ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

『平成最後の〇〇』という考え方

2019年02月05日 21時42分52秒 | 歴史と風土
昨年暮れあたりから『平成最後の〇〇』という言葉を頻繁に聞くようになっています。
昨年の大みそかは「平成最後の大みそか」であり、「平成最後の紅白」も行われたのです。
また1月14日は「平成最後の成人の日」だったわけですね。

さて、この『平成最後の〇〇』には特別大きな意味はあるのでしょうか。
当然のことですが「平成」や「昭和」という年号は日本国独自のものです。よっぽどの日本びいきの外国人や研究者でもなければわが国の「元号」に興味を持ってる外国人はいないかと思われます。
日本に居住している「日本人」でさえ「元号」がなぜ存在するのかについて答えられる人はどれほどいるのでしょうか。
日本にいる日本人にとって「生まれた時から<元号>があった」のですから改めてその意義を考えることなどは必要とはしません。そしてまた「元号を支える制度」がなぜあるのかを考えることもないわけです。

さてここで元号を使う利点と欠点を考えて見ましょう。利点として挙げられる事は、時間の経過を「時代」として捉える事ができる事です。江戸時代に幾たびかの社会と政治の改革が行われました。江戸時代の「三大改革」には享保の改革、寛政の改革、天保の改革、があります。
享保の改革は西暦1716年(グレゴリア歴)に始まりましたが、これを「グレゴリア歴1716年の改革」と言ったところで私たちにはピンときませんね。
このように或るときに或る出来事が起きた時、それを元号で記述することはその時代の特徴として記憶するのには適しています。これは元号が通用する国の中では便利なのです。一方、その出来事が他国や世界の中でいつの頃に起きたことかを理解するのには元号を西暦に換算しなければならないという不便さがあります。享保の改革は西暦1716年ですので、これは西洋歴(グレゴリア歴)では18世紀の初めにあたります。ヨーロッパでの18世紀の初め頃は絶対王政がゆらぎ始めた頃です。近代市民社会の萌芽が見られ国民国家の形成が準備されていた時期なのです。
このように西暦で歴史をとらえることは、自国と他国の当時の様子を同時に考える上では役に立ちます。

さて、元号が変わることを「改元」と言いますが、これは「遷都」にも関係する事柄とわたくしは思っています。天災などの大きな事変が起きた時、その地域の領主の居在地(今でいう首都のこと)を変えた事例があります。奈良の「明日香」に首都があった時を飛鳥時代といい、その後平城京や平安京と首都が置かれた場所が変わりました。これは首都を変えることにより、世の「出直し」をしようという意図もあったのかもしれません。しかし、これには莫大な経済力が必要となります。新しく首都を作るのですから大変な事業な訳です。そこで「遷都」は行わず元号だけを変える簡便な方法で世の「出直し」をしてしまおうという方向にシフトしていったのでしょう。(遷都を伴わない「改元」はそれまでにもあったことは事実です)

改元には世の「出直し」という意味があったと思われるのです。そこで不思議に思う事があります。
今さら、21世紀の日本で「改元」をして「出直し」などしなければならない必要性はどこにあるのでしょうか?わたくしなどにはとても不思議に思われるのです。

ことしの5月には新たな元号が決定されますが、その最初の祝日を「〇〇最初の子供の日」などとおかしなことを言うのでしょうね。
テレビや新聞などのマスコミの人たちが「〇〇最初の〇〇」と言いたいならば、元号の持っている基本的な意味の一つも国民大衆に分かるように解説や評論をしてくれたらと思ったりもするのです。

PS
西洋においても時代の特徴により歴史を区分けすることがあることは否定するものではありません。
たとえば「ビクトリア朝時代の文学や絵画」というように使われることまで不思議だと言ってるのではありません。



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