イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

118.苦悶の教会の壁画

2006年11月09日 | Weblog
【写真:苦悶の教会の壁画】
 小さ過ぎて見えないかも知れないが、真ん中の下の方に、岩にもたれかかって祈るイエスの様子が描かれている。
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117.苦悶の岩

2006年11月09日 | Weblog
【写真:イエスが血の汗を出しながら祈り、もたれかかった岩】
フェンスで囲まれているところです。上部は説教台です。その上の壁画と天井は、次の118の写真をご覧下さい。


 さて、初めてイスラエルに旅した8月のことでした。

「これはですね、『みこころならば、どうぞ、この杯を取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください』と血の汗を出しながら、イエスがもたれかかった岩だと言われています」

 旅行者のミサの邪魔にならないようにと、ささやくような声の説明を聞いていた時、全身の関節が、ネジが外れたように緩みはじめて、もはや立ってはいられなくなってしまったのです。近くの礼拝用のベンチに腰かけ、しびれるような体をやっとの思いで支え、頭を垂れていますと、耳元に言葉が流れてきて、そのまま心を貫きました。主が直接私におっしゃっているかのようです。

「わたしがここで、血の汗を流すほど苦しんだのは、お前のいたらなさを赦すためではなかったのか。十字架にかかったのも、お前の罪を赦すためではなかったのか。全人類のためとか、私たちのためとか言ってるうちは、お前はまだわたしから遠い。わたしはお前のために苦しんだ。お前のために十字架にかかった・・・」

 声を上げて泣きそうになるのを堪えて、何度も何度も深く息を吸い込みました。その夜ホテルの一室で、ベッドの横にひざまずき、毛布をかきむしりながら号泣したのです。
 今にして思えば、なぜあんなに泣けたのか、不思議でならないのですが、忘れられないのは、あの時与えられた主の言葉です。そしてそれ以来、私の心はガラリと変わりました。体にトゲをいただきながら、主に愛され、見守られているという実感に、安らぐ日々を取り戻したのです。
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116.ゲッセマネの園の教会

2006年11月09日 | Weblog
【写真:苦悶の教会・万国民の教会】

 ゲッセマネの園を通って行くと、教会が建っています。中に岩があって、イエスが血の汗を出しながら、もたれかかったものだと説明がありました。次の117の写真がその岩です。
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