Mは、玄関先のロビーへとおそるおそる歩みを
進める。
一瞬立ちどまり、天井を見あげた。
シャンデリア。
留め金を外すやいなや、またたく間にガシャンと
地響きをたて、床に落下してしまい、粉々に砕け散っ
てしまうガラス細工のともしびが、ロビー全体に淡
い光を投げかけていた。
(とてもとても、あのともしびの下には立つことは
できないな。長い月日のうちに留め金が錆びついて
いるやもしれない)
持ち前の気弱さを発揮し、Mはふとひとりごちる。
「ほら、あんた。いったいそこで何をしてるのよ。
あんまりわたしをてこずらせないでよ」
「ああ、いや、はいはいどうも」
妻の叱責に委縮しそうになる気持ちをなんとかして
励まし、このホテルでの一泊二日の研修を、Mなりに
堪えようとする。
自分の健気さを愛おしく感じる瞬間だ。
妻と息子が、自分たちの荷物を、ロビーの一隅に、寄
せ集め始めた。
「さあここで、あんたはいっとき、わたしらの荷物の
見張り番をしていてちょうだいな」
「おらだけ?」
「そうよ。何か文句あるの?」
「べつにい、あるわけないじゃん」
それからどれくらいの間、Mは、みっつ重ねたトラン
クの一番上を右手でおさえ、突っ立ったまま、あちこち
視線を走らせていただろう。
ロビーは全体として、落ち着きのある雰囲気をかもし
出していた。
十代や二十代なら、あまりの豪華さに目を奪われ、きっ
と浮き足立ってしまっていただろう。
しかし今や、Mは四捨五入すると、八十歳もの高齢。
酒が飲めないし、悪評を買うほどの遊びや賭け事には
まったこともない。
であるから、酸いも甘いもかみしめたという形容はM
にはふさわしくない。
しかしMは彼なりに、山あり谷ありと幾多の人生経験
を積んでいた。
やはり一番は、学生時代の「全共闘」運動の渦中にい
たことだろう。
若者にありがちな、ロマンチシズムの極致であった。
「自己否定の論理」が、いまMが置かれている場所に
ふさわしいとはとてもいえそうにない。
しかしながら、それらすべては過去のことである。
未来どうよう、何がどうだったとかなんて、本当の
ことはわからないのだ。
いま、生きている。
Mにとっては、それがすべてだった。
Mのまわりを立派な衣服を身に付けて行きかう人たち
や、豪華な置物や絵画を観ていても、Mはどこか上の空
だった。
「ほら、Mさんご一家は、こちらへどうぞ」
階上から聞き覚えのある女の人の声が聞こえて来て、M
は我に返った。
「あっ、ありがとうございます。すぐにそちらへ向かい
ます。B社長さん」
Mが彼の妻の手伝いをしてもう足掛け三年になる。
上役はふたりいて、社長は男性。還暦に満たない。もう
ひとり取締役は女性。まだ五十歳をいくつか越えたばかり
である。
ここに来てやっとMは、家内の属するサロンの中で、自
分の居場所を発見することができたような気がした。
サロンと言っても、Mはよく知らない。
健康器具などを使い、からだを丈夫にする。
その程度のことだ。
縁のあるなし。それは、恋、同様。
ひとめぼれが大事なことに変わりがなかった。
(何が何だかわからない、だから流れに身を任せよう。い
ろいろあってここまで生きて来た。あとはおまけだ)
Mはそう思った。
進める。
一瞬立ちどまり、天井を見あげた。
シャンデリア。
留め金を外すやいなや、またたく間にガシャンと
地響きをたて、床に落下してしまい、粉々に砕け散っ
てしまうガラス細工のともしびが、ロビー全体に淡
い光を投げかけていた。
(とてもとても、あのともしびの下には立つことは
できないな。長い月日のうちに留め金が錆びついて
いるやもしれない)
持ち前の気弱さを発揮し、Mはふとひとりごちる。
「ほら、あんた。いったいそこで何をしてるのよ。
あんまりわたしをてこずらせないでよ」
「ああ、いや、はいはいどうも」
妻の叱責に委縮しそうになる気持ちをなんとかして
励まし、このホテルでの一泊二日の研修を、Mなりに
堪えようとする。
自分の健気さを愛おしく感じる瞬間だ。
妻と息子が、自分たちの荷物を、ロビーの一隅に、寄
せ集め始めた。
「さあここで、あんたはいっとき、わたしらの荷物の
見張り番をしていてちょうだいな」
「おらだけ?」
「そうよ。何か文句あるの?」
「べつにい、あるわけないじゃん」
それからどれくらいの間、Mは、みっつ重ねたトラン
クの一番上を右手でおさえ、突っ立ったまま、あちこち
視線を走らせていただろう。
ロビーは全体として、落ち着きのある雰囲気をかもし
出していた。
十代や二十代なら、あまりの豪華さに目を奪われ、きっ
と浮き足立ってしまっていただろう。
しかし今や、Mは四捨五入すると、八十歳もの高齢。
酒が飲めないし、悪評を買うほどの遊びや賭け事には
まったこともない。
であるから、酸いも甘いもかみしめたという形容はM
にはふさわしくない。
しかしMは彼なりに、山あり谷ありと幾多の人生経験
を積んでいた。
やはり一番は、学生時代の「全共闘」運動の渦中にい
たことだろう。
若者にありがちな、ロマンチシズムの極致であった。
「自己否定の論理」が、いまMが置かれている場所に
ふさわしいとはとてもいえそうにない。
しかしながら、それらすべては過去のことである。
未来どうよう、何がどうだったとかなんて、本当の
ことはわからないのだ。
いま、生きている。
Mにとっては、それがすべてだった。
Mのまわりを立派な衣服を身に付けて行きかう人たち
や、豪華な置物や絵画を観ていても、Mはどこか上の空
だった。
「ほら、Mさんご一家は、こちらへどうぞ」
階上から聞き覚えのある女の人の声が聞こえて来て、M
は我に返った。
「あっ、ありがとうございます。すぐにそちらへ向かい
ます。B社長さん」
Mが彼の妻の手伝いをしてもう足掛け三年になる。
上役はふたりいて、社長は男性。還暦に満たない。もう
ひとり取締役は女性。まだ五十歳をいくつか越えたばかり
である。
ここに来てやっとMは、家内の属するサロンの中で、自
分の居場所を発見することができたような気がした。
サロンと言っても、Mはよく知らない。
健康器具などを使い、からだを丈夫にする。
その程度のことだ。
縁のあるなし。それは、恋、同様。
ひとめぼれが大事なことに変わりがなかった。
(何が何だかわからない、だから流れに身を任せよう。い
ろいろあってここまで生きて来た。あとはおまけだ)
Mはそう思った。
豪華のホテルのロビーが目に浮かびます。
シャンデリア大好きです。
Mより奥さんの方が強いのですね。
今まで生きてきたことが積み重なって、今の自分がいるということを自覚すると、感謝の気持ちが湧いてくるのだと思いました。