油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

誰か、助けて。 (2)

2021-12-28 17:20:38 | 小説
  朝の光が、S子の顔にまともに当たると、
まぶしいのか、彼女は目をきつく閉じた。
 わきに横たわるNのからだを、かぼそい左
腕をのばし、いつくしむようなしぐさで抱き
かかえた。
 無意識のなせるわざだろう。
 「ううん、なんなの母さん。そんなおっか
ない顔して。おっかないから、やめてよ」
 S子はうわ言のようにつぶやく。
 駐在さんの奥さんが、S子の起床に気づき、
ダイニングから、そっと歩きだした。
 ゆうべ、S子と息子のエヌは、年配のおま
わりさんの駐在所で泊めてもらった。
 そのおまわりさんの妻の、気持ちのこもっ
た料理のかずかずが、冷え切ったふたりの体
もこころも温かくした。
 「起きたみたいよ、あなた。良かったわね
ほんと。こうして、ふたりの元気な姿を見る
ことができて」
 駐在さんの奥さんが、部屋の入口のふすま
を静かに閉めながら、彼女のあとをつけてき
た夫のほうを向き、ささやくように言う。
 「ああ、そうだな」
 彼の口ぶりはそっけないが、決して、大声
ではない。
 彼にしては、めずらしい。
 S子らの寝ている部屋のおだやかな気配を、
乱すまいとする心づもりだ。
 「なによ、ああそうだな、って。それだけ、
うれしくないの?」
 「ええ?いや、まあ、なんだ、そのう」
 しゃべり負けするのは、決まっている。
 彼は、すごすごと、ダイニングルームに向
けて逃げ出した。
 彼の妻が追いかけ、彼の背中に、言葉のつ
ぶてを投げかける。
 「はっきりしないんだ、あなたは、いつだっ
てそう。もう少し、喜怒哀楽を、表情に出し
たてもいいんじゃないの」
 彼女も言葉づかいがやんわりである。
 「ああ、だがなおれは、警察官だ」
 「へえ、ああって、それだけ?警官ってね、
うちでも警官なんですか」
 「うん、そうだと思うだけど、ちょっとお
かしいかな」
 「そう思うんだったら、ちょっとは心を入
れかえて」
 彼の妻がたたみかける。
 彼は両の耳を、手でふさいだ。
 彼は床にうずくまり、
 「そんなこと言ったってな、おまえ、あの
親子はな、ゆうべ、まったく大変だったんだ
ぞ。生活が苦しくって、苦しくってな。その
あげくに、あの始末だ。車の後部にいったい
どんなものが積み込んであったと思うんだ、え
え、おまえ……」
 彼の胸に住むイライラ虫が、もぞもぞと動
きだすのがわかる。
 しかし、ここでその感情を、爆発させるわ
けにはいかない。
 彼は、歯をぐっと食いしばって、こらえた。
 ふたりが話しだすと、いつだって、言い合
いになる。
 ふたりの声がS子の耳に届いたらしい。
 S子が、寝床から身を起こした。
 乱れた襟元を気になるのか、ダイニングに
向かって歩きながら、いそいで身じたくを整
えた。
 ダイニングルームの広間に通じる廊下の端
に、数珠のれんが天井からぶらさがっている。
 彼女は、右手でそっと、それを払いのける
ようにした。
 とたんに、駐在さん夫婦は、たがいに顔を
見合わせた。
 「すみません。夕べからやっかいになりま
して。なんとお礼を言ったらいいか……」
 S子は、最後まで、すらすらと話すことが
できない。
 途中で、彼女のまるい瞳から、ぽろぽろと
涙がこぼれはじめた。

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枯れ葉舞う小道を歩く。

2021-12-20 22:23:03 | 日記
 過日、宇都宮を訪れた。
 日曜とあって、人出のおおい東武宇都宮デ
パートの中を、人にぶつからないよう、注意
しながら歩く。
 正面のドアを抜けると、ひんやりした空気
が、わが身をつつみこんできた。
 目の前を若いカップルが、オリオン通りに
向かって、ゆっくりと歩いて行く。
 女性のほうに、わたしは、なんとなく、目
を奪われた。
 肩から足もとまで、ゆったりとした衣服を
着ている。
 あっ、そうかと、わたしは、心の中で言い、
すぐに視線をそらした。
 彼らのわきを、いくつかのボックスを、台
車に積んだデパートの店員さんらしき女性が
ガタゴト音たて、ついて行く。
 みっつある箱のひとつ。
 よく見ると、幼児用の車のシートの絵が描
かれている。
 (お兄ちゃんか、お姉ちゃんのものなんだ
ろうな。家族そろってドライブに行くときの
ために購入されたんだろう)
 わたしは、その若い家族の行く末をおもい、
どうぞおしあわせに、と祈った。
 オリオン通りを東に向かって歩こうとして、
辺りが急に暗くなったような錯覚に陥った。
 男性が五人ばかり、道の真ん中あたりでた
たずんでいる。
 そのうちのひとりは、大声で、何かを叫ん
でいる。
 しかし、まわりの喧騒が、たちまちのうち
に、彼の声をかき消してしまう。
 ほかの四人はそれぞれ、通行人に、一枚の
紙を、差し出したりひっこめたりしている。
 黙したまま、彼らはその行為をくり返した。
 ひとりだけ、首から画板を下げている。 
 ほとんどの人は、その紙を、受け取ること
はなく、彼らを避けるようにして、足早に歩
き去っていく。
 興味津々。
 わたしは、差し出された紙を受け取り、書
かれた字面に目をとおした。
 憲法、、守る、戦争、平和といった言葉が
おどっている。
 わたしに、その紙を渡した人は、画板を下
げた人のほうを向き、あちらへどうぞ、と眼
で合図した。
 わたしは若いころ、そんな光景を、いくど
も見たことがあった。
 ああ、今でも、こんな運動を、がんばって
いる人たちもいるんだ。
 そんな感慨にひたった。
 不馴れな若い人たちには、さぞかし、異様
な行動に映ったろう。
 イベント広場から、若い男女の歌声がひび
いてくる。
 コロナ禍も、かなり内輪になっている。
 見物客も浮かれて、からだを動かす。
 人々が楽しいときを過ごしているのを見て、
わたしもいい気分になった。
 通りいっぱいに、大小のテーブルが、ひし
めく。
 いろんな商品が、それらの上に、ひろげら
れていた。
 わたしは、衝突をさけようと、用心しなが
ら歩いた。
 ビルの間から高くて大きい、まっ赤なタワ
ーが姿をあらわした。
 ごくごく小さい東京タワーだ、と思った。
 八幡山公園が近い。
 わたしはタワー見物がしたくて、釜川沿い
を馬場通りに向かった。
 わたしの頭の中で、かの西端修が動きだし
たのは、その時だった。
 
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うぐいす塚伝  (5)

2021-12-18 00:12:53 | 小説
 修は、ほんのつかの間、頭をうつむき加減
にして、じぶんのこころの中をのぞきこんだ。
 (まさか、こんなところで、あの女の子に
逢えるなんてこと……。もしほんとだったら
奇遇も奇遇。話ができすぎている)
 真偽のほどは、五分と五分。
 修のこころは、揺れに揺れた。
 胸がたか鳴るのを感じ、修は、ふふふっと
自嘲気味に笑った。
 もうじゅうぶん年老いているのに、まるで
二十歳そこそこの男のような恋心を燃やして
いるじぶんにあきれた。
 (こんなことなら、夜中に遊び歩いて、バ
ーやキャバレーで酒に酔った勢いで、店の女
の子と愚にもつかない話をくどくどとせずに、
いっそ、宇都宮に来たばかりのころ、勤めて
いた店でめぐり合った、いくつかの恋愛のチャ
ンスのひとつにでも、じぶんの人生をかける
べきだった……、そうだ、そうしたほうが良
かったのだ)
 修は、心底、そう思った。
 「ひとりで何をぶつぶつしゃべってるのか
しら、この方って……。うちのワンちゃんが
嫌がっててね。だから、速くのぼってくださ
いって、わたしが口を酸っぱくして、なんど
も後ろから頼んでるのに……、ほんと、どう
かなさってるんじゃありませんこと?よくう
ちのが吠えて、噛みついていかないこと」
 低い、ちょっとどすの利いた声。
 修にはそう思えた。
 ゆうに十歳は、じぶんより年老いているよ
うに見える婦人が、修がはっとするくらいの
大きさでそう言いながら、ぐんぐん歩みを速
め、彼をひきはなしていく。
 木々の間を、ときおり、吹きすぎていく風
を冷たく感じるのだろう。
 彼女は着ぶくれていて、まるで、この県の
マスコット・キャラクターのようだった。
 修はあまりにびっくりしたのか、呆然とし
てしまい、その場に、しばらく立ち尽くした。
 彼女になにかひとつ言葉をかけようとして
も、口を大きくあけたまま。
 もくもくとのぼっていく、彼女のうしろ姿
を見送ることしかできなかった。
 年老いて、世故にたけた者だけが、放つこ
とができる言葉。それを、若者は、ぜったい
と言っていいほど、語りかけられない。
 それが、修のこころを、もう少しでずたず
たに引き裂いてしまうところだったが、ふた
つの原因で、そうはならなかった。
 ひとつは、桜の花が、修のからだにふりか
かり、いやな想いを、彼のこころに長くとど
め置かなかったこと。
 もうひとつは、たとえ幻聴といえども、若
草の山で、たまたま出逢った女学生の声を耳
にすることができたという嬉しさが、修を幸
せな気分にしたからだった。
 (白昼夢でもあるまいが……、ううん、こ
の世には、時として不可解なことが起きるも
んやな)
 修は、そう再確認せざるを得なかった。
 (一度は会えたんや。だから、もう二度と
逢えないなんてことはないはずや。生きてい
るかぎり、きっと再会できるんや)
 修のこころの奥で、淡い希望のともしびが
ぽうっと燃え上がった。
 
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うぐいす塚伝  (4)

2021-12-11 11:47:10 | 小説
 いささかあえぎ加減で、八幡山の急な坂道
をのぼる。
 ふっふっふっ。
 なんの音だろうと、修が注意深く耳を傾け
ていると、間もなく、その正体が明らかになっ
た。
 小犬である。全身をおおう、豊かな茶系の
毛は、よく整えられ、床屋さんに行ってきた
ばかりなの、といわんばかりのいでたち。
 首輪に付けられたリードを、勢いよく引っ
ぱり、修のとなりを、短い脚を全力で動かし
ながら、かけあがって行く。
 このワンちゃんのご主人は、いったい、い
かなる人間であろうと、期待に胸をわくわく
させながら、修はゆっくり、足をあげた。
 しかし、いつまでたっても、飼い主の姿が
現れない。
 リードがピンと張られたままになっている
のに気づき、修は不審の念をいだいた。
 後ろをふり向きたいが、なんだか、相手に
対して失礼なように思える。
 うっ、うんとせき払いひとつ残して、修は
先を急いだ。
 とにかく時間がないのだ。
 左手にはめた腕時計によると、休憩時間は
およそ三十分足らず。
 途中で買ったおかか入りのおにぎりを、ひ
と口、またひと口と、周囲を気にかけながら、
ほおばりだした。
 異郷に来てからの苦労がきいたのか、修の
歯は、二十本を下まわる。
 喉がつかえそうになり、いそいで、ずぼん
の後ろポケットにつっこんであるペットボト
ルに手をのばした。
 ワン、とふいに吠えられ、修はびっくりし
てしまい、おにぎりが喉にひっかかった。
 恥も外聞もない。
 顔をあおむけにし、ペットボトルのコーラ
を音立てて、喉に流しこむ。
 右手のこぶしで、胸をいくどもたたいた。
 ふうと息を吐いて、修は、その場にしゃが
みこんだ。
 (若いころは、こんなざまになったことは
一度もなかったな。第一、これくらいの坂を
のぼるのは一足飛び。ところが今では、この
ていたらくだ)
 突然、ふふふっと、誰かの笑い声を耳にし
て、修はびっくりしてしまった。
 顔が紅潮する。
 きびすを返すわけにはいかない。
 そのまま、ゆっくり、階段を踏みしめはじ
めた。
 「あのう、失礼ですが……、あなたのうし
ろ姿、なんとなく見憶えがあるので……。ひょ
っとして、でもそんな偶然なんて、この世に
あるはずありませんものね」
 坂道の両脇に、等間隔に、桜木が植えられ
ている。風が吹きすぎるたび、修の顔にハー
ト形のピンクの花びらが散りかかる。
 おぼろげながら、女の声が、先だって旅し
た故郷の風景を思い起こさせた。 

 
 
 
 
 
 
 
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うぐいす塚伝  (3)

2021-12-04 18:42:28 | 小説
 修にとっては、常のことだが、故郷から帰っ
て来ると、しばらくはぼんやりした日々がつ
づく。
 妻帯していれば、なんだかんだと、けっこ
う日々の暮らしに追われるのだが、残念なが
らといっていいのか、幸いなことといってい
いのか、修は宇都宮に来て以来、ずっと独り
身。自由気ままに暮らしている。
 「西端さん、また、ですか」
 本社ビル、総務部の窓際に歩みより、八幡
さんのタワー方向をぼんやり眺めるのを、大
塚部長がとがめた。
 「はい、はい、すみません」
 「はい、は、一度でいいですから。あなた
ね、ふるさとでいい想いをしてこられたので
すから、帰社したら、ばりばり仕事に励んで
いただかないと……」
 「はい」
 「いつまでも、いい旅いい気分でいられて
は困ります」
 「承知しております」
 そそくさと、修はじぶんの席にもどり、目
の前のパソコンのキーボードをたたきだした。
「やんわり叩いてくださいね。壊れちゃうわ
よ、それじゃ。これでもねあたし、あなたの
ことを思いやって、こうして、毎年、仕事が
忙しいにもかかわらずですね……」
 大塚部長の小言は、いつもねちねち。
 「わかってますよ。ありがとうございます。
さあ、がんばるぞ」
 修は、部署全体に、響きわたるくらいの大
きさでこたえた。
 若い社員が、驚いた表情で、顔をあげ、修
を見た。
 「ああ、そうだわ。思いだした。きょうの
お昼、ちょっと、わたしと食事してくださら
ない?明日のビジネスのことで、内密でお話
がありますから」
 彼女はうすピンク色の眼鏡を、右手の人さ
し指でちょっとずらし、とがったあごを少し
しゃくった。
 「ええっ、部長?お言葉ですが、そういう
ことでしたら、会社でお願いします。きょう
は応接室が空いてますんで、そこでいくらで
もお話を聞かせていただけます。なあ、山本
くん、空いてるよな」
 「はい。そう思います」
 山本は、生徒のように、椅子から立ち上が
って答えた。
 大塚部長は、筆で描いた眉を吊りあげると、
左手に持っていたボールペンの先で、突然机
の上をたたいた。
 「よけいな口出ししないで。ひら社員に用
はないわ」
 かん高い声で、山本を、威圧する。
 山本は赤面した。
 「わかりました」
 そう言うなり、彼は、じぶんの仕事場を離
れた。さっさと歩き、総務課のドアノブをま
わすと、廊下に出た。
 昼休みを知らせるチャイムが響きわたると、
総務課の社員は、三々五々、食事をとる用意
をはじめた。
 修はエレベーターを使わず、非常階段をゆっ
くりと降りた。
 ビルの玄関を出ると、八幡タワーをめざす。
 和食でも洋食でも、ことによったら、コン
ビニで買ってもいい。
 とるべき食事の内容は、どうでも良かった。
 途中で、山本に会った。
 若い女性社員三人に囲まれ、談笑している。
 ふるだぬきとか、いかずごけとか、パート
上がりのくせに、とか。
 聞くに堪えない言葉が飛び出す。
 大塚部長はアラフォー。独り身である。
 契約社員で入社したが、仕事っぷりがずば
ぬけていた。
 初代の女社長に、それを認められた。
 異例の抜擢であった。
 「課長もどうですか、ごいっしょに?」
 修のほうに向いて、山本がほほ笑みながら、
言った。
 「いや、やめておこう。若いものは若いも
の同士がいいさ。さっきはどうも……」
 修は、山本に向かって、かるく会釈をした。
 休み時間は、五十分。公園は春らんまんら
しい。
 往復の時間を考えた修は、いそがんと午後
の仕事に間に合わへんな、と思った。
 
 

 
 
  
 
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