油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは言っても。  (3) 

2020-09-28 21:40:42 | 小説
 たとえ数日といえども、種吉くらいの歳に
なるといつもと異なる日々を生きるのは、ど
うにもしんどいらしい。
 この三連休の初日。
 種吉は早朝から、かなり浮足立った気分で
いた。
 家族ともども、西へ西へと、車で片道十数
時間かかる彼の実家まで行く必要に迫られた
からである。
 種吉は、ゆうべは遅くまで旅の準備に時間
をさいたせいで寝不足きわまりない。
 頭がぼんやりしている。
 家族は全員で五名。しかし主だった運転手
は、たったふたり。
 種吉自身と彼の三男である。
 ほかに長男、次男そして種吉のかみさんが
いるが、彼らは、高速道を運転した経験がほ
とんどないときている。
 ペーパードライバーだ。
 だから、いざというとき、彼らに、それじゃ
頼むとは言えない。
 運転はきびしい仕事である。
 乗員全員の生命がかかっているといっても
いいくらいだ。
 ひとつハンドルをきりそこねたらと思うと、
誰だって二の足を踏む。
 種吉は、二十代の時分、車の運転ではかな
り苦労した。
 だから、よわい七十を過ぎても、よし、やっ
てやるという気が起こる。
 彼は若い頃、免許を取ったばかりで、就職
したばかりの建具屋の営業。
 事務のほうが向いているんですと、会社の
人事部にかけあったが、手が足りているから
と受け入れてもらえなかった。
 朝から夕方まで、群馬辺りをあちこち車を
乗り回し、新旧の建具店で、ふすまやガラス
障子の注文をとるのに時間を費やさねばなら
なかった。
 今のように、ナビなどない時代。
 大まかな地図帳だけもち、細かな道に入る
と、他人にこうべを下げ下げ、たずねたりし
ながら、ようやく目的地にたどり着いた。
 不慣れな土地にくわえて、あわただしい仕
事。行く先々で会社から連絡が入っていたり
で、帰社するのが夜遅くになる日がめずらし
くなかった。
 ときどきはおまわりさんに交通切符を切ら
れてへこんだ。
 一時停止違反、当時の罰金四千円なり。
 種吉の一日の給料が飛んでしまった。
 彼は苦労したおかげか、どこへでも運転し
ていけるぞ、と思ったらしく、結婚式をあげ
る友人のために、早速、秩父の山奥にある小
鹿野まで四時間くらいかけて、ひとりで出か
けるほどだった。
 そんなことを思い出しながら、種吉はベッ
ドの上で天井を見上げ、ため息をついた。
 旅の身支度はすでに整えている。
 一階から呼び出しがあれば、すぐにとんで
行けた。
 「まあ、おれの子どもに、おれとおんなじ
ようにしろとはいえないからな。時代がちが
う時代がな。甘やかし過ぎた。養子だからと
言って、子どものもやしっぷりを、他人のせ
いにはできないぞ」
 天井を見ながら、つぶやくように言った。
 (それにしたってな、よれよれのじいさん
だしな。下手な運転で事故ると、年寄りの冷
や水ってえ言葉を知らねえのかって、いわれ
かねないしなあ) 
 種吉はよわい七十を越してから、なにをす
るにもいささかミスが多くなった。
 耕運機を使えば、脛のあたりを軽くぶつけ
て傷つけたり、蚊取り線香を腰に結わえよう
と、火をつけたところ、あわてて真っ赤に燃
えている部分を、指でふれたりする。
 「あんたあ、まさか、まだ寝てるんじゃな
いだろね。もうじき子どもが来るって、今さっ
き、わたしの携帯に連絡が入ったよお」
 かみさんのかな切り声が二階までひびいた。 
コメント (2)
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