ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

映画「レオン」をどう見るか。(追記あり)

2016年09月19日 05時51分22秒 | 映画
先日のTVのニュース映像に「ナタリー・ポートマン」が映っていた。たしか、どこかの国の映画祭でレッドカーペットを歩いているひとコマだったように記憶している。

ナタリー・ポートマンの現在の年齢は確か30代半ばぐらいと思います。
「知性と美貌を兼ね備えた」と言う言葉があるが、これは彼女にこそふさわしい言葉です。

イスラエルに生まれた彼女は幼少時にアメリカに移住します.彼女は子供の時から学業が優秀で、ハーバード大学に現役合格をしているそうです。まさしく才媛ですね。日本でいえば東大出の映画女優という事になるでしょうね。

さて、彼女がヒロインを演じた代表作に「レオン」があります。
ストーリーのあらすじは他のサイトに譲りますが、プロの殺し屋であるレオンと、弟や家族を殺された少女マチルダの奇妙な共同生活を描いたものです。
レオンでの映画出演がナタリーのデビュー作です。この映画で彼女の演技は高く評価され、天才子役ともいわれました。

さて、レオンとマチルダの関係は、どのようにこの映画では描かれているのでしょうか。
この映画の日本公開時に日本ヘラルドがつけたコピーは「凶暴な純愛」だったとのことです。
たしかに、「中年男と少女との純愛」が映画の展開の主要なモチーフになっているのは否定できませんが、監督のリュック・ベッソンが描きたかったのは「純愛」ではなく、もっと別なところにあったのではないでしょうか。

この映画の試写の段階では、かなりの暴力的な画面や「大人の男性と幼い少女が愛の言葉を交わしたとか」の場面があり、それが公開に相応しくないとの意見により削られたことがあったようです。
この映画が公開された1994年頃のハリウッド(今でも?)では同性愛や少女愛を描くことはタブーとされていましたからそれも無理からぬことなのでしょうね。
リュック・ベッソンが本当に描きたかったのは「純愛」なのか「タブー」なのか、どっちだったのでしょうね。

今では「同性愛者同士の結婚」までも承認される時代なので、仮にリュック・ベッソンが今この映画を作ったとしたらまた別の内容になっていたかもしれません。

「男性と幼い少女との愛」は一般には「ロリータ・コンプレックス」と言われています。
ギリシャ神話に出てくるゼウスという神は見方を変えれば相当な「ロリコン」なわけで、古来から「ロリコン」は神の領域にも存在したのであるから、現実の人間社会にもその現象が見られることはむしろ自然なことのように思われます。
このことを研究している精神分析学者もいるわけですので。

余談ですが、ナタリー・ポートマンはハリウッド女優のなかでも最も胸が小さいほうと言われています。
彼女は子供のころから菜食主義者だったとのことです。
成長期に胸の成長に役立つ肉などの動物性たんぱく質や脂肪類をとることがなかったのも小ささの原因かもしれませんね。
(オイオイ、映画レオンと何の関係があるのだ!!)

ここで思い出したことがあります。レオンでのマチルダの「首飾りのリボン」が流行ったことがありましたね。
これです。

この映画が公開されたのちに、若い女性の間で流行ったそうです。知人にもこれをしていた子がいましたね。
これの名前がマチルダ・チョーカーというのはつい最近知りました。


またもや、へんてこなブログの結末になってしまいました。お許しを。

(追記)

これまでは、リュック・ベッソンが本当に描きたかったのは「純愛」なのか「タブー」なのか、どっちだったのでしょうね、と書いたのだが、どうも私の考えが少し間違っていたことに気が付きましたので補足をします。
それはこうです。
「純愛」と「タブー」は相反することのように述べましたが、「純愛」を突き詰めると「タブー」の領域に入り込むこともあり得ることは想像できます。
ですから、リュック・ベッソンはそのどちらも描きたかったのかもしれません。

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