高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城で城主は武田氏一族が務めた。
別名兜山城ともいわれる。
1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時落城するが、
この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は
元婚約者同士であり、落城にまつわる悲劇として知られている。
また、正徳4年1月12日(1714年2月26日)絵島生島事件で、絵島がこちらの高遠藩内藤清枚にお預けとなった。
江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の絵島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが
引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。絵島生島事件、絵島事件ともいう。
歌舞伎や映画でもしばしば取り上げられている。
高遠城址公園は桜祭りしか来ていない。何回位訪れたであろうか。
葉山時代に5~6回位、そして長野県に移住してから3回位だろうか?
桜は日本三大桜祭りの一つと地元では言われているが定かではない。
城址公園内に約3000本の桜が咲き誇った様は形容がつかない位美しい。
ここは松本城のように外堀の周りを桜で囲むのではなく、城址公園の中全部に桜が咲いている。
だから息を呑むほど美しい。
4月15日に投稿したがは戦国ロマンが息づく「高遠城址公園の今」として、新緑の季節の光と緑も是非ご紹介したいと思う。
写真「高遠城址公園入口看板」
写真「南ゲート料金所」
写真「城址公園よりアルプスの山々を望む」
写真「高遠閣由来看板」
写真「木洩れ日の新緑」
写真「二の丸跡地看板」
写真「二の丸跡地」
写真「二の丸跡地全景」
写真「問屋門掲示板」
写真「問屋門・桜雲橋より望む」
写真「問屋門・南車輪側」
写真「桜雲橋より内堀を望む」
写真「桜雲橋より内堀を望む②」
写真「内堀の新緑絶景」
写真「白兎橋付近」
写真「東屋付近全景」
※明日はいよいよ「本丸跡」を中心に戦国ロマンが息づく「高遠城址公園の今」2回目をお送りします。
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