油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ポケット一杯のラブ。  プロローグ

2024-02-29 23:34:12 | 小説
 公立中学校の二年生になるとほんのわずか
の間だが世の中に出て大人たちの職場で実際
に働いてみる機会がある。

 社会科見学より一歩ふみこんだもので、こ
の学習に対して異論はむろんあった。

 しかし、図書館や郵便局といった公共機関
が選ばれているうえ、思春期をむかえた子ど
もにとって意義あるものらしく、もう数十年
続いている。

 M子は学区内にある小さな郵便局で、この
体験学習に参加した。

 ある日のこと、誰に頼まれたわけでもない
のだが、大人がやっているのだから、自分に
もできそうだと、封筒やら手紙やらの郵便物
が一杯つまった大きな袋を、力まかせに持ち
上げようとした。

 そのとたん、腰の辺りがくきっと鳴った。

 M子にとっては初めて耳にする音で、少し
痛みをともなう。

彼女はその場にへなへなとしゃがみこんだ。

 「おい、誰かみてやれ。ちょっとむちゃな
ことやった子がいるぞ」

 (お父さんの声に似ているわ)
 M子はほっとした気持ちになった。
  

 
 
 
 

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受験の季節。

2024-02-22 21:09:18 | 随筆
 T県の高校受験。
 私学の場合、すでに昨年12月から始まる。

 著名なプロ野球投手を輩出したことのあるS高などは、
県立高の結果をも踏まえたうえで、第一第二そして第三
と生徒を募る。

 今年の県立高の入学試験は3月6日。
 結果発表は12日である。

 現時点では、ほとんどの受験生はひとつやふたつのす
べり止めとして、私学への切符を手にしている。

 今月中旬には県立高の特色選抜制度に基づく試験があ
り、各校の定員の何パーセントかの合格者が内定してい
る。しかし彼らの合格の喜びはごく控えめなものだ。

 選抜で志望校に合格するには、中学校の成績優
良はもちろんだが、推薦が必要。それにもれた受験生は、
あと12日間、一般入試での合格をめざし、主要五科目の
苦手分野克服に大わらわとなる。

 あと一点、いや、あと二点採れば、と、家庭や塾で補
習に力がこもる。
 「Yちゃん、なに、いつまでのんきにポテトチップな
んてつまんで、テレビを観てるの」
 「いいじゃん。ちゃんと計算してるし」

 M家の次男坊はいたってのんきな性格で、あとひと踏
ん張りと口酸っぱく言われても、鷹揚としたもの。
 「お母さん、いちいちそんなにY男に、うるさくいわ
ないでいいよ。ちゃんとわかってるよ。時計を観ながら
休んでるようだし」
 Y男の兄、高校二年生が助け舟を出す。

 「もうだめよ。じいちゃんが来る時間だし」
 台所で食後の食器洗いに精出していたY男の母が前掛
けで自分の両手をふきふき、茶の間に上がり込んでくる。
 すかさずY男は、上体を起こし、自身の個室に上がっ
て行った。

 しばらくして、Y男の祖父が到着。
 「こんばんは。もうそろそろ塾の始まる時刻だね。う
ちの受験生はどうしてる?出かける準備はできてるかな」
 「あっ、お父さん、寒いところ、今晩もお世話
かけます」

 祖父の住まいはすぐ近く、あっと言う間に彼の孫宅ま
で着いてしまう距離だ。
 Y男の塾通いの力強い助っ人である。

 塾への送迎を彼が一手に担っている。夕刻、Y男を塾
へ送りとどけたら、22時30分の終業まで。
 彼の長男のアパートに待機となる。

 Y男の母親のみならず、祖父まで。一丸となってY男
の志望校合格をめざす。
 
 大学受験と違い、T県の高校受験は厳しい。
 首都圏の子らは、すでに小学生の内から私立中学受験
に大忙しだ。

 しかし、T県の場合、一部の生徒をのぞき、ほとんど
が県立高合格をめざす。

 「十五の春を泣かせない」
 わたしも長年、学習塾の講師を務めてきたからその言
葉の重みがよくわかる。
 一発勝負のところがある。

 わたしは奈良市の一条高校を受験した。受験番号269。
 六十年経つのに、いまだに憶えている。

 折しも、この春先のお天気不順である。
 あったかくなるかと思いきや、一転、雪のちらつく空
模様がつづく。

 夜遅くまで、寒い中、塾の駐車場で、塾の建物から退
出してくるお孫さんを、首を長くしてお待ちの同年輩の
みなさん、あなたのご健康とご多幸を祈ってやみません。
 
 
 

 
 
 
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人、さまざまに。

2024-02-16 20:59:28 | 随筆
 この元日わたしのスマホ宛に、不意にメールがとどいた。

 発信者はいずれの方だろう。
 スズキとある。

 名字だけで、名前が書かれていない。

 スズキさん。
 その名字をお持ちの方は日本全国津々浦々までかぞえると、
一体どれくらいの方がおられるのだろう。

 この疑心暗鬼のご時世である。

 一瞬、わたしは詐欺を疑った。

 気味がわるくなり、すぐに返信を送らないでいた。
 すると、その方は二度三度と追伸メールを送ってくる。

 これは異例の事態。

 わたしのほうに何らかの落ち度があるやもしれない。

 こちらの旧姓をご存じだし、メールの中身はまことにざっ
くばらんなもの。
 昔からの知己でなければ、書けない話の内容であった。

 ボケが始まったかしらん?
 いやいや、待てよ。
 度忘れということがある。
 一度や二度くらいでは、そうそう悲観することはない。

 そう自分を奮い立たせ、じっくり調べてみようと思った。

 第一発信者に、こちらの携帯番号を教えたかどうか、定か
でない。
 ええい、それじゃと、古いアルバムを押し入れの中から取
り出してきた。

 スズキさん名の親しい同級生は、なんと高校時代に存在し
ていた。

 (すわっ、おれのド忘れか……)

 アルバムのページをめくりだすとすぐに、あるページに小
さなメモがはさまっているのに気づいた。

 スズキ何某。
 それに付随した記録がわたしの筆跡で記されていた。

 わたしはすぐに相手の固定電話のダイアルをまわした。

 「やっぱり連絡くれたんか。おまえのことだから、むげな
ことはせえへんと思って待ってたよ」
 「ほんと、すっかり忘れていて、ごめん」
 「いや、しょうない。おまえもやっぱりアレになってしまっ
たのかってな、ちょっっぴりさびしかったよ」

 どうやらスズキくんはわたしのド忘れをぼけのたぐいと解
釈してしまったらしい。

 わたしはそれ以上、ああだのこうだのと自己弁護するのは
よした。

 相手もこちらも晴れて、後期高齢者の仲間入り。
 おぎゃあと産声をあげて、七十五年。

 人生を振り返るとそれぞれに思うところがあるわけだ。

 折しもほかの筋からも、わたしが今現在どうしているかを
訊ねる連絡が入った。

 こちらは大学時代の同窓生からのハガキ。
 所属していたクラブのOB・OG会の勧誘だった。

 「半世紀ぶりにお会いできませんか」

 人生100年時代とは申せ、人さまざまだ。
 一寸先は闇が世の常である。

 わたしの拙作「若がえる」完了とほぼ同時に、同世代の仲
間から連絡が入るのも、何かのえにしである。

 「川の流れのように」
 美空さんの歌を、今、かみしめている。
 
 
 
 
 
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遺影。

2024-02-06 22:54:19 | 小説
 「おめもむこさまだよな。きにょうやきょうの人さまの
釜のめしってえことじゃねえだろが……」

 暗い中から声がした。
 低くて、しわがれている。
 しかし、Nにとってはやけに親しみが感じられた。

 (えっ、いま時分、だれ?)

 K家の新居。
 寝室全体に木の香りが漂う。

 隣の部屋との間にふすま四本建ての間仕切り。鴨居の上
は書院造りになっている。

 なぜかNの視線はその書院のすき間に、きゅっと固定さ
れたようになっていて、あちらこちらと両目を動かすこと
ができないでいる。

 ふいにNの息づかいが荒くなった。

 Nの意識そのものが彼のからだから抜け出し、天井の少し
下あたりを、それが浮遊している。

 (幽体離脱ってやつか……、くそっ)

 白い霧状のものが、その書院の隙間をとおりぬけてきて、
すうっと尾を引いた。

 畳の上まで下り、しばらくそこらをふわふわはいまわっ
ていたが、突然、するする龍の形になって宙に向かった。

 横たわっているNのベッドわきに、それがやってきて、
ふわふわ立ち上がった。

 人影になっている。

 それがNのからだ全体におおいかぶさってしまうと、苦
しいのか、Nの寝息がとぎれがちになった。

 夕刻には部屋の雨戸もガラス戸も、完全に閉じられてし
まっていたから、何者も入れないはずである。

 Nはいまだ熟睡してはいない。
 あまりに意識がはっきりしていて、つらくてたまらない。

 Nの頭の中に、ひとつの黒い点らしきものが現れ、たち
まち家の形になった。
 
 ここの昔ながらの家だとNは思う。

 そこは実際、玄関の硝子戸を開け歩み入ると、先ずは土
間がある。
 左手に六畳間。それは茶の間になっていてテレビが置か
れていた。

 Nの意識だけがふわりふわりと動いているらしい。
 六畳間には上がらず、ずんずん家の裏手に向かう。

 途中、すすけて黒くなった柱にぶつかりそうになりなが
ら、今はふんごみになっているが、昔は囲炉裏だったとこ
ろを横目に見た。

 狭い通路をとおっていく。
 通路の隅で、ふいにみゃああと何かが鳴いた。

 暗い中でも黒猫だとわかる。
 後足で立ち上がり、からだがしきりに動かした。
 
 (猫のまりちゃん……?)

 飼い主のSが座敷の奥からあらわれ、
 「こら、そんなところで子を産むんじゃねえ」

 言い方があまりに優しい。
 
 「鴨居を見たらよかんべ」
 再び、先ほどの声がNの耳にとどく。
 
 Nはあっと声をあげ、目を見ひらいた。

 視線の先、茶の間のかもいに、K家の二代前の先祖の遺影
が飾られていた。

 Nの妻の祖父母のものだった。

 翌朝、午前四時半。
 辺りは、まだうす暗い。

 「ちょっと旧宅に用がある」
 玄関先でNが彼の妻に声をかけた。

 「まだ眠いのに……、なによいったい、起こさないでよ」
 「ごめん、ごめん」

 しばらくしてNが何かを小わきに抱えてもどると、彼の妻
がお茶をいれて待っていた。
 
 「ずいぶん早いな。寝てればよかんべ」
 「いいのよ。なんだか胸さわぎがしてね。横になってらん
ない。あら、それなあに?」
 「見ればわかるよ。ほら、これ」
 「まあ、たいへん。引っ越しに忙しくて……、跡取りなの
にわるいことしたわ」

 Nは苦笑いを浮かべ、
 「やれやれ、これでいいんですよね」
 両手で大切そうに持った義理の祖父母の遺影にむかって、ま
じめな顔で語りかけた。

 「何がいいのかしら?」
 「別に。その答えは言わぬが花でね。考えてみれば、この方
もおれもふたりしてむこ様なんだよな」

 Nはしきりに頭をかいた。
 (了) 
 

 

 
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