油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

十月七日(月)くもり

2024-10-07 08:28:33 | 日記
 このあたり、きのう、おとといと神社のお祭
りでした。
 秋の風物詩ですね。

 ああ、それとね。
 「十三夜」が、今月十五日です。

 まだまだ昔からの習わしが残っています。

 その日は小学生たちは、教室で授業を受けて
いても、わらでっぽうのイベントが気がかり。

 どれくらいのお小遣いになるかな。

 わくわくどきどきです。

 学校がひけ、家に帰ると、さっそく持つもの
を持って公民館前にあつまります。

 それまでに、お年寄りの先生に、作り方をお
そわりながら、必死に、わらを細工し、地面を
たたくものを作りました。

 次は、面倒をみて下さる、育成会の大人の方
の指示を待って、さあ出発となります。

 お行儀よくぞろぞろと、各家の玄関先までやっ
てきては、
「米よし、麦よし、大豆も小豆もよく当たれ」
 かん高い声で唄います。
 
 「ほら、やっとくれ」
 家の主人の言葉が合図です。

 その言葉を待てないで、スタートを間違って
フライングしてしまう子もいますよ。

 「さあ、お駄賃だよ。ごくろうさま」
 りんごのほっぺの顔が、ぱっと輝く瞬間です。
 
 そうそう、この間の「ひえ」の話ですがね。
 試しに食べてみることにしました。
 
 燃してしまうのは惜しいと思うからです。
 白米にまぜて、食べよう。
 そんな気持ちになりました。

 縄文時代から食べられているそうで、コメよ
り栄養価が高い。

 憎たらしい。
 コメじゃなくて哀しい。

 そんな気持ちが、どこかに引っ込んでしまい
ました。

 さて、これから野良にでかけます。

 久しぶりの晴天になればいいな。
 そう思います。

 みなさまも、お元気で。 
  
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十月三日(木)くもり

2024-10-03 16:43:54 | 日記
 こんにちは、ブロ友のみなさま。
 ご心配をおかけしていて申し訳ありません。
 私はいたって元気にしておりますので、ご安心くださいね。
 朝早く起きて、野良に出かけようって気持ちになるのです
もの……。
 「神さま、ありがとうございます」
 毎朝そう念じています。
 体調がわるければ、ベッドに一日、ふせっているしかあり
ませんよね。

 いま、野良仕事でいちばんの悩みの種は、うちの一番広い
田んぼ一面にひえがはびこっていることです。
 粟とか、ひえ。
 そのひえ(稗)のことです。
 わたしの若い頃の塾生に、稗田(ひえだ)という生徒さんが
いました。

 今は米が主食。
 つい先ごろ、お店の棚に、コメ袋がなくなってしまい、あ
やうく米騒動が起こりそうでしたね。
 どうして今、そんな事態にたちいたったのでしょう。

 昭和の三十年代には、けっこう、大麦や小麦の生産が盛ん
でした。
 小麦粉で作った母さんの手料理。
 それらを目の前にして、子どもが生唾をのみこんだ時代で
した。
 食糧事情がとてもわるかった。
 現在のように、お店に行けば、なんだって手に入る、とい
うようなわけにはいきませんでした。

 家庭でのドーナツ作り。
 先ずは大きめのボールに小麦粉を入れる。
 水を入れながら、適度にねばるよう、こねていきます。
 「さあ、これくらいでいい。みんな手伝うんやで」
 「うん、しゃあない」
 この作業は小学生にはむずかしい。
 男ばかり三人のきょうだいで、長男のわたしのメンツが
かかっていましたが、わたしは不器用この上ない。
 形よく仕上がらなかった。

 「こんなんを揚げたら見栄えがわるうて。せやから、お前
がこのドーナツを食べるんよ」
 わたしは仕方なく、暗い顔をして、うんうんうなずいた
ものでした。
 小麦粉のおやつとしては蒸しパン、それにお好み焼きの
下地になりました。
 その粉のまたの名をメリケン粉って呼んでたのは、なぜ
だかわかりますか。

 関東ならもんじゃ焼きが人気。
 生まれが関西でしたし、庶民はたこ焼きを好んで食べま
した。
 今でも目をつむると、着物姿のおふくろがもみを取った
小麦を粉にひいていただこうと、小一時間くらいかかるお
店まで歩いて行くところが脳裏に浮かんできます。
 おふくろは弟が乗った乳母車を押している。
 二番目に生まれた赤ん坊が、砂利道で乗り心地がわるい
のか、ときどきえーんえーんと泣く。
 
 「大麦、小麦もよくあたれ」
 十三夜。
 今の時代、関東の初秋の風物です。
 わらでっぽうを地面にたたきつけながら、小学生の子ど
もたちが、農家の各家庭の玄関先で唄います。
 
 はてさて余談はこれくらいで、ひえをどんなふうに料理
しましょうか。

 むかし昔は、とりわけ先の大戦中には、コメは兵隊さん
の弁当に使われました。
 ですから、庶民は、コメを口にすることが、容易ではな
かった。
 さつまいもの葉っぱは言うにおよばず、つるまでも料っ
て口にしたそうです。

 「貧乏人は麦を食べなさい」
 わたしの子ども時代だったでしょうか。
 そうおっしゃった総理大臣が昔、おられたように記憶し
ています。
 すると、ひえ(稗)は麦以下。
 まずしい者の食べ物でしょう。

 あっ、だめだめ。
 いまだに余談ばかり……。

 新米がどんどん店先にならぶのにもかかわらず、値段は
あまり変わらない。
 かえって、高くなっていますね。

 この際、麦を食べようかな。
 そう思っても、はるか昔ほど供給されていないのが実情。
 きっとコメより値段がはるに違いありません。

 さてさて、話を脱線はこれくらいで。
 かなり前に、わたしが鳥かごの中の餌箱に入れた記憶が
あります。

 鳥が食べられるのなら、人だって。
 そう思い、いまさっき、ネットで調べてみました。
 イネ科のようで、コメ同様、食料になるようです。
 炊飯器でたけるらしい。
 腸にやさしいとあります。

 よしっ、それじゃと思いましたが、田んぼの草刈り中。
 ひえはあくまで、雑草あつかいです。
 食べるためには、ある程度、乾かしたりしなくてはな
らない。
 大量だから、器械に任さざるをえない。

 うえしろを人さまに頼んで、やっていただいたから、生
えるものは水草くらい。
 そう思っていたから、なんとも、はがゆい。

 夏が来て、どんどん、生育していく。
 種をつけるまでは水稲に似ていたので、なんか憎らしい。

 鎌で刈り取っているとき、これが米ならなとため息をつ
いてしまいました。

 ぽろぽろとひえ粒が地面にこぼれ落ちていく。
 その有様を観るのがつらい。
 来年はもっとひえが生える恐れがあります。

 冬場に燃すしかないな。
 きょうはそう思ったことでした。

 とりとめのない話で失礼しました。
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九月二十九日(日)くもり

2024-09-29 09:06:07 | 日記
 六時に起きて、庭先の縁台にすわった。
 突然わたしが歩いてきたのに驚いたのだろう。
 小さな茶色のかえるがぴょんぴょんはねた。

 家の裏が水田。
 春から夏にかけ、おたまじゃくしがすいぶん
と泳いでいた。

 かれらが今では成長し大人になったのだ。
 かように田舎は生き物が豊富で、朝から晩ま
でにぎやかなものである。

 稲の穂がこうべを深く垂れ、稲刈りを催促し
ている。

 ちょっと危険な田んぼ。
 猪よけの電気柵がまわりをかこんでいる。
 それでもかまわず、モミ食べたさに、果敢に
イノシシがつっこんでいるらしい。
 あちこちで、電線が垂れ下がっている。

 空はいまだ曇っていて、そよとした風もなし。
 とても涼しい。
 ゆうべは音立てて雨が降っていた。
 ひと雨ごとに秋がしのびよってくる気配あり。

 きのうは壬生のおもちゃの街をたずねた。
 大きな園芸店で、塾ののぼりを物色したが、お
目当てのものは見つからず、がっかり。

 通路を歩いていると、小学一年生くらいの女
の子が室内用の運動具で遊んでいる。
 足ふみベルトが動いている。
 その速さが尋常ではない。
 子どものこと、間違えて、設定してしまった
のだろう。

 「あぶないよ」
 声をかけるひまもない。
 彼女が片足をのせたとたん、勢いよく転んだ。
 ガンッ。
 はねるように小さな体が飛んだ。
 ほっそりした顔面を、したたかうちつけた。

 彼女はびっくりして、鼻の下を、ほっそりした
両手でおさえた。
 わたしをみて、目を丸くしている。

 わたしはあたりを見まわした。
 しかし、親らしき方はおられない。
 運よく、店の女性スタッフさんが通りかかった。

 「口もとをぶつけたようです。みてあげてくだ
さいね」
 わたしがそう頼むと、はい、と応えられ、
 「どうしたの。顔をぶつけたの」
 優しく尋ねられた。
 うれしかったのだろう。
 彼女の顔がパッと明るくなった。

 にこりともせぬじいちゃんが、訊ねないで良かっ
たなと、思った次第である。

 長年子どもを観てきた。
 やはり、どこに行っても、子どもが目に付くので
ある。
 
 
 
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喉もと過ぎれば……。

2024-04-17 15:39:38 | 日記
 こんにちは。
 ブロ友のみなさま。
 いかがお過ごしでしょうか。

 わたしは、このところ、あまり元気が
 ありません。なぜかといえば、詐欺メ
 ールに、見事なまでにひっかかってし
 まったからです。

 どうやって、彼は、わたしのクレカの
 詳細を知るのでしょう。

 どうしたら、わたしのいのちの次に大
 切なものを抜き取ることができるので
 しょう。

 彼なりに必死に考えたのでしょう。

 敵は手ごわい。

 クレカについての知識を、充分に認識
 しています。

 異変は三月の半ばにありました。
 PCの画面に、明らかに、詐欺だとわか
 るくらいの画像が現れました。

 わたしは直ちに鹿沼ケーブルに電話。
 「この画像を削除するにはどうしたら
 いいでしょう」
 「では、こうしてください」

 この判断は正しかった。
 即座に、正確な処理のしかたを教えて
 いただき、事なきを得ました。

 問題はこのあとでした。
 発信元が不明のメールが相次いで放た
 れ、わたしのページにとどくようにな
 りました。
 
 実に、まぎらわしいメールでした。

 わたしの使用しているクレカ会社から
 とみられるようなメールが、頻繁にと
 どきだしたのです。

 四件から五件あったでしょう。
 バカなことに、そのうちの数件をクリッ
 クしてしまった。

 「ログインしろ、ログインしろ」
 の一点張り。

 IDやパスワードを、いくども、打ち込
 ませるようにしむけました。
 
 信頼できる方、あるいは友人が必要な
 のは、その際でした。

 わたしもあまりにぼんくらではありま
 せんでした。
 ただちに、フィナンシャル会社さまに
 連絡を入れました。

 「そんなメールは、当社では、いっさい
 よこしません」

 いっとき、損害を弁償する覚悟をしま
 したが、
 「保険がかけられていました」
 とのこと。

 おかげさまで自腹を切ることはなかっ
 たものの、今回わたしのせいで、他人さ
 まに多大なご迷惑をおかけした。

 「このメールどう?ひょっとして危な
 いメールじゃないかな」
 「うん、そうだな。おれもちょっと調
 べてみるから。そのメール、決して開か
 ないようにしていてっ」

 こんな具合に、何でも話せる、信頼
 のおける友を持つことです。

 いま思えば、この三月末あたりから
 発信元の不明なメールがわたし宛に送
 られてきていました。

 四月十七日。
 きょうもまた、それが届きましたよ。

 一度も二度も味をしめていますから、
 ちょっとやそっとじゃ、あきらめない
 のでしょう。

 もう二度と、不審なメールにクリッ
 クなんてするもんですか。

 すばらしいインターネット・セキュ
 リティを施していても、自らクリック
 してしまったら、もうアウト。

 ああそれとね。
 決して油断してはなりません。
 怪しげなサイトを開かないこと。

 敵はわたしたちそれぞれの心の隙間
 を狙い撃ちしてきます。

 十数年前、ブログを始めた頃、一度
 詐欺にやられました。

 せっかく書いた記事がすべて、他人
 のものになりました。
 糸が切れた凧のように、どこかに飛
 んで行きました。

 桜が咲いた。
 つつじが咲いた。
 暖かくなったと喜んでばかりはいら
 れません。

 ブロ友のみなさま。
 どうぞ、ご用心、ご用心。
 
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いかがお過ごしですか。

2024-01-25 18:35:03 | 日記
こんにちは、Aさん。
あなたは確か、能登のご出身でしたね。

今は金沢にお住いのようですが、ご出身は
珠洲市と、はるか昔にうかがったことがあ
ります。

学生時代に撮った写真を貼り付けたアルバ
ムをひもといてみました。

大地震に大津波。
テレビでそちらのひどいありさまを拝見し
ていると、どうぞご無事でいてくださるよ
うにと祈るばかりです。

ご実家は大丈夫だと信じていますが、実際
今はどんな状況でしょう。

ご家族や親せき、ご近所の方々の安否はい
かがでしょう。

青春時代のある時期、ご一緒に勉学に励ん
だだけのお付き合いでしたが、心配でたま
りません。

一昨年五月、共に所属していた文化クラブ
のOB会が富士の裾野で開かれましたね。

わたしは当時、コロナに感染したりしてい
たり、用があったりで、参加することがで
きませんでしたが、あなたは参加されたよ
うですね。

幹事のひとり、Tさんがご親切にも送って
くださった写真二枚。
それらを拝見し、今をさかのぼること数十
年前のあなたの面影をもとめました。

ありましたよ。

入学されたばかりの初々しいあなたを思い
起こすに充分でした。

正月一日。
午後四時ちょっと過ぎでした。
家族や親せきが寄り集まり、新年のお祝い
をしている最中の激震でした。

少しの間をおいて津波が押し寄せたと聞き
ます。
逃げる間もなかったでしょう。

あえなく壊れた建物のはりや天井の下敷き
になられた方々の無念を思うと、胸がはり
さけそうになります。

風光明媚な土地柄で住む人々が優しく思い
やりが深い。

どうしてそんな方々が犠牲になられたので
しょう。

発災から二十四日目。
支援の手がそちらにとどいていますか。

道路も鉄道も被害を受けたようで、復旧に
は時間がかかるようです。
しかし、陸路がだめなら、海路や空路があ
ります。

米軍の方々もヘリで必要物資の輸送を開始
されたと聞きます。

遠く台湾から、義援金をたずさえ、わざわ
ざ能登半島までお越しの人びとがおられる
とのこと。

誠にありがたく、目頭を熱くしております。

ただ今のあなたのご様子を知りたい。
どんな形でもいいですから、ご連絡いただ
ければさいわいに思います。

 
 
 
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