忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 T13編成

2015-11-15 19:28:45 | 485系まとめ
長らく放置していたこの部分、書き加えるよりも離脱のペースのが早いのか、書く加えるのが遅いのか…それはともかく、久々の再開はT編成の中で最もスタンダートな外観の編成から。


485系T13編成
転入:1997年8月
編成移動
転入時:T16編成
2000年3月以降:T13編成
編成
クハ481-1025(6号車)
モハ485-1064(5号車)
モハ484-1064(4号車)
モハ485-1041(3号車)
モハ484-1041(2号車)
クロハ481-1025(1号車)
最終運用:2014年12月17日 臨時快速
秋田回送:2014年12月27日

上沼垂色のまとったT編成のラストを飾った編成ということで、他の編成に比べ知名度はやや高いようです。冒頭にも少しだけ触れましたが、晩年のT編成の中ではスタンダート、一般的な外観となっており、モハ484は1000番台で一般的なスタイルの車両のみ。クロハ481、クハ481も目立った改造は受けていないことから他の編成に比べ目立った特徴がない編成でした。それでも他の編成に比べ知名度が高いというのは、やはり最後の生き残りだったからでしょうか。
転入時は6両編成のT編成では6番目となるT16編成として在籍していましたが、そのうち3編成がR編成へと改造されたことにより番号が前に詰められた結果T13編成となり、そのまま晩年の活躍へと繋がります。組み替えや編成移動もほとんど少なかったところは地味ながら注目できる点でもあります。


クハ481-1025(6号車)
新潟方の先頭車。車内はベビーシート設置工事が行われているものの、それ以外は原形のスタイルです。ベビーシート設置工事は新潟では行っていないため、秋田在籍時に行われたものと思われます。1978年に新製されてから1997年に新潟に転属となるまでは秋田に在籍。他のクハの多くは改造や転属転入(青森への転属や、青森に新製配置された後に秋田への転属)が行われたため、秋田に留まっていた原形クハ481という貴重な1両でもありました(新潟以外では秋田のみに在籍していたクハ481は、1007,1025,1027,1029の4両のみです)。新潟転属後は目立った改造は行われておらず、塗装変更が行われ、運転台部分の後方監視窓が埋め込まれた以外は原型のまま残っていました。


モハ485-1064(5号車)
座席はクハ481-1025とモハ484-1064と共にフリーストップ式のリクライニングシートへ交換されています。1978年に青森に配置され、1993年に秋田に転属。4年後の1997年には新潟へ転属し、最後は新潟で活躍を終えています。盛岡での活躍は約14年ほどで、秋田では4年間、そして新潟での活躍は18年。新潟には転属という形で配属されたものの、車両としての生涯は新潟での活躍が最も長い車両でした。


モハ484-1064(4号車)
モハ484の乗務員室窓は原形スタイル。秋田・青森在籍車の多くはモハ484の乗務員室窓を小窓へ改造していたことから、秋田・青森からの転属車がほとんどである新潟車の乗務員室窓はほとんどが小窓へと改造されています。そんな中、このモハ484-1064とモハ484-1041はどちらも乗務員室窓は原型。編成の2ヵ所とも原型で残っていた編成はT13編成が唯一のものでした。


モハ485-1041(3号車)


モハ484-1041(2号車)
1064ユニット同様モハ484の窓は原形スタイル。こちらは指定席車になるため座席が3000番台のものと同じものに変更されています。1978年に青森に配置され、1993年に秋田へ転属し。1997年に新潟へ。他の車両と同じ動きをしています。


クロハ481-1025(1号車)
種車:クハ481-1028
特急仕様車の特徴であるクロハ481のグリーン車部分のクーラー更新が行われているとはいえ、他には特別目立った改造は行われていない車両。上沼垂色だったため目立つことはありませんでしたが、原形に近いスタイルで最後まで活躍した編成の1両であったこともあり、改造は少なめです。種車クハ481-1028は1979年に青森に配置され、1983年に秋田へ転属し、1989年にクロハ481-1025へ改造。その後他の5両同様に1997年に新潟に転属しています。この車両に限った話ではありませんが、クロハ481-1000改造を受けた種車はクハ481として在籍した時期が圧倒的に短いのが特徴で、この車両は10年。さらに短い車両では8年ほどしかクハ481を名乗っていない車両もあります。


編成表記。左がクロハ481、右がクハ481です。晩年期の編成表記は統一されており、半角英字にハイフンと数字といった標準的なもの。ただし、位置関係を見ればわかりますが、クハ側のものは運転台窓ガラスにとても近いのが特徴。クロハ481はややスペースが取られていますが、統一されているであろうスタイルはスペースが空いたものです。


こちらは、2011年8月頃まで見られたクハ481側の編成表記。晩年期のものとは明らかに異なっており、こちらはハイフンなしの全角英数字。初期の上沼垂車では多く見られたスタイル(と思われます)ですが、晩年までこの編成表記であったT編成はT13のみ。他の編成を含めると、K2のクハ側が最後まで全角英数字のまま残っていました。


晩年のクーラーは、1号車の運転台寄り2つを除いた3つと2~6号車がAU13EN(写真)です。クーラー部分の茶色い部分はパンタグラフと架線が接触することによって生まれるサビがついたもの。検査明け時は塗装するため灰色ですが、検査切れ間際になるとその汚れが目立ってきます。(なお、写真は2014年8月に撮影。T13編成の離脱はこの年の12月ということから、検査切れが近かったことが分かると思います)。


1号車の運転台寄り2つのみは更新型のAU112。この部分が主に外観でオリジナルと異なる部分となります。パンタグラフはクロハ481の後ろのモハ484から生じるものですが、ここは距離が遠いこともあり汚れはあまり多くありません。


4号車のモハ484-1064のみ、車体間にあるパーツがR編成のもの(緑色の部分)になっています(上沼垂色の場合は白、国鉄色の場合は肌色です)。この部分の交換は2013年以降に行われたもののようですが、撮影した2014年8月時点で廃車になった新潟車の3000番台は、増結ユニットとR24編成のみ。少なくとも最終検査出場時は白色のままであったことから、新潟での交換となったようです。増結ユニットかR24編成のパーツが新潟にあった、ということになるのでしょうか。詳細は不明ながら、とても目立つ部分ではあります(なお、上に掲載した形式写真のモハ484-1064は白色だった頃のもの。撮影日は2013年6月です)。
この部分、動画制作を行われている斜め上氏(http://www.nicovideo.jp/my/mylist/#/28787863)からお教えていただいたものです。改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。


乗降ステップ部分。特急編成であったことからステップは取り付けられず、取り付け受けもありません。


連結器カバー。晩年は両端黒。2009年頃までは両端白だったようですが、こちらも標準化のためか黒へと交換になりました。この頃(2014年8月のクロハ481)はなぜかテープのようなものが巻き付いていました。


晩年のクロハ481側の写真右側の部分の屋根には布のようなものが。雨漏りか何かの対策のようで、それほど老朽化が進んでいた、ということでもあります。
(T18編成、R21編成にも同様のものがありましたが、どちらもクロハ481。クロハには何かあるのでしょうか)


(お食事中の方すみません…)
クロハ481-1025は外観上の変化はありませんが、1997年の簡易リニューアルの施工対象車です。当時のT11編成、T19編成に施工された車両は側面ドアが交換されたため一目でわかりますが、当時T16編成とT17編成に連結されていたクロハ481(クロハ481-1025と1022)はドアの交換は行われず、グリーン車の座席交換とトイレ、洗面所の更新のみに留まりました(このうちグリーン車の座席交換は、2009年頃にT16,T17編成以外は更にグレードの高い座席へと交換されているためこの時点で面影はありません)。
更新工事の比較として、クロハ481-1025のトイレ部分。落成当時は1970年代のためこの設備で足りるわけですが、2014年ともなればこの設備で特急列車、というのはさすがに問題があったかもしれません。


クロハ481-1025の反対側、クハ481-1025のトイレ部分。簡易リニューアル対象車ではありませんが、内装はクロハ481-1025とほとんど変わらず。最低限の更新は他の車両でも行われたのでしょうか。


座席は1~3号車の普通車は3000番台と同等のもの。よく見ると分かりますが、取っ手がついているのが特徴。他のT編成でも一部にしか見られないものでもあり、オリジナルとなる3000番台にはこの取っ手は存在しないことから、T編成への導入過程において多少手が加えられたようです。


4~6号車の普通車はこのようなもの。晩年は3000番台シート以外では最も主流だったもので、T12,T14,T18編成以外のT編成はどこかしらにこのシートが取り付けられていました。


6号車、クハ481-1025のベビーシート。外観ではあまり分からない改造個所の1つです。なお、この改造が行われ、晩年まで残っていた新潟車はクハ481-1007,1025,1027,1029の4両。偶然かどうかは分かりませんが、上で述べた、新潟転属となるまで秋田に留まっていた原形クハ481の4両と一致します。


その他、車内ドア上部分にはこのようなものも。かなり細かいところではありますが、ここまで模型で再現できたら面白いかもしれません。
(ちなみに、このタイプのものはT13編成以外では見かけていません)



編成は特急編成としての在籍。「北越」「いなほ」や「みのり」充当が主な担当。北は青森まで定期運用を持っていたので青森までの乗り入れ実績があり、2014年にそれまでは8両で運転されていた大曲花火への団体列車が増結ユニット廃車に伴い8両での運転が出来なくなったことから充当されることとなり、大曲への乗り入れが実現しました。T16編成時代に長野へ乗り入れ、中越地震の際に長野新幹線に接続して長野~新潟を走った臨時快速にも充当し、T13編成としても長野へ乗り入れ。一方で関西方面へは福井が最西端の乗り入れ範囲(こちらは「北越」が福井発着だったときのもので、団体列車などでの乗り入れではありません)。他のT編成が関西発着の団体列車やイベント時の臨時快速に使用される機会が多かった中、団体臨時列車の運用にあまり就かなかった編成でもあります(といっても、団体臨時運用はATS-Pを所有していた編成がほとんどでしたが)。
T編成の中では数少ない「くびき野」運用経験者で、専属編成となったT16,T17編成、代走指定編成であるT15,T18編成以外のT編成では唯一「くびき野」に充当されました。あくまでT13編成の「くびき野」はイレギュラーなものという扱いであるため、過去3回(2011年、2012年、2013年に1回ずつ)の代走は全て数日間(多くて4日)のみの代走で終了しています。外観はT編成とさほど変化がなかったこともあり、イレギュラーな代走ではありましたがあまり目立つことはなかったようです。


特徴的な部分が少なかったということもあり、あまり目立った活躍もなく地味な編成な印象でしたが、それが大きく変わったのは晩年期。この編成が上沼垂色として最後の編成となったところで知名度が急上昇。知名度だけでなく、定期運用から撤退した後も臨時「いなほ」運用に入り、団体列車として大曲まで入線。その後もT18編成とR26編成が検査入場で新潟にいなかった際の代替編成として、8月から12月までの4カ月もの間、最後の上沼垂色として君臨し続けました。また、その期間はほとんど休むことなく動き続けたため、この編成を目にする機会は多かったのではないでしょうか(8月~12月の運用最終日まで動かなかった日は19日間のみです)。運用差し替えで入る機会が圧倒的に多かったため、狙っていても見られなかったり、逆に思わぬところで見れてしまったり…そんな編成でもありました。
最終運用となった臨時快速は、充当されていた北越5号が大雪の影響で柏崎から先に進めなくなり、北越5号を柏崎打ち切りとしてT13編成は柏崎で抑止(この時、くびき野2号充当時に窓ガラスが破損し営業列車に充当できなくなったT18編成も同時に柏崎で抑止。写真はその時のもの)。除雪が終わり新潟へ戻る際に運転されたもので、イレギュラーな運用で運用終了。秋田への回送も本来は一週間早く行われる予定でしたが、こちらも大雪により延期。最後の最後までなかなか読めない動きをするところは本当にT13編成らしいと言え、自分自身の使命を全うしたんだとも思えました。

新潟の話 K2編成

2015-07-18 21:21:22 | 485系まとめ
一通り編成をまとめていますが、そういえばこのグループだけはまだ1つも手をつけていないということに今更ながら…。編成数は多くありませんが、何より特徴的な2編成。まずは1編成ずつ、ということで、一足先に役目を終えた編成から。



485系K2編成
転入:2003年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-347(6号車)
モハ485-1042(5号車)
モハ484-1042(4号車)
モハ485-1021(3号車)
モハ484-1021(2号車)
クロハ481-1029(1号車)
最終運用:2014年6月5日 快速くびき野1号
長野回送:2014年6月9日

「ムーンライトえちご」用編成としてそれまで活躍してきた165系M編成を置き換える形で青森から転入してきたのがK編成。そのうち後から転入してきたのがK2編成になります。青森での転入前はA11編成。「はつかり」として活躍した編成ですが、青函トンネル通過の際に必要なATC-Lを装備していなかったことから、2002年の東北新幹線八戸延伸に伴った運用改定(定期運用は全てATC-Lが必要はものへと変更)に伴い余剰。同じ485系を使用した定期運用を持つ新潟への転用となりました。先述の通り「ムーンライトえちご」編成を置き換えるために転入してきたため、転入と同時に夜行列車用の車内減光装置などの改造が行われています。なお、ATS-Pに関しては青森時代から装備しており、これを利用して青森時代、勝田に貸し出されて団体・臨時運用にも活躍しました(なお、勝田車への貸し出しは2002年の東北新幹線八戸延伸に伴った並行在来線の第三セクター化以降行われていません)。


クハ481-347(6号車)
晩年は各地に残った数少ない300番台車として在籍。クーラーは未更新のスタイルで、薄汚れた白カバーも相まって国鉄時代とほぼ変わらないスタイルを保っていました。なお、カバーは晩年まで両方とも白。新潟車は黒へと統一されていく動きは見られていましたが、おそらく一度も交換されていないのでは…。


モハ485-1042(5号車)
青森と新潟では編成の向きが異なるため、転入に際しクロハとクハの向きを反転させる改造が同時に行われていますが、モハの向きは変わっていないため、新潟でも青森でも5号車として使用。T18編成の場合用途が特急編成であったため指定席車のみが座席更新を受けていますが、K2編成を含めたK編成は「ムーンライトえちご」自体が全車指定席の列車のため普通車は全号車更新されています。


モハ484-1042(4号車)
乗務員室窓は小窓へ改造。この小窓改造は青森・秋田で行われていたため、全て転入車で賄われている新潟車では小窓のものと大窓のものが混在されていました。そのうち晩年まで国鉄色で残っていた3編成はすべて小窓へ改造されたスタイルでした。


モハ485-1021(3号車)
モハ484/485は1001~1024の車両と1025~1088の車両では機器類が微妙に変更されています(モハ485の場合、主抵抗器が前者はCS15F、後者がCS15F-G2)。モハ485は特にその違いが分かりにくいものですが、見比べてみるのもいいかもしれません。


モハ484-1021(2号車)
晩年はサビがかなり浮き出ており、痛々しい姿を露見させていました。こちらも機器類は異なっており(モハ484の場合、冷房装置が前者AU712A、後者AU71B)、モハ484の場合は屋根周りが大きく異なっています。サビに目が行きがちですが、屋根周りの違いにも注目です。なお、モハ484/485-1025~1028は手すりが設置されていますが、1001~1024には手すりがありません。他の写真には手すりが見えますが、この写真手前のモハ485-1021には手すりがないのが分かると思います。なお、クハとクロハには手すりそのものがありません。


クロハ481-1029(1号車)
種車:クハ481-1041
K2編成のクロハ481。角度的には見えづらいですが、晩年の新潟車の3000番台以外の車両のクーラーはクロハ481のグリーン車部分となる運転台寄り2基のみ更新型のAU112へと交換された車両が多数ですが、K2編成はその施工対象外(他の対象外編成は、T16編成、T17編成、K1編成)。そのため交換前のAU13ENで統一されています。他にも特徴的なシンボルマークがありますが、こちらは後述。


編成表記。左がクロハ481、右がクハ481のもの。半角ハイフン付の編成表記(T-11)といったものに統一される動きがみられる中最後までハイフンがつかなかったのも特徴の1つ。また、クハ481は最後まで全角フォントで残った唯一の車両です(このほかの全角フォントは、2011年までT13のクハが該当する程度)。


クロハ481-1029はシンボルマークが貫通型タイプのもので、真ん中に切れ目があるのが特徴。新潟には貫通型タイプの車両は3両しかおらず、それもK2編成が転入する頃には廃車となっていたため、交換は青森時代だと思われます。新潟地区に最後まで国鉄色として在籍していたクロハ481-1028,1030はそれぞれ手すり?がついていますが、K2編成のクロハ481-1029は何もついていません。何もないのが特徴、といったところでしょうか。


「ムーンライトえちご」用ステッカーがあるのが専属編成の特徴。臨時列車化以降は貼り直されることはなく、剥がれたらそのまま、といった感じに。2号車は残っていましたが、6号車と4号車、2号車の反対側は撤去されていました。


首都圏に乗り入れることを前提としていたことからステップは装備。T18編成やT15編成は必要に応じ着脱を行っていましたが、K2編成は主体となる「ムーンライトえちご」運用の際必ず装着する必要がある(首都圏のホームはステップを装備しないと逆段差となる)ため、原則装備して運用されていました。ステップの色が若干黄色いのが特徴。あついステッカーは2014年から貼り付け。


デッキドア。窓のステッカーは貼り付け時期不明ですが「くびき野」「ムーンライトえちご」運用編成に共通して貼り付けられていたもの。その下のあついステッカーは先程同様2014年に貼り付け。2月時点で付いていたので1月頃には貼られていたと思われます。


車内ドア。青森時代に若干の更新を受けたことから、青森車3000番台同様のものへと交換されています。


…が、青森車では後半の編成であることから改造が追いつかなかったのか、既存のドアの個所も存在(5号車)。青森A12編成→新潟T18編成はオリジナルのものが残っていましたが、この編成は黄色く塗られていました。


1号車のクロハ481のドア。グリーン車があることからここは青森時代に自動ドア化されており、それがそのまま引き継がれています。


クロハ481の座席番号とクーラーの注意ステッカー。クロハ481のみ方向転換と同時に改造が行われたからか、原形のままで残っていた座席番号表示はステッカータイプに交換されています(他の号車は原形)。注意ステッカーは新潟時代のもの(当時は新潟ではなく上沼垂)へと交換されています。


クロハ481以外の3号車、5号車、6号車は注意ステッカーは青森時代のまま残っており、青森車両の文字が残っていました。
(モハ484はクーラーが異なるため車内にこの形状のクーラーが存在しないため、このステッカーはありません)。


モハ484の1001~1024までは機器が異なるため車内にある機器も異なったため、デッキ備え付けのゴミ箱も他とは異なっていました。左がモハ484-1025~1088、クハ481、クロハ481のもの。写真はクハ481で、女性専用車だったためデッキがピンク色なのが特徴。
右がモハ484の1001~1024のゴミ箱。独立しているのではなく一体化しているのが見て分かると思います。


車内の普通車の座席は全て3000番台タイプへと交換されていたのは周知の通り。このタイプの座席にはリクライニングと座面スライド機能の説明ステッカーが貼られていましたが、晩年のK2編成は「くびき野」の指定席となる1号車と2号車以外は全て剥がされていました(写真は5号車)。



「ムーンライトえちご」用編成として新潟に配属された当編成。定期運行時代は2運用に対しK編成が2編成しか在籍していないため、「ムーンライトえちご」とその間合い「らくらくトレイン村上」運用以外を賄う余裕は当然ありませんでした。余裕が生まれたのは臨時化された2009年以降で、それ以降は同じくステップを装備しなければいけなかった「くびき野」を中心に充当。2010年~2012年に運転された臨時「能登」のにも運用され、間合い運用として「北越」も担当することになってからは頻繁に北越と関連するらくらくトレインの運用にも入っています。ステップを装備すると運用に入れない「いなほ」運用にも、2009年頃?に一度入っており、青森へと顔を出しています。また、E653系「いなほ」運転開始に伴ったホームかさ上げによりステップを装備したまま「いなほ」に入ることができるようになったため、2013年秋頃~2014年に再び「いなほ」へ登板。同じK編成のK1編成との共演もみられました。らくらくトレイン関係も運用されていますが「らくらくトレイン信越」と「おはよう信越」への運用は数回のみに留まっています。多くはありませんがリバイバル列車での活躍もあり、「白山」として軽井沢~金沢、「ひたち」として上野~勝田を走り抜けたほか、団体列車として首都圏地区でも活躍しています。一方で、関西地区ので活躍が見られたことはなく、西の方で乗り入れていたのは金沢までとなっています。


「ムーンライトえちご」として池袋を発車するK2編成。幅広い活躍をしたK2編成ではありますが、青森地区での活躍に引き続き快速列車とはいえ予備なしで毎日動き続けたということもあり老朽化がかなり進んでいました。そのため他の編成に比べ故障率が高かったのもまた特徴の1つ。故障による運用離脱も多く、運用途中に故障という事例も見られました。「北越」「くびき野」廃止により新潟車へと再び注目が集まった頃にはすで運用を離脱していたため、晩年の新潟には見られなかった車両ではありますが、「ムーンライトえちご」や「くびき野」とった快速列車主体の運用に多く入ったため、お世話になった人も多い編成ではないでしょうか。大きな動きの見られなかった2014年の6月にひっそりと離脱し静かに回送されたため、国鉄色編成の中では影の薄い編成だとは思いますが、485系の国鉄色編成、と言われた時、この編成のことも思い出してみてみてください。

新潟の話 R22編成

2015-07-09 22:09:16 | 485系まとめ
いつの間にかいろんな動きがありましたが…。
様々な経緯から生まれそのまま使用されたT編成とは異なり、R編成は経緯は別としても同時に改造を受けたためある程度外観は統一され、異なっていた部分も近年は統一する動きがみられていました。そんな統一化の流れを全く受けることのなかった編成からご紹介。



485系R22編成
転入:2000年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3348(6号車)
モハ485-3065(5号車)
モハ484-3065(4号車)
モハ485-3066(3号車)
モハ484-3066(2号車)
クロハ481-3004(1号車)
最終運用:2015年3月16日 快速
長野回送:2015年6月22日

クロハ481の連結器カバーが最後まで黒くならなかった唯一の編成。他の編成が黒へと統一されていく中最後まで個性を貫いた編成ともいえます。R編成としては、R21編成と同時期に転入配置されて新潟へ。種車もR21編成と同じく元「こまくさ」編成。こまくさ2・4編成を組み替えたR21編成と対をなすかのように、種車は元こまくさ1・3編成を組み替えたもの。個性を貫いた編成ではあるものの、R21編成と同じ時期に改造されたということもあり、実は意外と標準的な一面もありました。
R編成ということで、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧ください。


クハ481-3348(6号車)
種車:クロハ481-303←クハ481-348
元こまくさ1編成のクロハ481をクハ481に再改造したもの。数少ないクロハ481-300の1両であった車両が種車に選ばれています。クロハ481-301と302は福知山地区で活躍した車両で、最終的に183系800番台へと改造されていますが、こちらは不足したクロハ481-1000を補う形で改造された車両。種車が300番台であることから番台が分けられましたが、内装はクロハ481-1000(1022~1027タイプ)と同一のものです。
種車クハ481-348は1976年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となり、1989年にクロハ481-303へと改造されます。東北地区では異例のクロハ481-300ですが、前述の通り改造種車が異なるのみで扱いはクロハ481-1000と同じ車両。2000年まで秋田で活躍を続け、3000番台へと改造。同時に全車普通車のクハ481へと改造されることとなったため、改造種車であるクハ481-348の番号を踏襲しクハ481-3348となり、新潟に転属となりました。クハ481-300は車両の向きに関係なく連結できる両渡り構造の先頭車ですが、3300番台改造の際におそらく片渡り構造の先頭車に改造されているようで、より一層1000番台車の一員に近い車両となっています。


モハ485-3065(5号車)
種車:モハ485-1065
元こまくさ1編成の3号車。R21編成同様この車両のトイレは撤去されているので、写真の奥側にあるトイレタンクが撤去されています。見た目はR21編成と変わらないので、ここでは角度を変えた写真を掲載します。
種車モハ485-1065は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3065となり、新潟に転属となります。


モハ484-3065(4号車)
種車:モハ484-1065
元こまくさ1編成の2号車。乗務員室の窓は原形。同じ時期に改造を受け、同じ構成となるR21編成とは瓜二つの外観となっています。5号車のトイレが撤去された理由は、おそらく6号車のデッキと重なることからトイレの設備が重なり過剰となるためと思われます。同様の場合、西日本の485系では一部が3000番台同様トイレ撤去や使用停止措置を行っていますが、東日本の場合、3000番台のように大掛かりな改造を受けた車両はトイレ撤去を行い、改造を行っていないT編成やK編成はそのまま存置されています。
車両の移動はモハ485-3065と同様です。


モハ485-3066(3号車)
種車:モハ485-1066
元こまくさ3編成の3号車。こちらは5号車と異なりトイレタンクが存置されているのが特徴です(写真の奥側)。
種車モハ485-1066は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3066となり、新潟に転属となります。車両番号が3065(1065)の続番である3066(1066)であることからか、車両の移動経歴もほぼ同一。晩年の485系は短編成化のために改造と組み換えを繰り返し行っていたため、モハ484/485のユニット番号が連続して組成されている編成はかなり珍しいものであったはずです。


モハ484-3066(2号車)
種車:モハ484-1066
元こまくさ2編成の2号車。車いす対応トイレと多目的室が設置されているため定員数が異なるのは他の編成と同一。掲載した写真ではトイレ・多目的室は奥にあります。写真の窓がない部分は車いす対応トイレ、反対側には多目的室が設置されています。多目的室部分には乗務員室窓に似た窓が設置されていますが、これは3000番台改造の際に新しく設けたもので、サイズも種車のものとは異なっています。
車両の移動はモハ485-3066と同じです。


クロハ481-3004(1号車)
種車:クロハ481-1004←クハ481-1032
元こまくさ2編成の1号車。6号車の先頭車となるクハ481-3348がクロハ481からクハ481へと改造されたのに対し、こちらはクロハ481の機能を生かすためクロハ481のまま3000番台へと改造されています。R22編成の場合、クハ481には300番台車が他にも在籍していたのに対しクロハ481には他に300番台車が在籍していないため、向きを揃えるという目的もあってこの車両がクロハ481のまま残ったのかもしれません。
種車クハ481-1032は1978年に秋田に配置。1987年に青森に転属し、クロハ481-1004となります。1988年に秋田に再転属し、2000年に3000番台改造を受けクロハ481-3004となり、新潟へ転属となります。


編成表記。左がクロハ481,右がクハ481。晩年は標準のフォントに改められているので、大きな差はありません。


特徴的だったクロハ481の連結器カバー。晩年は緑でしたが、長かったのは白カバー。時期にもよりますが、ライトの下にある部分の滑り止めが黒かった時期もあります。晩年は緑カバーに滑り止めの色は青でした。


ドアステップは取り付けなし。取り付ける必要のある運用にも入っていないため、取り付け台差もありません。ただし、関西乗り入れは結構な数をこなしていたので、時期のよっては取り付けていたと思われます。


一時期6号車の側面幕が故障していた時期がありましたが、その際幕を白い紙(布)でおおわれていました。2012年頃に故障しましたが、2013年~晩年は元通りになっていました。


ドア部分は3000番台標準のもの。あついステッカーは2013年冬から貼り付けられ、それ以降剥がされることなく運用されています。


5号車の元洗面台のところに設けられた荷物室。R21編成のものとはよく見ると床デザインが異なっており、同じ設備を持つR23編成、R25編成はこのスタイルになっています。なお、反対側の元トイレ部分は乗務員室となっていますが、おそらくそこにはトイレがあるのではと…(トイレタンクはすでにないので復活はできませんが)。


雨どいはクハ、クロハ共に原形でした。こちらもR21編成同様のものです。


クーラーは晩年クハ481,クロハ481,モハ485は全て更新型のAU112。モハ484はAU71Bを装備している、という点は他の編成と同じです。


R21編成同様に車両の間には転落防止幌は未設置です。先程の述べたとおり5号車にはトイレがないので、左の6号車に見えているトイレタンクが設置されていません。


2号車のモハ484のみパンタグラフ周りの配線がやや赤くなっていました。老朽化のためなのでしょうか。4号車は何もないままでした。



特急編成に含まれていたR22編成の運用は「北越」「いなほ」といった特急運用。R21編成と同時期に運用が開始されていますが「みのり」運用には就かず、くびき野運用の代走も行っていません。(2011/3/12、団体として大阪から新潟へ帰る途中直江津で抑止されていた当編成を用いてくびき野1号を運行した、という目撃があるそうですが、確信がないので…)。R21編成と共に当編成が配置された最大の理由は、2001年3月のダイヤ改正で「白鳥」と新潟発着の「雷鳥」が廃止となったことにより「北越」が増発されたことによるもの。一気に運用を離脱した9連編成5本の代わりに穴を埋めるべく改造され配属されたのがこの2編成です。走行距離が「雷鳥」と「北越」では大きく異なることと、他の編成と運用が共通化できることで2編成の増備で足りているようです。なお、9連編成を6連編成化できなかったのは、6連編成にあるクロハ481が連結されておらず、改造するにもすでに普通車をグラードアップ改造しているため簡単に改造できなかったことと、老朽化があげられると思われます。


特急運用だけでなく、団体運用など幅広い範囲での活躍もみられ、団体運用では大阪までの乗り入れています。8連増結にも用いられ、8連で「いなほ」や「海中スターマイン」などの快速列車にも充当されました。8連運用ではE653系に置き換えられる前の最後の8連いなほを担当したのがR22編成でしたが、同時にそれがR22編成の8連増結運用最後のものとなっています。


日本海を背に走るR22編成。新潟での新たな活躍は15年間にもおよび、主力車両といっても過言ではないほどの走りっぷりでした。そんなR22編成は「北越」としての最終列車という晴れ舞台を任され、その後少しだけ生き残った快速運用を担当し、それを最後に運用離脱。3月改正での運用減に合わせ役目を果たし終え、長野へと回送されました。長かったようで短かった15年間の活躍は、個性的なスタイルと共に輝かしいものだったのではないでしょうか。

新潟車近況

2015-06-03 23:41:40 | 485系まとめ
運用整理も進み、車両もかなりの数が減った新潟車。今更ではありますが、ここで少し現状を整理してみます。


在籍編成現状

R26
稼働
・廃車かと思われていたR26ですが、先日検査を受け終え綺麗な姿で出場。検査前と変わらない姿で糸魚川快速に充当されています。こちらもステップ装備で活躍中。

R28
稼働
・こちらも数少ない稼働編成。青森時代の面影そのままに快速列車として運行中。こちらの編成、ステップは埋め込まれたままのようです。



そのまま続いて2013年以降運用離脱した編成についてもまとめます。


離脱編成状況
日付は回送日。()内は最終稼働日と最終運用列車

T14
秋田回送2013/9/25(9/16 1059M)
・最終期に残った編成で最初の離脱編成。離脱日は台風の影響でダイヤと運用共に乱れていた日でもあり、運用変更に巻き込まれたまま運用を抜けています。いなほE653系化の前に運用を抜けているため、E653系との共演はわずかな期間のみでしか見られませんでした。

T11
秋田回送2013/10/10(10/1 1057M)
・離脱2編成目。いなほ運用のE653系化と共に余剰したの2編成のうち、こちらは運用置き換えを見届けて運用離脱。E653系の運用自体はこの時点では1往復のみなので、離脱編成は1編成で済みますが、同時に臨時いなほ1往復も置き換えられているため同時期に離脱となりました。

T17
長野回送2014/1/8(1/6 3371M)
・離脱3編成目。いなほ運用のE653系化は春まで1往復のまま推移しますが、臨時いなほのピーク期である年末年始の運用が終了し、臨時いなほ分も対応するための編成数を保持する必要がないことから、運用離脱となりました。T17の運用離脱以降、くびき野=T編成という原則が崩れ、ランダムに運用に入るようになっています。ちなみに、T17の運用離脱後くびき野に入ったのはK1でした。

T16
秋田回送2014/4/17(2/16 3371M)
・離脱編成4編成目は同じくくびき野編成。日付を見ても分かる通り、運用離脱日と廃車回送日がかなりかけ離れていますが、これは車両側に問題があったためのもの。運用数を見る限りでは故障がなければ2014/3の改正まで走り続けたかもしれません。T16の運用離脱後はくびき野にはT15が入るようになっていました。

増結ユニット
長野回送2014/5/29R21伴走(5/17 2004M,R21増結)
・E653系がいなほ運用を置き換えた際、いなほ7号と8号という増結ユニットのメイン運用が置き換えられてしまったため、末期はほぼ非稼働という状態が続いていました。最後はR21に増結という形でいなほ11号と4号に運用。修学旅行シーズンのための増結で役目を終えました。

K2
長野回送2014/6/9(6/5 3371M)
・ムーンライトえちご編成として長らく在籍していましたが、2014年3月の運転を最後に設定が消滅。GWに運転したえちご春の夜空も長続きせず、その後は特急運用とくびき野運用を交互に運用。最後はくびき野で役目を終えました。元々快速充当編成だったこともあり、快速として役目を終えたというのは新潟での活躍ぶりに相応しいものだったかもしれません。

T12
秋田回送2014/6/26(6/21 1057M)
・6月中に2本の運用離脱車が出ていますが、K2は元々ムーンライトえちご編成であったことから、2014/3改正によるE653系運用増加の影響はこのあたりから出てきます。とはいえ団体運用などもあり、運用にはまだ余裕がない状態。この後更にE653系運用が増加しますが、それまでは予備車がかなり厳しい状態になっていました。

T15
長野回送2014/7/28(7/27 団体)
・いなほの定期列車が全てE653系化された7月の終わりに離脱。柏崎花火大会直後、長岡花火大会・お盆のピーク輸送といった前に離脱。前日まで運用入りという驚異的な稼働率でした。T16の代わりにくびき野に入りましたが、6月からR26にくびき野を託し直前まで特急運用に充当。いなほ運用撤退間際には再びいなほ運用をこなすなど、活躍は広範囲に及びました。

T13
秋田回送2014/12/25(12/15 臨時快速)
上沼垂色最後の編成として活躍。その前のT15が離脱した後も4ヶ月以上走り続けました。最終期は団体や臨時いなほにも充当。そんな活躍の最後は臨時快速。本来は北越で離脱の予定でしたが、大雪により柏崎で抑止、除雪終了後に新潟までの回送を兼ねた臨時快速をもって運用離脱。幅広い活躍の最後はイレギュラーなものとなりました。

K1
秋田回送2015/3/18(3/12 1059M)
2015/3改正により新潟車の運用は大幅に減少。それによる余剰車の発生は避けられず、その第一号となってしまったのがK1。ムーンライトえちご、えちご春の夜空の運転終了後も北越くびき野として活躍。ATS-P保有車なだけあり関東にも顔を出すなど、こちらも最後は広範囲に及ぶ活躍。ムーンライトえちごが消滅したため実質定期運用はなくなっていましたが、北越とくびき野で他の編成に混ざり活躍を続け、改正直前で運用離脱となりました。

R21
秋田回送2015/5/8(3/14 3361M)
R編成の若番車が離脱したということもあり、いよいよ485系の終焉が近いと思えるもののとなりました。クロハの前面に穴が開いてしまい晩年は痛々しかったですが、それでも最後まで使命を全うした姿はさすがの一言。おはよう信越の一番列車を担当した列車ですが、485系としての最後のおはよう信越もこの編成。そしてそれが最後の運用になりました。

R22
長野回送2015/6/17(3/16 8621M) EF64-1031牽引
・最終北越充当後、そのままの流れで糸魚川快速に充当。その後はずっと新潟に留置されていましたが、状態が落ち着いたためかいよいよの廃車回送となりました。最後まで連結器カバーが黒で統一されなかった編成ではありますが、長野への回送は第三セクター化されたえちごトキメキ鉄道としなの鉄道を経由することができないため自走できず、中央東線を経由することからパンタグラフ、検電アンテナ、連結器カバーを全て撤去し、EF64-1031に牽引されての回送となりました。

R27
長野回送2015/7/9(3/13 3376M) EF64-1030牽引
・くびき野としてラストを飾った編成。快速として稼働することはなく、改正後すぐに長岡へ疎開。R21編成が秋田へ旅立ったと同時に余裕が出来たためか新潟へ返却。同僚ともいえるR26編成が奇跡的な復活を遂げ帰ってきたことから、こちらも同じような復活を遂げるのかと思われましたが…R22編成同様の状態となりEF64-1030に導かれ長野へと向かい、役目を終えました。

T18
新津回送2015/7/7(クハ481-1508のみ) EF81-134牽引
秋田回送2015/8/10(残る5両)(3/13 3374M) 新潟→長岡EF64-1032
、長岡→秋田EF81-140牽引
・新潟支社からの発表があったように、5/30をもって全ての運用から離脱。以降新潟で留置されたままとなっていましたが、7/7に新津で保管されるクハ481-1508のみが新津へ回送され、残る5両も8/10に秋田へ回送。T編成として最後まで残った編成、そしてT編成では事情があったとはいえ唯一機関車牽引による配給で役目を終えることとなりました。なお、秋田回送の際は一旦長岡へ回送。その後秋田へ再び回送されています。

R23
長野回送2015/9/8(3/13 1058M) EF64-1030牽引
・北越8号充当後、新潟へ回送。その後3/16に一旦石打へ疎開されましたが、5/20に新潟に返却。運用入りも期待されましたが、どうやら再び石打へ。動きが見られない中っ再びひっそりと新潟へ戻りましたが、運用復帰は叶わず長野への回送となりました。牽引はEF64-1030。R27編成同様のスタイルとなりました。

R25
秋田回送2015/11/26(6/12 8621M)
・新潟車で数少ない稼働車として在籍しれいましたが、R26編成が出場した代わりに運用を離脱し、長岡へと疎開回送。その後の運用復帰は叶わず、2015年11月末に秋田へと回送されました。R22,R27,T18,R23は自走ではなく配給として回送されましたが、R25はR21に次いで久々の自走での回送となりました。

新潟の話 485系の形式解説

2015-02-26 22:25:07 | 485系まとめ
かれこれ5編成ほど新潟車の485系をまとめていますが、そこで少し出てくるのが、方向転換やら少し面倒な部分も出てきます。しかしよくよく考えれば、なぜ方向転換する必要があるのか、という部分も出てきます。編成のページごとに解説しているとその部分の分量も多くなるので、簡単にここで解説しておきます。

新潟の話になるので、新潟に在籍した車両以外の解説は簡略化・省略しています。他のページ同様、思い出したら付け足していくのでたまに増えます。


現在在籍している485系は、300番台,1000番台,1500番台,3000番台,3300番台と700番台の6種類です。過去には0番台,100番台,200番台も在籍しており、こちらのグループの発展系が現在の番台になるので、まずは過去に在籍していた番台を解説していきます。

・481系
485系列最初の形式で、「雷鳥」「しらさぎ」用として登場。以来直流/交流60Hz対応車として北陸・山陽・九州特急として活躍しますが、製造年数が早かったこともあり民営化される前に廃車されています。新潟とは無縁な車両ですが、モーターのないクハなどが485ではなく481を名乗るのはこの形式が原因。形式数を増やさないようにするという当時の方針から、モーターのない付随車は共通形式に、ということで、485系でもモーターのない車両は全て481系になっており、それが現在まで引き継がれています。ちなみに、489系は付随車も碓氷峠で協調運転を行うための栓が通っているため481ではなく489を名乗ります。

・483系
481系に次ぐ形式で、こちらは「ひばり」「やまびこ」用として登場。こちらは直流/交流50Hz対応車として東北特急用に活躍。481系同様老朽化のため民営化直前に全車廃車・保留車となりますが、「ひたち」増発の際車両が不足したためモハ482/483-13~15が運用に復帰しJR東日本が継承。1990年まで活躍した車両もあります。こちらも新潟とは全くの無縁ですが、485系の解説…ということで。481系で述べたように付随車は481を名乗るため、製造数が少なかった483系はモハ482,モハ483の2形式しか存在していなかったのも特徴。そのためモハ482/483が消滅した時点で形式消滅となっています。

・485系0番台/100番台

鉄道博物館保存 クハ481-26

485系0番台の派生形、489系0番台のサシ489-3を改造したスシ24-1。屋根上のクーラーが初期車の面影を残します。
485系では最初のグループで、先頭車はボンネット、中間車はキノコ型クーラーと呼ばれるタイプ(AU12)を搭載した車両のグループ。屋根上機器の都合でモハ484はAU12のクーラーとは別に床置型のクーラー(AU41)を3つ設置し、余剰スペースに車掌室が設置されています。上記の481系と483系もこのグループです。「雷鳥」「ひばり」などの増発を目的とし仙台や京都(当時は向日町。以下同じ)に配属。東日本地区では訓練車として残った写真のクハ481-26を含む編成が訓練車として2007年まで在籍。西日本地区ではクハ481の0番台はJR西日本に継承されなかったもののモハ484/485の0番台は2011年の「雷鳥」廃止まで活躍。九州地区では塗装変更を受けながら1995年まで活躍と、つい最近までその姿を見ることができました。JR東日本の保有するジョイフルトレインの種車として一部車両が改造されいますが、流用は最小限のみほとんど全て新製されているので生きていると定義していいのかは難しいところです…。
新潟に在籍した0番台は、京都で「雷鳥」として活躍した車両の一部が転入。他の番台と共通で使われ「雷鳥」「白鳥」などで活躍し、老朽化と組み替えによる余剰で1999年に全廃となりました。クハ481-27を除き全て「雷鳥」用編成として活躍、クハ481-27のみ途中から「いなほ」「北越」用T20編成へ組み込まれ、勝田からの転入車クハ481-332に置き換えられ離脱しています。いずれも座席のモケット交換と塗装変更。クハ481は運転台上を除いたライトをシールドビームへ交換。タイフォンカバーをHM下へ移設し、晩年は連結器カバーが小型化されていたのが特徴です。

485系100番台と同一形状のクハ489-1
100番台はクハ481-0のマイナーチェンジ車で、クハ481のみの区分。クハ481のMG容量アップと小型化、タイフォンのHM下への取り付けが行われています(クハ481-101のみタイフォンは後に改造してHM下へ移設)。0番台とは床下の機器配置とHM隣のライトケースの下の通風気の形状が異なるのが相違点。元々は東北特急の15連化に関したMG容量アップでしたが、東北特急へは後に登場する200番台の投入が決まったためわずか4両のみの配置にとどまり、ほとんどが京都へ配属。北陸特急として活躍し、「しらさぎ」に683系が投入された関係で余剰となったクロ481-2000が京都に転属し置き換えられる2004年まで北陸地区でその姿が見られました。489系の製造開始時がちょうど100番台製造時期だったこともあり、初期の先頭車は100番台がモデル。写真のクハ489-1もその1両ですが、タイフォンがHM下への移設が行われなかったのが特徴。JR西日本在籍時代にワイパーが増設されているため、オリジナルとはやや異なります。
新潟へは、京都に在籍していたクハ481-102のみが転属して配置。「雷鳥」用編成に組み込まれ、0番台と共通で使用。内装のモケット変更と塗装変更、連結器カバーの小型化が行われ、新潟車では最後のボンネット営業車として活躍し、1999年に廃車となりました。

・485系200番台

485系200番台の派生形、489系200番台に含まれるクハ489-604
ボンネットタイプの先頭車から一新した貫通型先頭車を含むグループで、489系200番台,600番台もこのグループです。元々は東北特急を2本連結し途中で増結・切り離しを行う多層立て列車として本数を増やせるようにと製造されたグループですが、計画が変更され東北特急の多層立て列車計画は中止に。それでもボンネットタイプよりも定員数が増えるというメリットがあったことから以降製造は100番台から200番台に移行されています。クーラーがそれまでのAU12からAU13E(クハ481、モハ485)とAU71A(モハ484)に変更。前面形状の変更で定員数が増えたクハ481の他に、床置きクーラーが廃止されたモハ484の定員数も増加したため、クハ481とモハ484にが200番台として製造されました。一方で、クーラーが変更された以外に変更のなかったモハ485,サハ481などは0番台のまま製造。モハ485の場合相方のモハ484が200番台にもかかわらず0番台として製造が続けられたため、以降1500番台・1000番台まで番号が一致しなくなります。また、モハ484は床置きクーラー廃止と同時に車掌室も廃止されたため、車掌室のあるグリーン車が編成の端に連結される青森地区では編成中間に車掌室を確保するために0番台ユニットを連結せざるを得ない状況に。このことから車掌室を備えたモハ484-600も誕生します。主に青森・仙台・京都に配属されましたが、転配が進み九州地区にも進出。運転台が狭く貫通路からのすき間風侵入により乗務員からは不評だったこと、すき間風により老朽化が進行。対策としてクハ481-200は貫通路の閉鎖改造が実施されましたが、東日本地区は1999年、西日本地区は183系改造車も含め2013年に全廃。九州地区のDo32編成としての車両が、200番台では唯一の現役車となっています。
新潟には、クハ481-200が3両、モハユニット1組が京都から転属。定員の関係からモハユニットは「いなほ」「北越」編成(T20編成)に組み込まれるものの定員が異なるためか編成組み替えの際に外され2000年に廃車。クハ481-200は「雷鳥」用編成として塗装変更とグレードアップ改造が行われ、「雷鳥」の新潟発着便廃止まで活躍。その後「雷鳥」編成は組成変更が行われましたが、200番台は全車その対象から外され、廃車になっています。

・485系300番台

クハ481-346。K1編成6号車として在籍、数少ない現役車。
運転台のすき間風侵入と運転台の拡大を行い、運転環境を整備したグループ。運転台の貫通路を廃止し前面形状がやや変更になった程度のものなので、所属するのもクハ481のみ。製造年数が200番台よりやや遅いので200番台よりは老朽化が進行していないからか、現在でも数両ながら現役。1000番台と共通で使用されています。

・485系1500番台

クハ481-1508。T18編成6号車に在籍、原形車としては最後の車両。
北海道地区で特急列車を運転する計画が持ち上がった際、製造実績のある485系で運転することとなり製造されたグループ。北海道で「いしかり」として活躍したものの、北海道の雪に対応しきれず役目を781系に譲り青森へ転属(この時、1500番台転属により捻出された200番台が九州へ転属。481系の置き換えが行われています)。北海道在籍時代は床下・台車が異なっていましたが、本州に戻った際に1000番台と同じものへ変更。その後青森・秋田で活躍しましたが、最終的に全車両が新潟へ転属。モハユニットの1500番台はグリーン車の連結を想定していないため車掌室を備えたモハ484-600をベースに製造、「雷鳥」用編成として塗装変更とグレードアップ改造を行い、「雷鳥」の新潟発着便廃止まで活躍。こちらはクハ481-200同様、組成変更時に外され廃車に。クハ481-1500は1000番台同様幅広い活躍を見せ、8両のクハ481-1500のうち、1両がクロハ481、1両が3000番台、5両がグレードアップ改造を施工。最終的に3両が余剰廃車、1両が事故廃車、2両がジョイフルトレインへ改造。1両は3000番台、1両は原形車として最後の活躍を見せています。

・485系1000番台

クハ481-1017。仙台A2編成6号車に在籍。クハ481-1000のままの数少ない原形車。
183系1000番台で成功した3MG化(客室用電源であるMGを3つ装備したもの)を485系でも取り入れ、耐雪装備を強化した、485系の最終製造グループ。1500番台同様モハ484は車掌室を備えたモハ484-600をベースに製造。クハ481もモハ484,485も耐雪装備のために床下機器が若干変更されています。また、モハ484-1025以降はクーラーがAU71Bへ変更、モハ484/485-1025以降には手すりが取り付けられています。そして最大の特徴は、3MG化のための栓(KE76)が設けられていることで、先頭車の方向が固定されている片渡り構造であること。他の番台は489系を除き先頭車の向きは固定されていませんが、1000番台では3MG対策のための栓を設けた関係で先頭車の向きが固定(番号が奇数車は奇数、偶数車は偶数向きに固定)されいるため、先頭車の向きを変える際は改造が必要になります(T18のクロハ,R21のクハなど、方向転換のために改造をするのはこのため)。先頭から見るとジャンパ栓の本数が3本(他のボンネットを除いた番台は4本。ボンネットは栓なし)なのが相違点で、奇数車と偶数車では3本のジャンパ栓の配置が異なります。現役車はほとんどが3000番台へ改造されていることから原形車は数が少なく、新潟からはT13編成が廃車されたことにより原形の1000番台は消滅。残る車両も間もなく終焉を迎えようとしています。

モハ484-1016。屋根上のクーラーとパンタ周りがやや異なり、こちらはモハ484-200,600,1500のスタイル。

モハ484-1052。屋根上の形状が先程のものとは異なり、現在生き残っている485系としてはこちらが標準ですが、485系列で見ると少数派です。

ここまでが新製車になります。そして残る3つの番台と、1つの改造形式を。

・クロハ481形

クロハ481-1023。現在は廃車になった、T17編成の1号車。
クハ481-1000を主な種車として、運転台側にグリーン車を設置した改造車。1両すべてをグリーン車にするほど需要は見込めないものの、グリーン車を最低限連結しなければいけない列車に連結するためのもので、元々は秋田で「たざわ」、青森で「はつかり」として改造したもの。改造種車のクハ481-1000は奇数向き・偶数向きの判別を車番で行っていましたが、クロハ481形は種車に関係なく改造順に番号が付けられているため、ぱっと見ではどちらが奇数向き・偶数向きかの判別ができなくなっています。1001~1009までが「たざわ」用で偶数向き(グリーン席定員12名)、1010~1020、後に増備した1021と1028~1030が「はつかり」用奇数向き(グリーン席定員16名)、1022~1027が「いなほ」用で偶数向き(グリーン席定員16名)と区別がされており、全て青森方を向くように改造されています。青森・秋田に配置されていましたが、一部余剰車が新潟へ転属。その際車両の向き・グリーン席の定員が変わった車両もあり、その都度改造が行われた結果、改造時の法則は成り立たなくなっています。外観はグリーン車マークが貼り付けられた程度であまり差はないですが、新潟車は一部編成のグリーン車部分のみクーラーをAU112に交換しています。一部車両は3000番台へ改造されています。

・485系3000番台

クハ481-3018。R21編成6号車に連結される、標準タイプの3000番台。
485系1000番台を中心に、内外装共にリニューアルを施した車両。新車並みにリニューアルを施した改造車で、デッキ・座席などを総取り換えし、トイレの改修・撤去を行っていま。車いす対応トイレと多目的室を設置した車両もあり、その車両のみ種車の1000番台とは定員数が異なります。側面窓の大きさも拡大し乗降ドア、車内ドアの更新をも行っています。屋根周りは、モハ484に空気遮断機が増設された程度で、床下はクハ・クロハの空気圧縮機を三相誘導電動駆動のものに交換し床下に移設、MGが静止型SIVに変更された程度(このため運転台下のルーバーが廃止)で他は種車の485系1000番台のままになっています。そのため床下と屋根周りは種車を引き継いでいるため、1000番台の1024までの車両と1025以降の車両の違いは3000番台でも表れています。番号は種車のものに+2000をしているだけで、反対に3000番台の車番から-2000をすると種車が分かります。青森と新潟で改造され、新潟車のみクーラーをAU112へ総取り換え(一部車両はクーラーを更新せずにAU13Eのままの車両も存在)し、青森車は雪対策として運転台周りとドア回りに雪覆いをつけているほか、余剰車が盛岡へ転属し「ジパング」としても活躍。現在在籍してる485系の大半は3000番台ですが老朽化も進んでおり、廃車も進行中。こちらも終焉が近いと思われます。

モハ484-3074。車いす対応トイレ・多目的室を追加改造で設置しており、その分座席定員が減っています。

モハ484-3022。種車の1000番台と大きな変更点はないので、屋根周りの違いが3000番台にも表れています。

・485系3300番台

クハ481-3342。R22編成6号車に在籍。先程のクハ481-3018とはわずかながら差があります。
485系3000番台に属するグループで、3000番台との違いは種車が300番台か1000番台の違いのみ。外観の床下が300番台のものを引き継いでいるため3000番台と異なるといった違いだけです。内装は編成単位で3000番台改造を行ったことから3000番台と同一で、種車の300番台は両渡り構造のため先頭車にジャンパ栓が4本ありますが、3300番台へ改造すると同時に3本へ改造され、実質クハ481-3000と同等の仕様になっています。番号は種車のものに+3000で、編成全体で3000に揃えるようになっています。
ちなみに、485系1500番台から改造された車両もあり、同じように床下が異なるため番号が分けられており、3500番台を名乗っていましたが、1両しかない区分であり、唯一属していたR24編成のクハ481-3506が廃車となったため、形式消滅しています。ただ、3000番台改造を受ける前にクロハ481へ改造されたクハ481-1501は、クロハ481の番号、クロハ481-1020で3000番台化されたため、3500番台ではないものの、現在唯一の元1500番台車の3000番台として活躍しています。

・485系700番台
波動編成として在籍するNODOKA、きらきらうえつ編成が名乗る番台区分。従来車とは内外装共に全く異なるために番台区分が分けられたのみで、車体は新製のため種車の面影はありません。こちらはここではなく、各編成のページで解説していけたらと思います。


ざっとこんな感じですが、追加があればまた書き足していきます。

以下の書籍を参考にさせていただきました。より細かい内容を知りたい方はこちらも参照ください。
・形式485系 イカロス出版様
・鉄道ピクトリアル 2014年11月号 485・489系電車(Ⅰ) 株機器会社電気車研究会様
・鉄道ピクトリアル 2014年12月号 485・489系電車(Ⅱ) 株機器会社電気車研究会様