イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

121.ベテスダの池

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ベテスダの池】
 4~5m上から見ています。


 ステパノの門を通り抜けて右に曲がると、ベテスダの池があります。聖書に記されている通り、5つの柱廊と2つの水槽を持つ建物の発掘現場に案内していただきました。立っている所より4~5mぐらい下になるでしょうか。柱の数まで聖書通りでした。倉田さんが言います。

「少し、ヨハネを読んでみましょう。
*・・・ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには5つの廊があった。その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えたものなどが、大ぜいからだを横たえていた。
 彼らは水の動くのを待っていたのである。それは時々、主のみ使いがこの池に降りてきて、水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。
さて、そこに38年の間、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に
『なおりたいのか』
と言われた。この病人はイエスに答えた。
『主よ、水が動く時に、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです』
 イエスは彼に言われた。
『起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい』
すると、この人はすぐに癒され、床を取り上げて歩いて行った。(ヨハネ5:2~9)
 みなさん、ここがそのベテスダの池です」

 私の霊体は、すでに池に飛び込んでいました。病が癒されるなら、せめて痛みが消えるなら、車椅子だろうと何だろうと、恥も外聞も捨て去って、新しく生きる覚悟は出来ていました。

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120.ステパノ門

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ライオン門とも言われるステパノ門】ミルトス社「聖書の世界」より。
 残念ながら、彫られているライオンがはっきり見えません。


 ゲッセマネの園の次に向かったのは、ステパノ門でした。ここは使徒行伝7章に関係あります。
「みなさん、聖書に出てくるステパノという人をご存知ですよね。彼は石で打たれて殉教したと記されていますが、その話の舞台がここだと言われています。(使徒7:54~60)

 またここはライオン門とも呼ばれていますが、それはですね、オスマン・トルコのスレイマン大帝に、夢の中でつがいのライオンが2組現れて、『もし、聖都エルサレムのまわりに、城壁を築いて住民を守らないならば、お前を食い殺す』と言ったそうです。
驚いて夢から覚めた大帝は、すぐに都の城壁を築きなおし、このように門の上にライオンを彫りつけたと言われています」

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119.ゲッセマネの園の入り口

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ゲッセマネの園の入り口】

 順番が逆になりましたが、写真が見つかりましたので載せることにしました。ぞろぞろ入って行きますので、ここを撮る人はほとんどおりません。ここまで来ると気持ちが早やって、入り口までは撮る余裕がないようです。これは私にとって貴重なお宝です。
 ここを通り抜けて、初めてあの園が広がっているのです。上に「ゲッセマネの園」と書かれていますが、見えるでしょうか。
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