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長野の北アルプスに囲まれてすごした中学3年間の山村留学を終え本物のスイスアルプスを臨む高校に入学したモトと家族の日記

スイス列車事故

2010-07-24 | 雑記
今さっき、お義母さんと電話で話していて

「 スイスの列車事故・・・ 怖いね~ motoたちは大丈夫? 」

と聞かれ??? 1日、ほとんどテレビをつけなかったので知りませんでした~(^^;

慌てて ネットでニュースを見て、 KLAS父母のMIXIサイトをチェック。

日本人観光客の被害者が多く大惨事。

KLASの子供たちが 1日違いでそちらの方向へ旅行に行くことになっていたとか。。。


下記、ニュース抜粋です。 

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スイス南部バレー州でのアルプス観光列車「氷河特急」の脱線事故で、
乗っていた日本人女性(64)=兵庫県尼崎市=が死亡した。

また、日本人女性3人が意識不明の重体となっている。ツアーを企画した全日空系
「ANAセールス」が24日、発表した。
在ジュネーブ出張駐在官事務所によると、日本人38人を含む計42人がけがをした。

列車は機関車と客車5両の6両編成。事故は23日正午(日本時間午後7時)ごろ、
スイスとイタリアの国境近くのカーブで起きた。列車は南部のツェルマットから
中部のアンデルマットに向かう途中で、後ろの3両が脱線し、うち2両は完全に
横倒しになった。

現場では、医師や消防隊員計80人以上が救助・医療活動に当たり、11台の救急車と
9機のヘリコプターがけが人をジュネーブやローザンヌなどの病院に搬送した。
約10人が深刻なけがで、少なくとも3、4人は集中治療室で緊急手術を受けている
という。

乗客約210人のうち、日本人は少なくとも77人。ANAセールス(15人)のほか、
JTB系・JTBワールドバケーションズ(22人)、阪急交通社(40人)の
ツアー客と添乗員がいた。脱線車両には、JTB系とANA系の客が多く乗っていた。

事故現場から車で約30分の町、フィスプのバレー州立中央オーバーバリス病院には
事故でけがをした日本人数人が入院中。列車に乗り合わせた観光客は24日未明
(日本時間同午前)、地元テレビの取材に対し、「日本人たちは血まみれだった」と
証言し、突然の惨事に震えていた。

別のスイスのテレビ局の映像によると、無事だったドイツ人女性は
「急ブレーキがかかったように感じた。2度がくんとして、車内の物がすべて下に落ちた」
と車内の様子を説明。スイス人男性は「転倒した車両を見て本当にショックだった」と
話した。

同列車の運行会社によると、現場付近では数日前に線路の点検作業が行われており、
警察当局は線路の状態と事故との因果関係について慎重に調べているとみられる。
また、24日付のトリビューン・ド・ジュネーブ(電子版)は
「この数日間は寒暖の差が激しかったため、レールが変形していた可能性がある」
と指摘している。

     ◇

ANAセールス広報室によると、重体の女性は71歳と68歳=いずれも横浜市=、
62歳=千葉県。このほか重傷3人を含む計8人がけがをし、病院で治療中。
7組の夫婦がツアー客だった。また、JTB広報室は24日午前までに、
同社系の客と添乗員12人の入院を確認した。
そのうち女性(60)=長野県=は骨折、手術が必要な重傷という。
このほか2人は集中治療室に入っているが、命に別条はないという。
阪急交通社の広報担当者によると、男性客(60)=千葉県=が頭にけがをして病院に
運ばれたが、意識ははっきりしている。ほかの39人は無事で、ツアーを続ける。



初テレフォン♪

2010-07-17 | 雑記
♪なんてことでしょう~~~♪

スイスのmotoから なんと電話がきました~

ラケット、まだ?? の催促かと思ったら

“ フランスのTRIP ” に参加しても良いかのお伺いでした。


この他・・ いくつか情報をゲットしたので21期の父母の方と共有したいと思います(^^


えーー まず、全般的に結構忙しくしている様子で

宿題も出ますし、すでに宿題を忘れてクロス(×)をもらってる10年生もいるとか、、

本人が不安に思っていた寮の部屋割りは

とても良かったようで 先輩からいろいろな情報をもらってる様子。


「散歩」という名の、いわゆる「デート」?も お盛んなようです(^^

が・・・ 後日情報では、デート未満の・・・ 

” ちょっと お話してみたいなぁ~ ” という場合も

割と気軽?? に、 誘ったり誘われたり・・・ の「お散歩」ということです(^^


誘われた人は、 基本1度は受け入れると言うのが暗黙のルール?

8月には、 近くで 「 花火 」 があり、

お散歩して ハートに点火?された場合・・・

「 花火、一緒に行こう?! 」 と言うのが、つまりは「 好きです! 」

という告白の意味を持つのだそうです。(たぶん、、、)


いやーーーー 青春してるな~~~♪


中には ちょっとヤバイ人もいるけどね、、、、 と。

その「ヤバイ」って・・・ どーゆーヤバさなんだ~~~???

( motoは、3年間、 山村の刺激の少ない田舎にいたため 今どきのあれこれ~に

  免疫がないので、 一般にはあまり気にするほどのことではない場合が多いです(笑)



クラブは来週辺りから 始まるようで

早く ラケットーーーー と やっぱり言われました。


そのほか・・・ 学校の中は 陰組と陽組に分かれているとのこと。

まぁ、これも彼の主観なので何とも・・・ですけど・・・


全般に楽しく充実しているらしいです。

冬休みが思ったより長いことに motoは異常に喜んでいました。

一般の高校生より少ないような気がしますが

何せ比較対照が 山村留学なもので、毎年10日足らずの冬休みだったので

確かにそれに比べたら充分長い!


あとは・・・ 今日の関東父母会で、 進学コースをACPにするか、JCPにするか・・

という話が出ていましたが タイムリーな話しができ良かったです。


本人は ACP・・と思っていたところ、 先輩から「成績が相当よくないと無理・・」

という情報を得たらしく motoは、どうにも迷って決められない様子。



また、 折を見て そのことについて話し合う約束をして電話を切りました。

高校生になったばっかりで、 すぐに大学生の自分をイメージするって言うのは

確かに難しいことです。

ある程度 こちらでも情報提供が必要かな。。。。

KLAS関東父母会

2010-07-17 | 父母の会
スイスへ行ってしまったmotoからは 予想通りの音信不通状態で・・・

まったく現地情報が得られないため、今ひとつ更新頻度の上がらないこのブログですが、、

今日は、 スイス公文学園・関東父母会があり都内まで行ってきました。



午前中は、役員会で大まかな流れなどを確定する会議があり、

午後からの父母会では、 卒業生の保護者の方による、大学受験体験談をうかがいました。

新入生はまだ先週入学したばかりではありますが、

年内を目処に、 日本の大学を受けるか(JCP)、海外の大学を受けるか(ACP) 

進路の方向性を決めなくてはいけないので

1年生(10年生)と言えども とても参考になり、伺えて本当に良かったです。

親として気をつけておくべきことは

・8月後半~9月に配布される「受験の手引き」をよく目を通して流れを掴んでおくこと
 
 推薦など必要な手続きの手順なども記されています。

・TOEFL、IELTS、英検等は申し込み&受験スケージュールを把握して

 よりよいスコアを目指すようにする。

・大学の情報収集をしておく

ということです。 結構、子供はのんびり構えがちなので

押し迫ってから大慌て・・・とならないように、ある程度のチェックは必要であると。



また、開会直後には事務局の方から、新入生の渡航~学校での様子を

お話していただきました。

内容としては・・・

機内では英語のテレビや映画を見るなど、騒いだり立ち歩いてはしゃぐこともなく

みな大人しくすごし、乗り換え時もとてもスムーズでトラブルもなく

少し早めに学校に着いたそうです。


夜遅くの到着ですが、 例年 上級生全員で新入生のバスを出迎えてくれ、

新入生の荷物を上級生が運んでくれるのだそうで、 

まずはそこで新入生は感激するとのこと(^^

新入生は、特に不安と緊張、長旅の疲労の中でのことですから、 

ちょうど程よく弱ってるところに その歓迎モードは結構心に響くと思われます。

なかなか良い文化ですね。。。。

学年のカラーとしては、大人しい印象のようですが、以外にも授業には積極的なのだそう。

早速、 明日の土曜日は試験があるということで

motoはきっとプレッシャーで お腹が痛くなってると思います~(笑)


今日の役員会の時に もうすでに子供から連絡が来ている方もいて、

ちょっと羨ましく・・・・ 

motoが 私たちを思い出すのは、 きっと

“ あれ? テニスラケット 届くのおっそいなーー ちゃんと送ってくれたんか~? ”

というタイミングあたりでしょう~

motoの3ヶ月総括

2010-07-11 | 入学まで
さて、motoのこの渡航までの3ヶ月を振り返ってみると・・・

公文の課題遂行のため、特別に6月いっぱいまでという期間限定で

週に2回 近くの公文教室に通学し毎度2時~7時すぎまで入り浸りのmoto。

室長さんが、「週に2回と言わず、7月の出発まで来れる時はどうぞ♪」 と

少しでも課題が前に進められるようにとご配慮や、最終日はスイスで頑張ってきてね! 

と温かいエールもいただきました。


毎回叱ってくださるというフランス語の先生は 

ぐだぐだ?のmotoに かなり苦戦された様子が伺い知れ

「 motoの授業の日は、先生の方が登校拒否したくなるだろうね~ 」という私の言葉に

「 ・・・ だろうね~ (苦笑)。。。 」 と、moto本人が言うくらいで

“ 先生のやる気をそぎ落とす生徒 ” motoは、 

教える先生にとって、非常に根気の要る生徒だったに違いありません、、、

あまりにぐだぐだで、たぶん途中でやめてしまうだろうな・・と思う私の期待?を裏切り

意外にも、最後まで通い続けたmotoに

だったら、もうちょっと しっかり取り組めば良いのに・・・と思う私でした~


山村留学で習得した和太鼓の研鑽に 2度だけでしたが

川崎の和太鼓チームの練習に参加させていただいたり

にわかに始めた篠笛は、 まったく音が出ないところから

通算 約7時間で、しっかり音が出せ、 お囃子1曲の8割程度吹けるまでに。



何しろ若くて可愛い先生のレッスンは motoにとっては癒しの時間でもあった??かな。

スイスに行っても、なんとか続けて欲しいものです~


週に1度のテニスは、体をもてあましているmotoには、大分物足りなかったようですが

本格的に習ってみて、改めてテニスの楽しさを知り、これは確実にスイスに行っても

続けるだろうと思います。

そこそこセンスがあったらしく、楽しめる程度に上達できたようで良かったと思います。



3ヶ月の間には、春に修園した山村留学先のセンターへ行き、お手伝い。



数ヶ月前まで一緒に生活していた馴染み深い指導員さんらや在園生と

プチ山村留学?もどきができたことは、またちょっと違った視点から

山村留学を見ることになったり、 お世話になった農家さん宅や

中学の同級生宅に泊めていただいたり・・・・・ それなりに充実していた様子。



この3ヶ月間、 手紙のやり取りだけでなく、同級生や山村留学の修園生のほか

指導員さんや、 指導員OBの方、同級生の親御さんともメールのやり取りをしていたようで

スイス出発前後はたくさんの方から エールの言葉を贈っていただいたとのこと。

とにかく、たくさんの方と関わり、そして皆さんから温かく迎えられ

そして、温かく見送っていただきました。

motoは幸せな子だな~~とつくづく思いますし、親として、良きご縁に本当に感謝!です(^^


スイスでは、日本からの手紙が命!! と言っていました~

これからも引き続きよろしくお願いします。。

とりあえず、短い正月休暇は日本で過ごすことになっています。。。。。

KLAS壮行会

2010-07-11 | 入学まで
2010年7月10日(土) スイスへのフライト日。

成田ANAクラウンホテルで「 KLAS 21期生の壮行会 」がありました。



最終的に、21期生は 男子27名&女子33名の総勢60名。

北は北海道~南は福岡まで 出身地はかなり広範囲です。

やはり関東圏が多く 東京から15名、 次いで神奈川から8名が入学。



昨年12月の入試合格後、 1月、3月にオリエンテーションがあっただけで

4月からのこの3ヶ月間は、 多くの子供たちにとって苦痛の日々だった模様。

何しろ、地元の同級生は4月から高校生活が始まり、 クラブだの試験だの・・・

愛だの恋だの(笑)・・・ 忙しくも楽しそうに見える中、

自分たちは、朝も昼も夜も、 いわゆる「フリー」の毎日。

中学生でもなく、高校生でもない微妙なこの3ヶ月、

恐ろしく退屈な時間に、 親子共に大分参った、、、 もう限界に近かった~

という声を懇親会では多く聞かれました(^^;




そんな子供たち。 ホテル前泊の夜には ひさびさの再会に沸き、

motoは友達の部屋へ行って11時過ぎまで戻ってきませんでした~

友達に飢えた状況は他の子も同じだったもよう(笑)




motoたちを空港で見送った後は、父母有志でホテルに戻り懇親会となりました。



見送り後の懇親会は今年が初の企画ということでしたが、

今後は地区単位での分科会のような形での交流がメインとなり

こうして全員で顔を合わすということは滅多にないので

遠方からの親御さんともお話しができ、とてもよかったと思います。 



来週には、KLAS全体の関東父母会が都内であります~

関東ブロックのみなさんと、またお逢いできるのを楽しみにしています♪

旅立ちの時

2010-07-10 | 入学まで
今日7月10日、 59人のスイス公文学園・新入生とともに

motoはスイスへと旅立って行きました。

その様子は 後日アップすることにして・・・・



motoがスイスへ旅立つ前日、 きのうのこと。

長野に山村留学中の弟、Joは学校の授業参観日でした。

センターの指導員さんが 授業参観でJoに会った時

「 お兄ちゃんが あしたスイスに行っちゃう 」と

指導員さんに抱きついてきて泣きだしたらしい。。。


そんなJoの気持ちを汲んでくれて

「今だったら、まだ伝えられるから、明日渡してあげる」となだめ

その場でノートを破って伝言を預かってくださいました。

そのメッセージを、 指導員さんが とりいそぎ私のパソコンメールに

送ってくれていたようなのですが

昨日はすでに、 翌日早朝に行われるmotoの壮行会に備えて

私たちは成田空港のそばのホテルに前泊。

パソコンを開けて、 そのJoのメッセージを見たのは

空港でmotoを見送り、 父母懇親会を終え、 夕方自宅に帰宅した後だった、、、、、

残念なことに タイムリーに伝えてあげられず・・・

すぐに スイスのmotoあてにJoからのメッセージを書いて手紙を送ることにしました。



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お兄ちゃんへ

もうすぐでお兄ちゃん行っちゃうね。

こっちもあと3週間で帰省なのに、先に行っちゃうなんてさびしいよ。

もっとおそく行ってくれればいいのに、どうせならぼくもいっしょに行きたいよ。

短い文章だけど いってらっしゃい。


P、S もしさびしくなったら、見てください。

    場所は違くても、空はいっしょだよ。
                     
                       Joより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4つ半も年下の弟の・・・ 兄を思う気持を

充分に汲めるほどの器など motoにはないのは承知していますが

私が思っていたよりも ずっとJoはおにいちゃんを慕い、 意識していたのだな~と

あらためて感じる出来事でした。


Joが生まれてから 兄弟が一緒にすごした8年間は、 motoもJoも子どもで 

4歳半離れていても 同じオモチャやゲーム、テレビなどを共有し、 

たわいのない兄弟げんかも日常茶飯事。

その頃 Joは、 お兄ちゃんとは呼ばず、 「 もと 」 と呼んでいて

少なからず Joから見たmotoは、対等に近い感覚だったのだと思います。


それが・・・・ motoが中学生になり、 山村留学へ行ってしまってからは

それぞれの成長と、 物理的な距離感とが影響し

どんどん年齢差が広がっていくようなかんじがしていました。


特に昨年1年間、 親元を離れてJoも山村留学をし、 

兄と同じ場と時間、 経験を共有したことは

いい意味で 兄と弟の上下関係を際立たせ 

いつしか自然に 山村留学している兄motoの姿は 

弟Joの憧れの存在になって行ったようでした。


それでも、 山村留学先では JoはJoなりの自分の居場所と仲間ができ

今年、 「 兄のいない 」 山村留学を自分で継続すると決めたこともあって

私は motoのスイス行きに対して Joがそこまでの気持ちを募らせているとは

正直思っていませんでした。


なので、 指導員さんに抱きついて泣いたJoの気持ちを思うと

ちょっと 目がうるうる~ してきちゃいます、、、、



親としては 居た堪れない気持ちも募り、Joにもハガキを書きました。

motoにJoの気持ちは届いていること。

そして・・・・

今、 家族は それぞれの場で生きているけれど

さびしくなったら 同じ空を見て、 家族が頑張っていることを思い

自分も 「今」と「その場所」と「仲間」を大切にして明るく頑張ろうね♪ と。


離れていても 家族を大切に思う気持ちは変わらない。

でもJoは まだ10歳だから、 そんな幼いJoを思うとき

寂しさや 心配や、 迷う気持ちさえも生まれてくることはあるけれど

それでも、 ものすご~く たくさんのいろいろを・・・

感じながらすごす、その1日1日が幾重にも折り重なって綴られる365日が

Joの未来にとって、とても貴重なものになることを信じ、 

その選択をしたJoを尊重し

そして応援できる自分の価値基準を信じるしかない・・と思う私です。。。。


5年、 10年経って・・・・

兄弟で 山村留学というレア(笑)な話題を共有でき

それぞれが 親元から離れた暮らしの様々な思いを共有し

良好な兄弟関係を築いてくれたのなら

私はもうそれだけで充分♪ そんな気持ちです。。。。


motoのスイスへの旅立ちは

Joにとっても 気持ちの中で何かが変化した出来事であり、

私たち夫婦にとっても、 ひとつの大きな節目であり、

家族それぞれの心の旅立ちの時になったような気がします。