ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

手編みのセーターの価値は?

2018年04月25日 20時34分10秒 | ことば
わたしたちは日常で様々な製品を消費しています。
それらの作られた物が今、わたしたちの目の前にあります。
生活上の便利なものが多くあります。

ある日突然、何かが出来上がっているなどという事はあり得ない事です。
物が出来上がるまでには、それなりのプロセスがあって初めて可能になるのです。
便利なものを手に入れるまでには無数の出来なかった物がその背後にあったからなのです。

工業製品のみならず、個人が物を作り出す場合にもそれは当てはまります。

ここで、恋人にプレゼントする為に毛糸でセーターを手編みしている女性がいるとしましょうか。
その人は、相手の人に喜んでもらいたくてセーターを手で編んでいるのです。
お店で買ってきたってそんなには高いものではないでしょう。
だからその女性は、お店で買ってきたセーターをプレゼントすることが出来るのですが、あえてセーターを手編みしているとします。

工場で機械生産されたセーターと手編みの物とでは、受け取る人の印象が大きく変わります。
店で購入した物にはデザインも含めてその品の価格をおおよそ推定することが出来ます。
価格が高いものにはそれなりにデザインが良いとか、どこかのブランド品であるとかの特徴があるわけです。
人間が作り出す物は、一般的には貨幣と交換可能な商品として生産されています。
これは一次産品であろうと二次産品であろうとサービス業務であろうが変わりはありません。

これに対して、一点物の手編みのセーターの価値は、それらの「商品が持つ価値」とは明らかに異なっているのです。
手編みのセーターには商品価値とは別の価値がそれに内包されています。
一般に売っている商品とは違う価値です。
女性が自分の為に作ってくれたという、一点ものという特別な価値があります。

手編みのセーターが持っている価値の中身は何でしょうか。
まずそれはこのセーターがプレゼントされる人だけのための物であることです。
世界にただ一つの物だという事です。商品として流通しないことを前提とした物なのです。

このことは、実は不思議なことなのです。
流通しないことを前提にした生産物があることです。
一般には「物には、交換価値がある」と考えられていました。
この場合、手編みのセーターにはどの様な「交換価値」があるのでしょうか?
そのセーターの「交換価値」は贈られる相手の人からの「愛情」なのでしょうか?



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さて、どちらのバイクに保険... | トップ | 行司は権限のない審判? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ことば」カテゴリの最新記事