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リースマン『孤独な群衆』にある「内部指向型」と「外部(他人)指向型」人間

2005年03月08日 19時02分00秒 | 研究ノート
リースマンという社会学者が書いた『孤独な群衆』(加藤秀俊・訳、みすず書房、1964年)という本があります。現代社会の人間の社会的性格を「内部指向型」と「外部(他人)指向型」にわけた本なんですが、300ページもあって読む気力がありません。守弘仁志さんが「『情報化社会』とは何か」という論文(守弘仁志ほか・著『情報化の中の〈私〉』福村出版、1996年)の中で解説しているので、そのなかでリースマンをあつかっている部分を引用します。


〈私〉にとっての情報の位置づけが変化した

情報と〈私〉
 「情報に左右されずに生活を送りたい」と考えたり、他人から「そのときどきの情報に影響されて行動するのは、自分がしっかっしていない証拠だ」などといわれたことはないだろうか。また、流行のレストランに行列する人びとや、マスコミュニケーションで流行が伝えられた商品にいち早く飛びつく人びとのように、そのときどきの情報に踊らされて行動する人間をみると軽佻浮薄な在在のようにみえたことはないだろうか。
 このようにみると、どうも情報を取り入れて行動するのは社会的にすべてよいことというように意味づけられているものでもないようだ。しかし、われわれはさまざまな分野での最新の情報を求めている側面もある。サラリーマンにとって株式や企業情報などの経済情報は必須のものだろうし、営業活動をしている者にとっては得意先との商談に入る前の雑談としての昨夜のナイターやサッカーの結果、ゴルフのスコアをあげる方法、芸能人の結婚や離婚などの話題は得意先の相手の好みによっては知っておかなくてはならない情報であろう。なぜこのようなさまざまな「情報」がわれわれにとって必要となってきたのだろうか。「情報」と〈私〉、それはいまあげたように対立しているものとしても密接な関係をもつものとしても扱われている。
 そこで、本節では情報化と〈私〉についてその関連性とその変化について検討してみよう。まず、〈私〉にとって「情報化」が重要になってきたのはそれがまさに情報と〈私〉との関連づけが変化したからなのではないだろうか。情報と〈私〉の関係というのは、けっして時代的にみても固定的なものではない。よくみられる例としては、若者がファッションなどの流行現象の新しい情報を比較的取り入れやすいのに対して、年長者は取り入れにくかったり新しい情報を取り入れる若者を軽薄な存在として批判したりする。このような年齢差による情報観の差異はよくみられるものだが、つねに若者は新しい情報を積極的に取り入れ、つねに年長者は新しい情報を拒絶し、取り入れない存在なのだろうか。年代差のみでなくそれには時代的な要因、つまり時代的な〈私〉の情報の捉え方の差異がこのような両者の対立を生んでいるというような側面はないのだろうか。

「孤独な群衆」と情報
 ここで社会学者として高名なリースマンのもっともよく知られた著作である『孤独な群衆』を引いて説明していこうと思う。『孤独な群衆』を取り上げるのは、それがここで説明した〈私〉の情報に対する考え方、いわば「情報意識」 の差異を適切に説明できるように思われるからである。
『孤独な群衆』
 リースマンによる現代人の意識の変化を説明した著作(1961年)。リースマンは社会の歴史の中でのマクロな人間の意識変化を、歴史の中での三つの段階とその段階の間にある二つの革命に分けている。これらの客段階と革命はオーバーラップしていてゆるやかに変化していくものである。
 リースマンはまず二つの革命について説明する。第一の革命はルネッサンスから宗教革命、座業革命(16世紀から19世紀にかけて)であり、家族・氏族といった集団中心の生活から個人中心の生活への変化である。この革命によって 「個人」が自覚されしてくるのである。これに対して、第二の革命は「説明不可能な革命」なのだとリースマンはいう。なぜならこの革命はまだ始まったばかりなのでその全化について確定していないからである。ただ、モノを生産することが中心の時代からそれを消費することが中心の時代へという転換に関連する社会のさまざまな変化なのだという。
 次に、この二つの革命前後の三つの時代をまず彼は人口変化から説明している。人間の歴史にとって最初の時期は「高度成長潜在期」とよばれ、寿命は短く出生と死亡が等しいため人口は低い水準で横ばいを続ける。ところが第一の革命によって食料の増加、医学の進歩があり、死亡率は減少し人口は急速に増加する。これによって人口が増加し続ける第二の時期である「過渡的成長期」 に入る。これは17世紀から19世紀ぐらいまでである。そして第二の「説明不可能な革命」の結果も徐々に社会に現れるが、人口的には西欧諸国が経験しているような出生率の低下による「初期的人口衰退」期に入る。

 リースマンは社会史の中での人間の意識変化を、「高度成長潜在期」「過渡的成長期」「初期的人口衰退期」の三つの段階とその段階の間にある二つの革命に分けるが、これらの各段階と革命はオーバーラップしていてゆるやかに変化していくものとされる(Riesman, 1961)。
 このような時代に〈私〉はどのようにかかわり、また情報はどのような位置づけにあるのだろうか。高度成長潜在期における〈私〉は最頻的(modal)な性格として「伝統指向型(tradition-directed types)」のパーソナリティをもつ者が多い。この時代の主要な産業は農業などの第一次産業であり、農業生産のものが決まった季節に種をまき、また決まった季節に収穫するという規則性、安定性のもとに成り立っている。むしろ違う季節に種をまいたり収穫したりすることは食料を失うことになり危険な行為なのである。人口も変化しないから決まった季節に決まった量だけ種をまきさえすれば一定の収穫があり、社会はそれで維持される。このような社会においてはすでに存在する規則である伝統を守ることが重要な意味をもつ。<私>は何ら新しいことを考えず先祖から受け継がれてきた伝統をひたすら守ればよい。したがって〈私〉は個性のない人間である。同世代の人間と比べても親と比べてもあまり違わないことのほうが重要なのである。そして「情報」は先祖から受け継がれてきた伝統そのものであり、この情報は時代が過ぎてもあまり変化せず、固定されたものになる。

「内部指向型」における情報
 これに対して、第一の革命を経た第二の「過渡的成長期」における〈私〉は内部指向型(inner-directed types)」のパーソナリティをもっている。この時代の主要な産業は第二次産業であり、とくに工業である。また、この時代になると人口が増加するため、新たな土地へ移動するなど社会の構成員の流動性が高まる。そして伝統指向の社会におけるような社会自体の固定的な安定性がなくなる。また、工業自体も新たな産業技術がどんどん開発される技術革新によって進行していく。そのため、それまでは固定的だった〈私〉のまわりの状況は流動的になり、新しい状況が現れてくる。そして、かつては都合のよかったさまざまな規則よりも、新しく開発された技術に見合った新たな規則のほうが都合がよい、したがって規則をどんどん変えていくということになる。ここで、人間は伝統的で固定的な規則や考え方では工業に携わることができなくなり、古くから受け継がれてきたという理由だけで維持されてきた「伝統」は無力化する。
 この時代の〈私〉は、将来新たな状況に遭遇しても適応可能なように幼児期に年長者(両親、教師など)によって人生の目標を位置づけられる。リースマンはこの幼児期に植えつけられた目標を心理的装置としての「ジャイロスコープ(羅針盤)」としている。〈私〉はそれをもってほかに何の手がかりもないままに人生という大航海に旅立つのである。心の中にはつねにジャイロスコープがある。それはつねに〈私〉が植えつけられた人生の目標の方向を指し示す。ときには何らかの大きな障害物がジャイロスコープの示す方向に現れるかもしれない。しかし〈私〉は本来の人生の目標をけっして失うことはなく、苦労してそこを乗り越えたり、いったんはまわり道をして迂回しつつも、最終的には人生の目標の方向へと向かうのである。これが「内部指向的性格」である。したがって、内部指向的性格はどのような新たな状況が生じてきてもそれに対処することが可能である。〈私〉は自分自身で人生を切っ開いていくという感覚をもち、伝統指向の時代に比べると、各々の人生の目標のもっている差異が存在し、個性的な人間になる。時代の変化の激しい時代にあってはこのような性格が適合的なものになるのである。ただ自分のもっているジャイロスコープの妥当性について心の中ではそれが他人によって据えつけられたという一抹の不安感をもちつつも、自分のジャイロスコープが指し示す目標を唯一のものとして、それに対する他人の批判はけっして取り入れないのである。
 この時代の情報はジャイロスコープの目標として示される内部にもたれた固定的な情報群と、つねに変化する自分のまわりの新たな状況から構成される情報群とに二分される。前者はつねに保持され捨て去られることはない。それに比べて後者は前者の情報群を実現する際の外的状況であり、前者に実現に有利なものは取り入れられ、障害となるものは何らかの策をもって対処される。後者の情報枠はそれが前者の情報群にとって促進的な情報なのか、阻止的な情報なのかという点で重要なのである(現代的な表現でいえば前者はコンピュータの読み出し専用メモリー ROM(read only memory)であり、後者はランダムアクセスメモリー RAM(random access memory)のようなものである)。このようなことから内部指向型の〈私〉にとって情報とは「人生の目標」として内部にあり、幼児期からもっている変わらない固定した情報群と、外部からの日々変化する新たな情報群があり、後者は前者の実現のための外部状況を知るために利用されるものである。そのようにみると前者の情報は確固とした〈私〉を形作り、後者の情報は確固とした〈私〉が社会に適応するための手段としての情報でもある。その意味で後者の情報にあまりに依存することは前者の情報群である「内部指向」を脅かすことになり、危険である。現在の若者に対して「外的な情報にばかり動かされて、内部に本当の自分がない」というような批判はまさに内部指向型からの批判なのである。
 また、この時代の主たる産業は工業であった。工業生産は主として機械や生産物に人間が働きかけることによって成立する。そのため内部指向の人間においては、人づきあいのよさは必ずしもよい人間とは限らないのである。おしゃべりのうまい人間よりも、黙って機械を操作する人間が評価される。自分の心の中に壮大な人生の将来目標を抱き、外部の「騒音」(情報)には耳を賃さず、いまは黙々と地道に生産活動に従事するのが「内部指向型」である。

「外部指向型」における情報
 リースマンは、現代社会の社会心理学的パーソナリティが「内部指向型」から別の型へ移行している時代として捉えた。第二の、現代において「まだ始まったばかりの」革命を経た、第三の「初期的人口衰退期」の人間は「外部指向型(other-directed types)」のパーソナリティをもっている。この時代の主要な産業はサービス産業などの第三次産業である。この時代に入ると出生率が低下する。その一方で技術の発達により生活が豊かになるとともに、技術革新によって人間が直接機械の操作に携わることが少なくなり、非生産的産業が多くなる。非生産的産業とはサービス産業などの他人を相手にする、いわば「人間接触的な産業」である。しかもその一方、交通の発達で人間の移動の機会はさらに多くなる。したがって「他人」との接触の機会が増加し、「他人」が気になるようになる。つまり、他人と付き合い、相手をする職業についているので、他人とのコミュニケーションを行えることが必要となってくるのである。
 ここで技術革新の進行はさらにスピードを早めているので、内部指向型のようにその人の幼児期に据えつけられた人生の目標でさえ実現は危うくなる。本書の筆者たちの多くが大学生だった1970年代後半から1980年代にかけては、大学生の就職人気企業としては金融、損保、マスコミと並んで製造業にも人気があった。その理由は資本金が多額で、大きな工場や社屋をもち、従業員数も多く、まさに大企業だったからである。しかし、現在では製造業は生産縮小、海外移転、リストラなどで話題を呼び人気がなくなってしまった(もっとさかのぼると1950年ごろの大学生の就職先人気企業は石炭会社だったのである)。つまり、時代の変化があまりに速いため幼児期に「このような仕事につく」と決められ、それに向かって進んでいったとしても、その職業自体がすでになくなり在在しない、というような状況が出現する恐れが出たのである。「内部指向型」は時代の変化に対応できるように、ゴールだけを設定しそこにいたるまでの新たな状況に柔軟に対応できるようにしたパーソナリティであった。「内部指向型」のパーソナリティは時代に合わなくなってくるのである。
 第三の「初期人口衰退」の時代の人間は、人生の目標を設定しても仕方がないということになる。しかもこの時代に多くの人間が従事する産業は人間接触的産業である。このことからこの時代に多いパーソナリティは「外部(他人) 指向型」になるのである。そこでは〈私〉が時代を生きる方向づけを与えるのは「同時代人」なのである。「内部指向型」が人生の長大な目標をたててもそれはあまりに大きな時代の変化によって達成されない恐れがあるので、むしろそのときどきの状況に応じて他人の動向に合わせて行動するほうが得策になるのである。何しろ明日は何が起こるかわからないのだから何十年も後の計画をたててもむだである。むしろそのときどきに他人がしているのと同じ方向についていくほうがよい。いま、職業として注目されているものにつき、それが廃れたらまた別の注目されている職業につく。〈私〉が幼児期に形作ったジャイロスコープはもはや時代の変化に合わないため打ち捨てられ、代わりに同時代人が何を考え、行動しているかをいち早く察知する心理的装置が必要になる。リースマンはこの装置を「レーダー」とよんだ。外部指向型の人間はこのレーダーによって同時代人の動向を知るのである。
 さて、この時代における〈私〉と情報の関係をみてみよう。内部指向型の人間にとって「情報」とは幼児期にもった人生の目標を実現するために、刻々変化する現実社会から取り入れるものであるといえる。ところが、外部指向型のパーソナリティで必要なのは「人生の目標」ではなく、レーダーで取り入れた 「他人は何をしているのか」というまさに「情報」のみなのである。「外部指向型」は「他人指向型」でもあるが、「外部」とはまた「情報」でもあるのだ。変化する外部の情報を取り入れ、それに従ってさえいれば、時代に合致した生き方ができるのだ。

情報の意味づけが矛盾している現代
 このようにして現代人にとって情報、しかも刻々と変化する情報がしだいに重要な意味をもつようになってきたことがわかると思う。かつては〈私〉にとって情報はある程度固定的なものであったが、現代社会に生きるためには、新しい情報をつねに取り入れなければならないのである。リースマンの『孤独な群衆』は1960年代には、内部指向型を評価し外部指向型を批判したものとして読まれた。これはこの時代の現代人が内部指向型の人間だったからであろう (リースマン自身はそのような意図がないことを繰り返し述べている)。しかし、現代の観点では、外的情報を取り込んで生きる外部指向型人間のほうが現代人を的確に表現しているように思われる。
 そして、現代は第二の革命が生起している時期にあたり、「内部指向型」のパーソナリティをもつ人間と「外部指向型」のパーソナリティをもつ人間が社会の中に並存するとともに、個人の中でもこれまで受けてきた「内部指向的」 教育と「外部指向的」な社会情勢との狭間で迷ってしまうこともあるのではないだろうか。したがって、内部指向的な「外的な情報に左右されずに、しっかりと自己を確立して生きろ」という発言にはうなずいてしまうし、内部指向的に人生の目標をもって黙々とその目標に向かって努力している人間には、その努力に対して社会的な評価が与えられことも知っている。その一方、このような人びとは人付き合いの悪い人間としてのマイナス評価もあり、1980年代以降、話の下手な「暗い」「ネクラ」人間として嘲笑する風潮が続いていることも知っている。
 逆に、外部指向的にそのときどきの状況に適応している人間に対しては、時代にあった職業をいち早く見つけ、そこで社会的な名声を得る「世渡りのうまさ」が、またコミュニケーションの上手な「ネアカ」な側面が評価されたりしながらも、個々の状況には適切に対応できるが長期的な自分の人生の統一性がなく、状況依存的な「軽さ」が批判されていることもまたよく知るところである。
 このように現代社会ではある情報を、われわれの内部にすでに存在したりこれから培われたっする固定された情報群と、外部にありそのときどきに処理されることを待っている多くの情報群とどちらに位置づけるべきなのかという対処法が問われるという難しい時期なのではないだろうか。なぜなら、人間の情報のかかわり方自体の変化としての「内部指向型」から「外部(他人)指向型」ヘの変化自体も一朝一夕に進行するものではなく、かなりの長いスパンをもって変わっていくものだからである。その意味で人生を送る中で自分の中にもった確固たる変化しない情報群が効力を発揮するときも、また新しい情報群をいち早く自分の中に取り入れることが有効なこともあるだろう。したがって、情報に対する考え方である「情報観」そのものも人によって大きく違うということは、われわれ自身が身をもって体験していることである。したがって、これからは「外部指向型」「他人指向型」の時代だから、そのときどきに合致した情報をどんどん取り入れてその情報の指し示す方向に生きていくのが情報とかかわっていくうまい生き方てあり、将来失敗しない情報とのかかわり方である、と断言することはできないのだ。
 リースマンと同時代の社会学者で、彼の論敵でもあり、現代社会をより批判的にとらえたミルズは、現代人を「陽気なロボット(cheerful robot)」とよんでいる(Mills, 1959: 169-176 [223-231])。情報に従って他人とうまく付き合い陽気にみえるが、じつは心の中は冷たく人間性がない。あまりに外部情報を重視しすぎると、膨大な外部情報のたんなる処理に追われ、「〈私〉は何なのか」がわからなくなってしまう恐れはある(このことについては4章で詳しくふれよう)。
 成田康昭によると、現代社会には大量の情報が流通しているが、それを何らかの手段で自分の中に取り入れていかないと社会の中で生きていくことができない。ところがこの大量の情報は個人が知り尽くすにはあまりに多く、何らかの手がかりをもって効率よく知っていかねばならない。ここで情報を知る能力は二つに分けられる。たんに多くの情報を迅速に処理する能力で情報処理機器によって代替することが可能な能力は「情報的能力」とよばれ、情報を「知る」能力である。これに対して処理される大量の情報をまとめ、必要なものと不必要なものに分けたり、必要な情報のみを見分けたりすることのできる能力で情報処理機器によって代替することが難しい人間的な能力は「統合的能力」 とよばれ、まさに「手がかり」をつかむ能力である。しかし、とくに社会の入り口に立ったばかりの若者はどのような手がかりを用いればよいのかわからない。そのような中で、現代の若者の情報統合の型は次の四つに分けられる(成田, 1986: 20-105)。
 それは、(1)処理する情報をせまい範囲に限定し、その中に関しては完璧に統合し知り尽くす「マニア的世界」の若者、(2)ある特定の原理を無条件に信じ、多くの情報をその原理に則って強引に解釈することによって統合する「オカルト」の若者、(3)多くの情報をその場の自らの恣意的な感覚で解釈することによって統合する「ノリ」の若者、(4)多くの情報の多様な中身を自ら詳細には検討せず、その情報についているレッテル(社会的な評価)だけで判断し統合する 「ブランド」の若者、の四つである。これをリースマンの型にあてはめるならば、(1)(2)は「内部指向型」の影を引きずっており、(3)は「内部指向型」のふりをしているだけで「内部」がないし、(4)はより「外部指向型」に近い。
 たとえば1989年には幼女連続誘拐殺害事件の被告のマニア的世界が問題に、1995年には今度はオウム真理教のオカルト的若者が問題になった。ジャーナリズムを含めて、このような若者は理解不可能な「新しい」若者として扱われた。だが、そこで扱われた「新しい」若者たちは、じつは内部指向型の現代的な対応だったという、より古い型の〈私〉をもった若者だったことさえ考えられるのだ。

文中の参考文献
 Rieseman, D., The Lonely Crowd, Yele University Press, 1961 renewed 1989. [加藤秀俊・訳『孤独な群衆』みすず書房、1964年]
 Mills, C., The Sociological Imagination, Oxford: Oxford Univ. Press, 1959. [鈴木広・訳『社会学的想像力』紀伊國屋書店、1965年]
 成田康昭・著『高感度人間を読解する』(講談社現代新書、1986年)

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