ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

寺山修司記念館を訪ねて、三沢の犬に出合う。

2016年09月20日 11時38分23秒 | 美術 アート
三沢市の寺山修司記念館で森山大道(もりやま だいどう)と言う写真家の企画展が行われているとのことで、所用のついでに寄ってみた。

森山大道と言う写真家は現在77歳になる方だそうですが、その人の撮る写真を一度見てみたいと思っていました。
聞くところによると、型破りな写真を撮る写真家とのことなので、はたしてそれがどんなものなのか、とても興味があったのです。

私などは写真はピントがちゃんと合っていて、構図がセオリー通りになっているのが良いと思っている旧式の人間なのですが、森山大道氏の作品はそれらとは全く無縁の写真であるらしい。

お昼をとるために立ち寄った三沢空港にも、大きくポスターが貼ってありました。これです。


寺山修司記念館で行われている森山大道氏の写真展は「裏町人生~寺山修司」展と銘打っておりました。

「裏町人生~寺山修司」という森山氏の写真集が記念館でも販売をしておりましたが、すぐ手が出る価格(4,500円+税)ではありませんでしたので、それの購入は断念しました。

さて、一番見たかったのは氏の「三沢の犬」でした。まずはホールの床から天井まで達するまで拡大された「犬」の写真が目に飛び込んできます。

迫力に圧倒されます。35mmフィルムを拡大した写真なのです。その「ザラツキ、明暗のコントラスト」が特徴的な作品です。
そして、何よりも引き付けられるのは被写体である犬の相貌なのです。その犬は明らかに野良犬です。
決して、飼い主によって手入れされることのない毛並と、見る者を威嚇するかのような目つき。
それらの相貌は、かってどこの街の路地裏にも生息していた風景なのですが、久しく私たちはそれを忘れていました。

この写真が撮られたのは1971年だそうです。
1971年と言えば、それまで吹き荒れていた全学連や全共闘などの学生たちによる「社会にノーを突き付ける運動」が終息の局面を迎えている時期と重なります。
今また、この犬を見たことは、忘れ去られていた1970年前後の彼らの姿に重なり合うものとして、私に飛び込んでくるのでした。

「三沢の犬」をこのように観たわけであるが、「三沢の犬」の眼はこの写真を観ている人のほうに向いています。
ですから「三沢の犬」は実は見る人を見ていることになります。

森山大道氏のこの写真の意図はわかりません。
1971年の三沢の街の路地裏で見かけた犬は、そんな今の私たちの有様(ありよう)に鋭い眼光を向けているようにも見えてくるのです。

この犬の眼は私たちの何をどのように見ているのでしょうか。



きょうは、寺山修司記念館での森山大道氏の写真展の話でした。
寺山修司にまつわる個人的な話もあるのですが、それは次回という事にします。


<追記>
寺山修司記念館では3年前に訪れた時には写真撮影が禁止であったのです。
今回は写真撮影の許可をえて、ブログに掲載する旨を申し出て写真を撮りました。ただし、ストロボを使用しないこと、他の人の観覧に支障をきたさないこと、が撮影の条件でした。
多くのそれらの美術館などの施設では今もって、写真撮影は不可のところが多いのですが、このたび訪れた寺山修司記念館の英断に感謝してお礼を申し上げたいと思います。
ちなみに7月に訪れた酒田市にある「土門拳記念館」も写真撮影を申し出て、許可をいただいたことがあります。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿