ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

鳥海山ツーリングと石原莞爾の墓

2013年07月19日 15時29分12秒 | 秋田県のくらしと歴史
先日の7月15日は、久しぶりの晴れでしたので、ツーリングに出かけてみました。
行った先は鳥海山です。鳥海山は出羽富士とも呼ばれ秀麗な姿で秋田と山形の県民には親しまれています。
秋田県と山形県の両県にまたがっていますので、地元の人々は「おらほから見る鳥海山が一番だ」と自慢をしているようです。
さて、そんな鳥海山ですが秋田市からは「日本海沿岸東北自動車道(日沿道と略称)」を利用すると手軽に行く事が出来ます。日沿道は秋田県の「にかほ市」の金浦(このうら)まで延伸しています。金浦インターを出て15分も国道7号を南下すれば、にかほ市象潟の鳥海山の上り口に着きます。
象潟からの鳥海山の眺めを期待してたのですが当日はあいにくの曇り模様。雲がかかりほとんど山の雄姿を見ることは出来ませんでした。
鳥海山の五合目の鉾立(ほこだて)までは「鳥海ブルーライン」という山岳路を通ります。「鳥海ブルーライン」は設立時には県営の有料道路でしたが今は無料で通行できます。五合目の鉾立までは象潟より20kmぐらい、時間にして30分も走れば鉾立駐車場に着くことが出来ます。
駐車場には登山客向けのエリアと一般客向けのエリアに区分されていますが、一般用のエリアはガラガラなのに対して、登山客エリアには多くの車が留められていました。今のシーズンはやはり登山客が多いですね。山で一夜を過ごした人たちが続々と下山してくるのに出会いました。

鉾立に近づくにつれ、それまでは文字通り霧中走行の状態でしたが、霧もはれて雲の上に出ます。

下界を見下ろすと眼下に雲が広がっていました。天空路を走っている気分になります。晴れ渡っている山岳路も気持ちの良いものですが、雲の上を走るのもまた味がありますね。鉾立の標高は1150m、雲を下に見る眺めも良いものです。

鉾立の南側には少し晴れ間があり、庄内平野の北端を眼下に望むことが出来ました。

この写真で見ることが出来る集落は酒田市の北に位置する「遊佐町(ゆざまち)」ですね。
遊佐町は母の実家があった所で子供の頃にはよく遊びに行ったものです。

しばらく景色を堪能してから下山しましたが、帰りは山形県側に降りるルートを取りました。
山形県側の鳥海ブルーラインは象潟からの登りに比べれば勾配は緩やかで走りやすいのですが眺望はあまり良くありません。木立の中を進んで行く感じです。
鳥海ブルーラインの山形県側は国道7号と遊佐町で交わりますがその地点より少し南下すると、遊佐町の道の駅「鳥海ふらっと」があります。そこで軽く昼食を取りました。

「鳥海ふらっと」で少し休んだ後、帰路につきます。「鳥海ふらっと」から数分ぐらい北上したところにもう一箇所、寄って見たい場所がありました。それは次の画像の場所です。

なにやら、墓所みたいなところですね。
ここには石原莞爾という元帝國軍人の墓があります。石原莞爾は庄内平野の鶴岡出身の人物で、晩年は現在の遊佐町高瀬に居を構えていたそうですのでこの辺りにお墓があるのでしょう。
さて、このお墓は円形墳墓の頂上に石柱があるのみで、石材を何段にも積み重ねた普通のお墓とは趣を異にしています。墓地の左隣には赤御影石の石碑が建てられています。

石碑には石原莞爾のレリーフとその下に碑文が記されています。
碑文にはつぎの文字がありました。
レリーフのすぐ下には横書きで「永久平和」とあり、その下には「都市解体」「農工一体」「簡素生活(生法かもしれません)」と3行の標語と石原莞爾の字を読み取ることが出来ます。

石原莞爾という軍人は古今東西の戦史の研究を通じて独自の歴史観を持っていたようで、太平洋戦争を「世界最終戦争」と捉えその後に世界に永久平和が訪れるとの見解を持っていたようです。
また、「東亜連盟論」を唱えたりして、わが国の近現代政治思想史上でももっと研究されて良い人物でしょう。
そういえば、庄内出身の人物に「大川周明」もおりますね。酒田市の出身ですね。極東軍事裁判で東条英機の頭をポカリと叩いたので知られていますね。

そんなことなど思い浮かべながらバイクを走らせて秋田市をめざして一路走ってきました。
なにやら、取りとめの無い雑文でしたが本日はこれまで。



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