を
みせた。

 鎌をふるう右手をとめ、そのトンボの動きをみつめる。
 「Fじいちゃん?だよね。おら、できないながらもこれ
までがんばってきたよ。もう少しは楽してもいいよね」
 と語りかけた。

 植物にせよ動物にせよ。
 なんにでも、仏がそなわっている。こまかく言えば、
仏性。
 生き物は転生する。
 そう説く和尚もおられる。

 おらだって、今度この世に生まれてくる時は、めでた
く、ふたたび人間として現れるかどうか定かでない。

 そろっと立ち上がり、右手の人差し指をトンボの目玉
の先に向けた。
 指の先をまわすと、トンボは目玉をくるくる回した。

 警戒するのか、羽を伏せたり広げたり、そのうち飛び
あがった。

 おらのかぶりものが気に入ったのか。よほど立ち去り
がたかったのかわからない。

 トンボは中空を一度大回りしてきて、今度はおらのキャ
ップのてっぺんにとまった。

 (やっぱりじいちゃんだったんだ。もう少しいっしょに
いておくれね。亡くなって、実に三十四年になるね。こ
の間、いくども、あなたがあの世からもどり、農業を知
らないおらを𠮟ってもいいから導いて欲しかったよ)
 と祈った。

 突然風が吹きすぎ、おらのキャップが飛ばされるまで、
トンボは空高く舞い上がることはなかった。
 
 
  
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せっせと草刈り。  (2)

2024-09-14 20:10:11 | 小説
 九月十四日。曇りのち晴れ。
 きょうは草刈りはお休み。

 そんな気分でいるのが、わが愛しのからだはわかった
のだろう。

 張りつめていた筋肉が、ふいにだらけた。
 どっと疲れが出てしまい、エアコンのきいた座敷のソ
ウファで横になる始末。

 しばらくして、せがれが、
 「父さん、どなたかお見えになったよ」
 と、耳もとでささやくように言った。

 「ううん……」
 と言ったきり。
 わたしはすぐには起き上がれなかった。

 お客の用はせがれの応対で済んだらしく、それ以上しつ
こく起こしに来なかった。

 むにゃむにゃ寝言を放って、再び眠った。

 やけに首が痛むので、目が覚めた。

 頭をのせていたソウファの肘つき。
 それがあまりに高かったらしい。

 からだのねじがゆるんだら、あたまのねじまでしまりが
なくなった。

 ひとつふたつと用を思い出す。
 中には、はっとするような急用があって、唇をかむ。

 たいがいは、ゆっくりでいいこと。
 「小さなことにくよくよしない」
 誰かに勧められたことがある。

 忘れることの効用もある。
 なんでもかでも細かく憶えていないとと思うと息苦ぐる
しい。

 近ごろはしばしばあの世のことを思う。
 というよりも、先に逝った親しい人たちのことを考える
ことが多い。

 義理の妹が、ほぼ十三年前に逝った。
 まだ還暦前だった。

 男っぽいが、やさしいところもあった。
 彼女を思うと、涙腺がゆるむ。

 相手に向かってしゃべったり、相手もからだにふれたり
抱きしめたりすることはできぬ。

 身体は火葬されたのだ。

 そう心得ているからいいのだが、ひとりひとり故人の面
影は、頭にこびりついてはなれない。

 忘れずにいてあげる。
 だれだれさんと語りかける。

 「こうだったよね、ああだったよね」
 個人の霊が光り輝くという。

 風の時代らしい。

 「千の風にのって」
 そんな歌を唄って、男性の声楽家が立派な賞を受けたこ
とがあった。

 「そんなことないです。たましいはちゃんとお墓にあり
ます」

 お寺さんのお嬢さんがむきになっておっしゃっていた。
 
 草むしりは男より女の方のほうがむいているように思
える。

 ずいぶん長くしゃがんでおられる。
 びっくりするほどだ。
 お金のやりくりやら、旦那さんや子どもさんのことやら。
 いろいろと考えておられるのだろう。

 田んぼや畑の畔、それにちょっとした山林の下草。

 伸びに伸びた場合は、刈りはらい機で、わっとばかりに
除草してしまう。
 それが我が家のむかしからのやり方だった。

 ちょっとしたけががもとで、それがむりになった今、右
手に鎌を持ってやるしかない。

 ほんの五分も田んぼの畔で草刈りに精出しただけで、背
中がじりじりする。

 シャツ一枚に、秋物の厚手の長袖を身にまとっているの
にもかかわらずである。
 紫外線の強さが知れる。

 いろいろとものを考える機会をいただいた。
 そう思って感謝している。 
 
 

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せっせと草刈り。  (1)

2024-09-10 21:10:15 | 随筆
 九月十日。晴れ。
 この日は、草刈り。
 おおよそ二日か三日に一度と決めている。

 もちろん体調をおもんばかってのことだ。

 あと数年で喜寿。使いに使った身体だ。
 いつなんどきどんな変化がみられるやもしれぬ。

 母方の祖父が、脳卒中を発症したのは、彼が七
十歳になる寸前のこと。
 昭和でいうと四十三年だった。

 わたしはその日、たまたま、勉学のために下宿
していたY県T市から郷里に帰った。

 「なんやお前、誰もじいちゃんのこと、知らせへ
んのに。ほんま不思議なことがあるもんやな」

 知らせを聞いて、自分の生家にかけつけていたお
ふくろが彼女の姉とおしゃべりしている最中だった。
わたしを見るなり、目を丸くした。

 「これってな、きっとムシの知らせっていうもの
やで」

 いっしょにいたおふくろの姉が、自信満々にそう
言うと、
 「そうやなあ。じいちゃん、K夫のことが大好きやっ
たし、ずいぶん心配しとったからな」
 おふくろは納得したげにそう言った。

 「ええっ?じいちゃんが危篤。なんちゅうことや」
 一瞬、私は言葉につまった。

 ひとつためていた息を吐いてから、
 「ちょうどな、定期テストが終わったところやった
んや。アルバイトで稼いだお金があったし。なんや
知らんけど帰りとうなったんや」

 三代目に、子から孫へと、体質がつたわると聞く。

 そのため、この間ずっと、私はその切り目のいい
歳を意識して暮らして来た。

 七十歳になり、そして七十一歳になったところで、
ひと安心した。

 そんなこんなで、つねづね、からだの声に耳を傾
けようと思っている、

 わたしはわたしであって、そうでもない。
 こちらの思惑通りにいかない。

 人には定命があるらしい。
 神さまに
 「こっちへ来なさい」
 と言われたら、
 「はい、わかりました」
 と言うしかないと心得ている。

 先ずは草刈りの身支度。

 陽ざしが出てくれば、大量に汗をかくのが決まっ
ている。
 子どもの頃に観た「スーパーマン」よろしく、ベッ
ドから起き上がるとすぐに、それなりの下着や上着を
身に付ける。

 シャツは少し厚手のもの。
 アブに刺される恐れがあるからだ。
 下半身は冬物のももしきでおおう。
 こちらも、ダニや毒虫を防ぐためだ。

 マニュアルの軽トラックはあるが、ヘルニアのことが
ある。左の脚をあまり動かしたくない。

 田んぼまで歩いて十分くらい。
 時間はかかるが、一輪車に、水入りのペットボトルと
鎌ひとつ、それに砥石をのせた。
 さあ、出発である。

 もう数回試みている仕事だ。
 要領はだいたいつかめた。
 あとはケガをせぬよう、気をつけること。

 草刈り中、いろんなことを考える。
 田んぼは、「自己保全」。

 ほかの田んぼは、米がたわわに実っている。
 しかし、うちのはひえや水草、それに雑草ばかりだ。

 なんだか悲しくて、ときどき、涙が出そうになる。

 苗を植える機械がない。
 それに収穫の際のもろもろの機械や器具が、長い月日の
うちに、紛失してしまった。

 「頼むぞ」と言い残して逝った義父には申し訳ない。
 
 何よりも人手がない。
 せがれがいても農業をやらない
 常時、従事しているのは私ひとりだ。
 
 昔とは大違い。
 ひとつかふたつのコメ専業農家が大きな機械で、広い圃
場で稲作に励んでいる。

 この秋はたまたま米の値段が高い。
 だが、これはたまさかのこと。

 課題の多い、こんにちのコメ農家である。
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