ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「仮想通貨」は今のままでは「幻想のルール」とならざるを得ない

2018年02月03日 11時43分07秒 | 歴史と風土
「仮想通貨」の流出事件について、先日も記事にしました。
きょうはその「仮想通貨」をめぐる問題について少し考えてみる事にします。
「仮想通貨」の仕組みは、素人の私などがいくら考えてもむづかしいのですが、「ブロック・チェーン」という技術に基づいた一種の「データーベース」のシステムだそうです。

今回の事件は「仮想通貨取引所」が管理する「仮想通貨」が何者かにより、個人から他の個人にその所有権が移転されてしまった事件です。

本来ならば、ある個人の所有する「仮想通貨」はその人だけにしか、他への送金はできない仕組みになっていたと考えられますが、それなのに何者かの手により勝手に送金が出来てしまったのです。

さて、「仮想通貨取引所」は銀行とは違いますね。でもやってることは、送金ができるので銀行の送金業務と似ています。
また、この「仮想通貨」が「実体通貨」と著しく異なっているのは、それが投機の対象になりうることです。
この点から見ると「仮想通貨」は有価証券などと同じように、価格の高低が生ずるので、その取引所は証券会社のような性格を持つと考えることが出来ます。
このことは一般の商品取引所にも似ています。

株や商品取引の世界では儲けることもあるけれども、損することもあるわけです。
株取引で損失を出してもそれはその株を売買した人の個人責任ですね。

今回の事件は「仮想通貨の不正流失」が問題なのですから、システム自体や管理の方法に何らかの欠陥があったと考えるべきです。
そしてまた、「仮想通貨」にはシステム上では欠陥は無いというような完全なシステムではなかったことが露呈した事件でもあります。
今の仮想通貨のシステムは、ヒトの信頼性が完全なものであることを前提に成り立っているシステムと考えるべきです。
でも、現実には「完全なる信頼性」を他に求めること自体が、困難なことなのです。

そもそも、実体経済でも、ほんのちょっとした国家指導者の言動が株価に反映されてしまう危うさを持っていることは、日々の報道での株価や為替レートの変動を見てもわかるでしょう。

現代の資本主義を称して「カジノ資本主義」と言った人がおりました。
<金融工学>を駆使して、わずかな為替変動の機会をとらえて、通貨の売買により多額の価値を得ることが出来る人がいる一方、それらの世界とは縁遠い場所に置かれている人たちも存在していることも事実です。
現代世界の基本的な問題は、「富の偏在」にあるとする考えがあります。
「通貨」が「商品」として流通されると、そこには実体以上の<価値>が発生してゆくのだと考えられます。
これは「物が商品として生み出される資本主義経済が持つ宿命」みたいなものです。

ヒトの持つ欲望には限りがありません。その欲望を制御できるまでには、ヒトの人智は至っていないと考えるべきです。

ですから、今回の仮想通貨の流失問題などはこれからも先、限りなく起こっていく可能性があります。
仮想通貨は、<幻想による価値の増大>を捨て去り、単なる支払いや送金のシステムだけにすれば、これからも生き延びる道はあり得ますが、今のままのシステムでは、使い道のない、<幻想>だけがのこるのみです。
現に「電子マネー」や「Suica」「お財布ケイタイ」は単なる決済手段として機能しています。

安定性を欠くシステムに依拠して、「儲かりそうだから、わたしも買ってみようか」と考えた投資家にも自己の責任はあります。







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