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新潟の話 R21編成

2015-02-25 23:58:22 | 485系まとめ
今でこそ在籍車の大多数を占める485系3000番台。青森と新潟(と盛岡のジパング編成)に在籍しているこのグループですが、改造時期が何度か分かれた新潟車の3000番台はいくつかの点で異なる部分があります。そんな中、新潟では標準的ともいえる3000番台編成を今回はまとめます。



485系R21編成
転入:2000年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3018(6号車)
モハ485-3037(5号車)
モハ484-3037(4号車)
モハ485-3074(3号車)
モハ484-3074(2号車)
クロハ481-3024(1号車)
最終運用:2015年3月15日 おはよう信越
秋田回送:2015年5月8日

新潟では6両編成グループの中で最初に3000番台として配属された車両。種車は新潟に在籍していた車両ではなく、秋田に在籍し「こまくさ」として活躍していた車両。山形新幹線新庄延伸により特急「こまくさ」が廃止(「こまくさ」の名称時代は701系使用の快速として残った後に消滅しています)となり余剰となった5両編成のこまくさ2・4編成の1~3号車であったクロハ481+モハ484+モハ485(残る4号車・5号車のモハ484+クモハ485のペアは秋田に残ったものの、使用されることなく廃車)に改造・組み替えを行い新潟に転属。新たにR21編成と名乗り新潟で第二の人生を送り、現在に至ります。
3グループに分かれるうち、R22編成と同じ1グループに分けられ、転落防止幌と5号車のトイレがない仕様。微妙に異なるところはありますが、主な仕様は同時期に同じ経緯で改造されたR22編成と同一です。
新潟では標準的な3000番台編成となります。目立った点がないため模型化しやすい編成ともいえ、マイクロエースからは485系3000番台6両編成仕様「いなほ」として製品化もされています。
R21編成に関しても、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧ください。


クハ481-3018(6号車)
種車:クハ481-1018←クロハ481-1001
元こまくさ2編成の1号車。クハ481となるとそこまで目立つ車両ではありませんが、元々はクロハ481のトップナンバーを名乗っていた車両。新潟車の485系の場合新潟方を向く6号車には奇数車両のクハ481を連結しなければいけないため、偶数車両であるこの車両は方向転換を同時に行っています。
種車クハ481-1018は1979年に青森に配置。1993年に秋田に転属し、1987年にクロハ481-1001へと改造の上再度青森に転属。1988年に秋田に再び転属となり、2000年にクハ481-3018へと改造され、新潟に転属となりました。分割民営化が行われた1987年付近では、485系が青森と秋田でかなりの車両が転属を繰り返しており、この車両のように青森と秋田を何度も行き来した車両もみられたようです。クロハ481-1000のトップナンバーであった車両ですが、新潟転属時に全席普通車のクハ481へと再改造。番号もクハ481時代のものを踏襲したため、クロハ481時代の名残はほぼ見られません。


モハ485-3037(5号車)
種車:モハ485-1037
元こまくさ2編成の3号車。トイレが撤去されているためトイレタンクがないのが外観の最大の特徴です。
種車モハ485-1037は1979年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3037となり、新潟へ転属。R21編成の一員として活躍しています。


モハ484-3037(4号車)
種車:モハ484-1037
元こまくさ2編成の2号車。乗務員室の窓は原形になっています。3000番台改造の際、乗務員室窓に関しては種車のものを流用するので、種車が改造車であれば小窓、未改造車であれば原形サイズのものとなります。
R21編成は、秋田在籍時代のこまくさ2・4編成を組み換え改造して組成された編成であるため、1~3号車と4~6号車で改造種車の編成が異なります。6~4号車はこまくさ2編成からの転用です。


モハ485-3070(3号車)
種車:モハ485-1070
元こまくさ4編成の3号車。5号車モハ485-3037とはトイレタンクの有無程度で外観はほとんど同じ仕様です。
種車モハ485-1070は1978年に秋田に配置。以降移動することなく秋田に配置されていまたが、2000年に3000番台改造を受けモハ485-3070となり新潟へ転属となります。山形新幹線新庄延伸によった用途余剰により、3000番台へと生まれ変わって新潟の地で活躍しました。


モハ484-3070(2号車)
種車:モハ484-1070
元こまくさ4編成の2号車。新潟車の場合2号車は多目的トイレを備えた車両で、座席の1列分の撤去と車いす対応座席の設置により同じモハ484-1000,3000でも定員が異なります。この改造は3000番台改造を行うと同時に施工されており、連結位置は異なるものの青森車の3000番台にも同様の設備が整えられています。T編成R編成ともに共通運用となっていた新潟車485系は、2号車の座席は定員数の少ない3000番台のものに合わせて指定券を販売していたようです。
車両の流れはモハ485-3070と同様です。


クロハ481-3024(1号車)
種車:クハ481-1004←クロハ481-1024
元こまくさ4編成1号車。6号車に位置する元クロハ481-1001とは異なり転用に際し方向転換などの改造は行われていません。クハ481-1000としては最若番となる1004が種車ですが、クロハ481を名乗っている現在はやや気づきにくいところです。
種車クハ481-1004は1976年に秋田に配置。1985年に青森に転属しますが、1986年に再び秋田へと再転属。1988年にクロハ481-1024へと改造。その後も秋田で活躍を続けますが、2000年にクロハ481-3024へと改造され、新潟に転属となります。6号車のクロハ481-1001とは異なり、こちらはクロハ481としての機能を新潟転属後も生かすため、普通車への改造は行われていません。


編成番号表記。左がクロハ、右がクハになります。新潟車の標準となるハイフン付きのフォントではないのが特徴で、同じように表記しているR23、R25編成とはまた違ったものであるのも特徴。特にクハのものは遠目からでも目立つほど白いため、遠くから編成を判断する1つの基準となります。


転落防止幌を備えていないのも特徴。車両間の間には何もありません。


クーラーは更新型のAU112をクハ481,モハ485に全車装備。モハ484はAU71Bを装備しています。(写真は同じもののR28編成のもの)


ステップは埋め込みできないタイプのもの。ステッカーステップとドアに貼ってある「あつい」ステッカーのみが貼り付け。ゴミ箱は新潟では標準のもので、ゴミを押して入れるタイプ。青森のフタを開けるタイプとは対称的です。


トイレのない5号車の部分には他の編成同様荷物室を設置。この荷物室、R21編成のみ床下デザインが異なる(デッキと同じデザイン)というちょっと違った点も。


車内の仕切りドアは青色のもの。R編成だけでなく、T編成にも普及しているこのドア形状。ただしクロハ481の普通車とグリーン車を仕切るドアもこの形状になっているのはR編成のみ。デッキと室内を仕切るドアは自動(普通車とグリーン車の仕切りにはグリーンステッカーを貼り付け)、車両間のドアは同じタイプですが手動となっており、取っ手がつきます。


乗務員ドアの雨どいはどちらも原形タイプ。標準タイプが多いのもR21編成らしいところ。


連結器カバーは両端ともに黒。2009年頃まではクハ481のみが白でしたが、クハが白という姿が最後まで見られたのはR21編成のみ。なお連結器カバーという点では、国鉄時代に標準となったお椀型と言われている青いものを6両編成の中では唯一装備していたのも当編成のみです。


幕故障はここ最近では見られていなかった編成ですが、2011年秋~2012年冬にかけてクロハ481のヘッドマークが故障していた時期があり、その際は白い布でヘッドマークを覆っており、目立つものになっていました。



運用は転入当初から特急運用に従事しており、主に「いなほ」「北越」として活躍。「みのり」を代走した経験もある他、2012年に一度だけ「くびき野」も代走しています。増結ユニットが配備された頃から基本的にR21編成が増結対象になっており、「いなほ」の増結や「高田お花見」にも使用。増結ユニットを用いた最終運用と、増結ユニットの廃車回送を長野まで送り届けたのも当編成でした。


2012年に運転を開始した「おはよう信越」の一番列車を担当したR21編成。485系の運用が減少していく中でも華々しい姿を見せつつ活躍を続けていしたが、2015年3月改正による運用整理によってその役目も終了。自らが最初に担当した「おはよう信越」を最後に運用離脱となり、生まれ故郷である秋田で無事に役目を終えました。

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