アラフィフが見えてきた私と年の差育児

中学1年の娘と5歳の息子との育児や毎日の生活で感じたことを綴ります

地震後~心のケア~

2011-04-16 21:08:39 | Weblog
自分の気持ちを受け入れてみて思ったことは、

私と同じように思っている人が多いのではないかということ。


被害が大きい沿岸部に比べると、仙台市内は比較的被害が少ない。

でも、ボコボコになった道路、閉まっているお店、そして物が散乱した家の中。

加えて一昨日の余震でまたライフラインが止まってしまったところもある。

よく聞くのは、「沿岸部に比べれば、私たちは良い方だから・・・」という声。

そう思って、頑張って前に進もうと思うけれど、それではいつか心が折れてしまう。


そうなる前に気づいて。

本当の自分の心に。

恐い、不安、しんどい、疲れた、不便、闇・・・などなどネガティブな感情もとても大切。

そんな感情が自分の中にあるということ。

それを受け入れてあげよう。

受け入れられなくても、そんな感情があると感じるだけでも良い。

ネガティブな感情を、感じて同じような状況の人たちと話すことはとても大切。

恐いのは、そんな感情が無いものとしてしまうこと。

心にフタをしてしまったら、後で大変になる。

自分の心に素直に。

感じよう。


地震後~自分癒し~

2011-04-01 11:35:04 | Weblog
大地震から3週間。

早いような遅いような…。

今日から4月と考えると、とても早い。

でも、地震の全容がまだ分からない面では、遅いと感じる。

実家の秋田は地震があったものの、3週間経った今は、

ドラッグストアには物がほとんどないこと、パン、牛乳、納豆が品薄になっていること、

お店の電気が節電されていることを除いては、街の中は、

何事も無かったかのような雰囲気に戻っている。

ガソリン不足も解消されたみたいだ。

仙台で暮らしている夫に聞いたところ、物不足はだいぶ解消されているものの、

ガソリンなどはまだ行列ができているとのこと。

ガスも地域によってはまだ使えないところもあるようだ。



秋田に移動してきた日は、地震がなければ就職の面接試験が行われている予定だった。

地震で、書類選考すら通ったかどうか分からないまま日にちだけが過ぎていた。

移動してから4日後に携帯が鳴った。

応募先からだった。

混乱の中だけれど、予定通り4月1日からの採用で進めたいから、

来週の面接に来れるかどうかという内容だった。

話を聞くと、予定通り仕事を辞める人の他に、

今回の地震で家が流されたり、家族が行方不明だったりで、

仕事どころでない人が何人かいて、職場は大混乱とのこと。

片付けと業務を平行して行っている中、採用について再度練り直している

余裕はないとのことだった。


少し考える時間をもらい、電話を切った。

まず、日帰りで秋田仙台間を往復できるか、

子どもを預かってもらえるか、

などなど、いろいろなことを考えたり、確認した。

夫も、これから仕事は減るだろうから、

チャンスがあるなら、受けた方が良いのでは?ということだった。

両親の協力や運よくガソリンを入れることができたので、

車の往復で行こうと決めたとき、ふと自分の心に注目がいった。


仙台に行く段取りは出来たのに、心がついてこない。

もし、採用されたら、4月1日から子どもを保育園に預けて私は仕事に行く、

という姿がどうも想像できなかった。

地震が起こっていなくても、このライフサイクルチェンジは

私にとってかなり大きなものになっていたはず。

夫にそのことを伝えると、意外な言葉が返ってきた。

「そんなの生ぬるすぎる。

家が無くなったり、家族が行方不明だったり、

大変な人がもっともっといっぱいいるんだ。

俺だって、いつまで仕事があるか分からない。

帰ってくる時には、それなりの覚悟をしてきてもらわないと。」

私は恵まれ過ぎてるのかな。

私は弱いのかな。

でも、どうしても今のこの状況で、面接試験を受けるのは気が進まなかった。



どうして気が進まないのか。

夜、娘を寝かしつけてから一人考えた。

夫の言葉が耳から離れなかった。

普段、人と比べることなどしない夫が、

「大変な状況の人がたくさんいる」と言ったことがとても気になっていた。

そんな事、私だって分かってる。

恵まれてることだって分かってる。

ふと、私は夫にも自分の気持ちを分かって欲しかったんだと思った。

大変だったよねって。

頑張ったねって。


今回の地震で私は、幸いなことに家も家族もみんな無事。

家の中は大変だけど、車の中での生活はたった3日間。

ライフラインも不思議なくらい早く戻った。

そして、秋田に移動。

本当に恵まれていた。

だから、私は、「大変だった」って言ってはいけないと思い込んでいた。

でも、あの地震の日。

最初の揺れがおさまって外に出ようとした瞬間、より強い揺れが襲った。

立っていられないほど、さらに激しい揺れ。

子どもがケガをしないようにと、抱っこしているのが精一杯だった。

不安がる娘に「大丈夫」と言っていたけれど、半分は自分に言い聞かせていたと思う。

食器はほとんど落ちて割れ、クローゼットの中の物はほとんど落下、

電子レンジや棚、机なども全てひっくり返り、足の踏み場がなかった。

外に出る時も、落下物が邪魔になり、ドアが開けられずに焦った。

余震はひっきりなしに起こってた。

すごい恐かった。

激しく揺れるアパートの中で、崩れたら死ぬのかなって本気で考えた。

その時の気持ちを思い出して、いろ~んな気持ちを自分で受け入れた。

褒めてあげた。


受け入れたら、見えてきたことがある。

夫に分かってもらうのは難しいと思った。

今、夫の気持ちは実家にある。

私が何かを話しても、どうしても夫の実家族と比べてしまうのだろう。

例年なら仕事も年度末でとても忙しい時期。

それが、ほとんど進まない今はこれから先のことを不安に思ってしまうのも無理はない。

今は、私が秋田でどっしり構えて、次に備えることが大切だと思った。