王子のきつね on Line

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妹が焼いたチョコレートケーキ

2005年02月28日 21時48分00秒 | Weblog
 今日は家に帰ったら、妹がチョコレートケーキを焼いてました。それから、近所の牛乳屋さんが試飲用の乳製品をおいて行きました。


おなか活力ミルク


満足カルシウム


クロレラ乳酸菌


LG21


 緑色でちょっとキモイ感じのクロレラ乳酸菌はカルピスみたいな味がしました。

ヒロシです。。。~AAてすと2~

2005年02月26日 23時55分04秒 | AA(アスキーアート)

    、 V v V vヽ
    \`     ノ//
   ヽ 、、ノノノノノ ノ /
   ヽ 、        lノ  いつのまにか、荒川のウサギが全国区になってたとです。
   ヽ 、│//   // ))
   ヽ、/  ー  ー  l   ヒロシです。。。
    (6     ..   /
     ヽ      /
      \ ´~` /
     イ  ゝ イヽヽ
    | ヘ 〈ヽ V /〉/|
    |  | ヽ ! / | |
    |  |   〉 !〈 | |
    |⌒|  / ! ヽ| |
    \ `ヽ エエ / /\
    / \ノ  i ヽi´\|
    \/| | /ヽ .| |
      | | | | | |
        | .| | | | |
        〉_〉_| .|_〈〈
     /  」  i `ヽ
    く__/    \__,,〉

FREEDOM~AAてすと~

2005年02月25日 22時52分41秒 | AA(アスキーアート)
2人がどれだけ 強いこだわりもって
世界が廻るのを 拒んでいたって
FREEDOM 動いている
FREEDOM 理由がある

       ./"´:;;::;;;: ::::;::"ソヽ
       / ,ヘ~-ー'´⌒``ヽ:ヽ
      / ノ 彡:三:三:三:ミ |: \
      | |. __,,;;ィ  t;;;;,,,_ :ヽ│
       | |シ ,ィェァ') (.yェュ、 ミ| |
      !r、|  ''''''. | | ''''''  Y )
      ヽ{ ヽ. (r、 ,n)  /:: };ノ
       し}  : 、___二__., ;:::::jJ
        !、.:. ´ ..::::... `ノ::::ノ    争いに勝つこと
        _,〉、ゝ '""'ノ/:|
      __,,ィ';;;;ト `ニニ: ::..ノ|ヽ、_
 -ー''''"";;;;;;;;;;;;ヽ \::::::::/ /;;;;;;;;;;;`''ー-、,,,,__
 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ   ><  /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;"''
 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ /|;;;jヽ、/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

   ,rn
  r「l l h      土地を仕切ること
  | 、. !j
  ゝ .f         _
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ.
 ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)
  |   じ、     ゛iー'・・ー' i.トソ 
  \    \.     l、 r==i ,; |'  
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.
        y'    /o     O  ,l    |

       /  ̄ ̄ ̄ ̄ \               / \
      /          \            /    /
     /λ            \        /    /    色で分けること
   / / \            ヽ      /    /
  / /     \            |   /    /         /\
  / /        `ー 、       |   \    \        /    \
  | .|           ー―-、   |    \    \      /       \
  |  |               |   |      \   \ /    /\   \
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 ,^ヽ.|  ,;;_lliiilli_iJ   ,;;iillIIi_   |/=          \     /       \   ,`
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    ヽ、   |||||:|||||||||ll  (  /                /   /
     |\   ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\             /   /
_ ,――|  \       / /   \          \  /    血を選ぶこと
 /    |\  ー――一  /    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ` '
/     |  \ _/    /    /           \
     |  /  入   /    /              \

FREEDOM すべてと共に
FREEDOM 君と僕は廻るよ

メガヒットは突然に(2)~ヒッキーは6軒に1枚w~

2005年02月25日 21時22分00秒 | 音楽
 音楽CD(かつてはレコードだった)は、不思議なもので、景気がよすぎても売れないし、悪すぎても売れないのです。実際、バブルの時期(1986~90年)はミリオンセラー(100万枚以上売れた作品)がひじょうに少なかったのです(まったくなかったこともある)。また、2000年代になると、また少なくなってきています。逆に、その間の1990年代にはメガヒットと呼ばれるように、ミリオンどころか、ダブル・ミリオン(200万超)、トリプル・ミリオン(300万超)も売れた作品が続出しました。
 今回はアルバムを見てみましょう。といっても、そんな資料持っていないので、こちらのサイトのお世話になりました。SHi's Laboratory -Music Side-です。1968年から現在まで、毎週公表されるオリコン・チャートを掲載しているサイトです。ここにある資料をもとに見ていきたいと思います。

 アルバムのミリオンセラーの数はつぎのとおりです。

アルバムのミリオンセラーの数(1975~2004年)
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981○○○
1982
1983○○
1984
1985
1986
1987
1988
1989○○○
1990○○○○
1991○○○○○|○◎○◎○|◎
1992○○○○○|◎○○○○|○○◎○○|☆○
1993○○○○○|◎○○○◎|○
1994○○○○◎|☆○○☆○|◎○◎
1995○○○◎◎|○○○○○|○○○○☆|○◎○◎
1996○○○◎○|○★◎○○|◎◎○○◎|○◎☆○○|○
1997○○☆☆○|◎○○◎○|○○○○○|○○★◎○|○◎
1998○○○○○|○○○○○|☆○◎◆○|○☆◎○◎|★○☆◎○|○○◎
1999○○○○○|■○◎○☆|○◎◎○○|○○◎○◎|◎○○
2000○○○◎◎|○○○◎○|○☆○○◎|◎○◎○
2001○○○○◎|○○○○○|★★○○○|○○◎○○|○◎○
2002◎○◎○○|☆○○○○|○
2003○○○○○
2004○○○◎○|○○○◎

※100万≦○<200万≦◎<300万≦☆<400万≦★<500万≦◆<600万…700万≦■<800万

 1970~80年代は、多い年で3タイトル、ぜんぜんない年もあります。1990年代は、1998年の28タイトルを筆頭に、ミリオンセラーがひじょうに多いです。しかし、シングルほどではないにしても、2000年代に急激に減少しています。ここには出ていませんが、2005年は1月中に2曲がミリオンセラーを達成しています。
 シングルは1995年がピークなのに対して、アルバムは1998年がピークと、ピークが遅れていますが、じつは1998年頃から、ベスト・アルバムが数多く売り出されているのです。

 アルバムのトリプル・ミリオン(300万枚以上売れたアルバム)はつぎのとおりです。

アルバムのトリプル・ミリオン(1975~2004年)
アーティストタイトル売上(万枚)発売日300万枚達成週それをこえる達成週
ドリームズ・カム・トゥルーThe Swinging Star322.61992/11/141993/5/3
竹内まりやImpressions302.21994/7/251995/10/9
Mr.ChildrenAtomic Heart342.91994/9/11995/6/5
B'zLOOSE300.31995/11/221996/7/8
globeglobe413.61996/3/311996/5/61997/2/24(400万枚)
安室奈美恵SWEET 19 BLUES335.91996/7/221996/9/23
Mr.ChildrenBOLERO328.31997/3/51997/5/5
globeFACES PLACES323.91997/3/121997/5/26
GLAYREVIEW~BEST OF GLAY487.51997/10/11997/11/31998/1/26(400万枚)
Every Little ThingTime to Destination352.01998/4/151998/6/15
B'zB'z The Best "Pleasure"511.81998/5/201998/6/81998/11/2(500万枚)
サザンオールスターズ海のYeah!!318.41998/6/252002/7/29
B'zB'z The Best "Treasure"442.91998/9/201998/10/51998/10/26(400万枚)
松任谷由実Neue Musik(ノイエ・ムジーク)325.11998/11/61999/1/11
宇多田ヒカルFirst Love764.81999/3/101999/4/51999/8/16(700万枚)
ZARDZARD BEST The Single Collection~軌跡~300.71999/5/281999/12/20
倉木麻衣delicious way353.02000/6/282000/7/31
宇多田ヒカルDistance446.62001/3/282001/4/92001/5/7(400万枚)
浜崎あゆみA BEST428.12001/3/282001/4/162001/5/28(400万枚)
宇多田ヒカルDEEP RIVER357.32002/6/192002/7/15


 いちばん売れたのは、宇多田ヒカルの「First Love」で、なんと764万枚売れました。ついで、B'zの「B'z The Best "Pleasure"」が511万枚、3位がGLAYの「REVIEW~BEST OF GLAY」で487万枚です。そのあとを、宇多田ヒカル「Distance」(446万枚)、B'z「B'z The Best "Treasure"」(442万枚)、浜崎あゆみ「A BEST」(428万枚)、globe「globe」(413万枚)、宇多田ヒカル「DEEP RIVER」(357万枚)、倉木麻衣「delicious way」(353万枚)、Every Little Thing「Time to Destination」(352万枚)とつづきます。宇多田ヒカルが3タイトル、B'zが2タイトルあります。ただ、タイトル名からもわかるように、ベスト・アルバムがかなりあります。ちなみに、最初のアルバム・ミリオンセラーは井上陽水「氷の世界」で145万枚です。

 こっちは持ってるぞ! 3つあります。

宇多田ヒカル「First Love」

 764万枚! すごい数字です。日本の全世帯数が4641万(2000年)ですから、6軒に1枚という数字になります。本人は16歳だったのに、ファンは20代が多かったそうです。当時、某研究会の帰り、大学院生たちがみんなヒッキーの話をしてました(ヒキコモリの話ではないw)。高学歴者にも人気のヒッキーでした。

globe「globe」

 ぜんぜん関係ない話ですが、アキバの某電気店のAVコーナーでよくかかってました。w ラップってglobeが広めたような気がするな。でも、マークってフランス系なのに、英語の名前。w これまたぜんぜん関係ないんですが、「DEPARTURES」の「やさしさが愛を探して あなたがわたしを選んでくれたから」って部分、小室&ケイコの結婚のとき、ワイドショーで死ぬほどかかってました。w 小室さんのユーロビート系の曲って好きなんですけど、いまやサッパリですね。当時も globe と鈴木あみ以外は(゜A゜)イクナイ!と言われてました。

Every Little Thing「Time to Destination」

 ELTって何の略?っていうクイズにもなりました。モッチー(持田香織=左)は、産休の安室奈美恵から、浜崎あゆみの登場までの、空白の1年を埋めてました。イッちゃん(伊藤一朗=右)は「うたばん」ではすごい人気!w わたし的には、ジミなイガちゃん(五十嵐充=奥)がいちばんのお気に入りなんですが。。。

メガヒットは突然に(1)~なぎらさんの不幸w~

2005年02月24日 21時25分58秒 | 音楽
 音楽CD(かつてはレコードだった)は、不思議なもので、景気がよすぎても売れないし、悪すぎても売れないのです。実際、バブルの時期(1986~90年)はミリオンセラー(100万枚以上売れた作品)がひじょうに少なかったのです(まったくなかったこともある)。また、2000年代になると、また少なくなってきています。逆に、その間の1990年代にはメガヒットと呼ばれるように、ミリオンどころか、ダブル・ミリオン(200万超)、トリプル・ミリオン(300万超)も売れた作品が続出しました。
 今回はシングルを見てみましょう。といっても、そんな資料持っていないので、こちらのサイトのお世話になりました。SHi's Laboratory -Music Side-です。1968年から現在まで、毎週公表されるオリコン・チャートを掲載しているサイトです。ここにある資料をもとに見ていきたいと思います。

 まず、シングルのミリオンセラーの数です。

シングルのミリオンセラーの数(1968~2004年)
数:100万≦○<200万≦◎<300万≦☆<400万≦★<500万
1968○○◎
1969○○○◎
1970
1971○○
1972
1973
1974○○○○
1975
1976★○○○○
1977
1978○○○○○
1979○○○○○
1980○○○
1981○○○○○
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990○○○
1991○◎◎◎○|○○○
1992○○○○○|○○○○○|◎○○○○|○○○○
1993○○○○○|○○○◎○|○◎○○○|○○○○○|◎
1994○○○○○|○○○○○|○○○○○|○◎○○○
1995○○○○○|○○○○○|○○◎○○|○○○○○|○○○○○|◎○○○○|○○
1996○○◎◎○|○○○○○|○○○○○|○○○○○|○○○○
1997○○○○○|○○◎○○|○○○○○|○○
1998○○○○○|○○○○○|○○○○○|○○○
1999○◎○◎○|○○○○○|○○
2000○◎○○○|○○◎○○|○○○○
2001○○○○○
2002
2003○◎
2004


 データが1968年からはじまるのは、CD売り上げランキング誌である『オリジナルコンフィデンス』(かつては『総合芸能市場調査』と言った)が1967年の創刊だからです。
 一見して分かるのは、ミリオンセラーが、1970年代は、多い年で5曲、ぜんぜんない年もあります。1980年代になると、少ないどころか、1985~88年にはまったくありません。そして、1990年代は、1995年の32曲を筆頭に、ミリオンセラーがひじょうに多いです。それが、2000年代になると、急激に減少しています。
 とりわけ減少した1980年代後半と、逆に増加した1990年代にはこんな記録も生まれています。上記の SHi's Laboratory の 9. Record File で指摘されているのですが、1988年5月23日には、浅香唯の「C-Girl」が、28,270枚という史上最低の週間売上で1位を獲得しました。逆に、1995年6月5日では、米米CLUBの「JUST MY FRIEND」が、51,570枚を売り上げたのに、21位とベスト20位に入れなかったのです。このときの20位は観月ありさの「抱きしめて!」で52,150枚、22位は山根康広の「恋という名の翼」で50,280枚と、22位までが5万枚突破というハイレベルなチャートとなりました。

 シングルのダブル・ミリオン(200万枚以上売れた曲)はつぎの23曲です。

シングルのダブル・ミリオン(1968~2004年)
曲名アーティスト売上(万枚)発売日100万枚達成週
恋の季節ピンキーとキラーズ207.71968/7/201968/11/11
黒ネコのタンゴ皆川おさむ223.51969/10/51969/12/1
女のみち宮史郎とぴんからトリオ325.61972/5/101972/11/20
およげ! たいやきくん子門真人454.81975/12/251976/2/2
愛は勝つKAN201.21990/9/11991/1/21
Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に小田和正258.71991/2/61991/2/25
SAY YESCHAGE&ASKA282.21991/7/241991/8/26
君がいるだけで米米CLUB289.51992/5/41992/5/25
YAH YAH YAHCHAGE&ASKA241.81993/3/31993/3/22
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないB'z202.01993/3/171993/4/5
TRUE LOVE藤井フミヤ202.31993/11/101993/12/6
恋しさと せつなさと 心強さと篠原涼子with t.komuro202.01994/7/211994/10/3
Tomorrow never knowsMR.CHILDREN276.61994/11/101994/12/5
WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメントH Jungle With t213.41995/3/151995/4/17
LOVE LOVE LOVEドリームズ・カム・トゥルー248.81995/7/241995/8/21
DEPARTURESglobe228.81996/1/11996/1/29
名もなき詩MR.CHILDREN230.81996/2/51996/2/19
CAN YOU CELEBRATE?安室奈美恵229.61997/2/191997/3/10
Automatic宇多田ヒカル206.21998/12/91999/2/8
だんご3兄弟速水けんたろう,茂森あゆみ,ひまわりキッズ,だんご合唱団291.81999/3/31999/3/15
TSUNAMIサザンオールスターズ291.12000/1/262000/2/14
桜坂福山雅治229.92000/4/262000/5/15
世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)SMAP252.12003/3/52003/3/24


 いちばん売れたのは、子門真人の「およげ! たいやきくん」で454万枚、ついで宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」で325万枚、3位が速水けんたろう・茂森あゆみ・ひまわりキッズ・だんご合唱団の「だんご3兄弟」で291万枚です。そのあとを、サザンオールスターズ「TSUNAMI」(291万枚)、米米CLUB「君がいるだけで」(289万枚)、CHAGE&ASKA「SAY YES」(282万枚)、MR.CHILDREN「Tomorrow never knows」(276万枚)、小田和正「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」(258万枚)、SMAP「世界に一つだけの花」(252万枚)、ドリームズ・カム・トゥルー「LOVE LOVE LOVE」(248万枚)、とつづきます。

 ひとつも持ってません! シングルは基本的に買わないようにしているんで。。。
 皆川おさむくんの「黒ネコのタンゴ」は持っていたはずなんですが。あと、子門真人さんの「およげ! たいやきくん」は妹が持っていたはずです。どちらも、引越しのとき、行方不明になってしまったみたいです。
 この「およげ! たいやきくん」のカップリング曲(むかしはB面といった)が、なぎら健壱さんの「いっぽんでもニンジン」です。

 なぎらさんは、ミュージシャンとしては不運な人で、1974年に「悲惨な戦い」という曲を発表しました。これは、若秩父という相撲取りのマワシが落ちた、という歌です。ヒットしそうになったのですが、若秩父からのクレームで、発禁処分になってしまいました。そして、1975年に「いっぽんでもニンジン」を発表したのですが、この曲の権利を2万円で売ってしまったそうです。まさか、450万枚以上も売れるとは思っていなかったのでしょうね。

世界史の問題の解答~気の弱い人は見ないことw~

2005年02月22日 19時12分00秒 | Weblog
祝・2万ヒット記念


 さて、先週の問題の「名称」と「正しい使い方」はつぎのとおりです。

A:がみがみ女のくつわ


使用法

 「男の前では女は黙るもの」という“男尊女卑”の慣習に反した女性を戒めるために「さらし刑」に用いられた。内部に鉄の突起があって口に押し込むことになるが、鋭い刺や刃が仕込んであると、舌にとりかえしのつかない傷を負う。広場の杭に縛られてさらしものになったうえ、さんざん殴られ、汚物を塗りたくられる。大けがで苦しむだけでなく、死にいたることもある。

B:ユダの揺籃(ゆりかご)


使用法

 図のように使用する。三角錐の先端を肛門、膣、陰嚢の裏、尾骨にあてがう。受刑者は、揺さぶられたり、吊り上げては三角錐の上に落す、ということを何度も繰り返される。つねに緊張を強いられるので眠ることができず、フランスでは「不眠」とも言われている。

C:親指つぶし器


使用法

 指の関節や骨を砕いたり、爪を割ったりする拷問は、簡単にできて効き目が高く、手間もかからず、それでいて激しい苦痛を与えられる。図は、使用方法の詳細図だが、15対の鋲を結ぶ点線で、親指のどこに力がかかるかを示している。

D:ニュルンベルクの鉄の処女


使用法

 人体の形に合わせてつくった容器で、扉が観音開きになっていて、裏側に釘がとりつけてある。扉を閉めると、中の人間が釘に刺し貫かれるようになっている。釘のとりつけ位置が変えられ、激しく痛む場所・致命傷になる場所に近づけたり、わざと外したりして、刺す場所を変えて拷問したと思われる。これはレプリカで、実物は第二次世界大戦中に焼失した。

E:口・肛門・膣用「梨」


使用法

 半開きにした形が洋梨に似ているので、こう呼ばれている。図のように3つか4つの部分に分かれていて、ネジで拡張できるようになっている。男性の口や肛門、女性の膣に押し込んで、ネジで拡張させる。内部から張り裂けて、受刑者は重傷どころか、かならず死亡した。


 ヨーロッパの拷問具は、日本の拷問具とちがい、白状させるのではなく、処刑を目的としたものが多いです。


 参照資料:川端博・監修『拷問の歴史~ヨーロッパ中世犯罪博物館』(河出書房新書、1997年)

妹が体験した怖い話~このホテルは出るよw~

2005年02月20日 23時42分25秒 | 心霊
 「ち~さまバブルを歌う」がうまく書けないので、今回は怖い話でお茶をにごします。w すべて妹が2002年の終わりごろに体験した話です。

 妹は、2002年10月末から11月はじめまで文化庁後援のオペラ「う×よ×ざ×」で関東各地をまわったんですが、栃木県S市のあるホテルで不思議な体験をしました。
 ホテルについたとき、謎の「筋」が建物の一角を突き抜けていたんで、「あれっ」と思ったそうです。その「筋」は5階のいっしょに行ったKさんの部屋を抜けていました。妹は、Kさんが何も感じていないようなので、怖がらせるといけないからと、黙っていました。
 Kさんは、ベッドに入ってもなかなか眠れず、うとうとしていたら、目の前を白い足袋をはいた足が、宙に浮いたまま、くるくるまわっているのが見えたそうです。でも、Kさんは、疲れているからだと、そのまま寝てしまいました。
 翌日、Kさんがそんな話をしたので、部屋に行くのはイヤだったんですが、ちょっと覗いてみました。すると、首を吊った人が見えたのです。そうKさんが見たのは首を吊って、ぶらさがった人の足だったんです。

 同じ公演で、Kさんたちは茨城県M市のホテルに泊まりました。このホテル、某有名ホテルと同じ名前ですが、それとはぜんぜん関係ないんだそうです。オペラの公演って、何人かで同じ役をかけもちするんで、妹はこのときは同行しませんでした。こんど体験したのは、Hさんで、妹はKさんからその話を聞きました。
 Hさんがベッドに入ってしばらくすると、金縛りにあいました。あまりの苦しさに目を覚ますと、自分の上に真っ黒なかたまりが乗って来たんだそうです。
 Hさんの体験はそこで終りですが、その話をKさんから聞いた瞬間、妹にもその真っ黒なかたまりが見えたんだそうです。

 つぎも同じ公演での体験談です。千葉県のあるホテルに泊まったら、となりの部屋からイヤ~な感じがしたんだそうです。
 その部屋はAさんの部屋だったんですが、とつぜん扉がしまってしまい、鍵をつかっても開かなくなってしまいました。ホテルの人に言ってマスターキーで開けてもらい、別の階の部屋に換えてもらいました。
 その部屋は空き部屋となり、妹の部屋をはさんで、反対側はYさんの部屋でした。妹がベッドに入ると両方の部屋から音がするんだそうです。片方はYさんがいるんで、音がしてもおかしくありませんが、もう片方は空き部屋のはず…それなのに音がするんです。
 耳を澄ますと、何人かがぼそぼそ話しているだそうです。それを聞いているうちに妹の体のその部屋の側がどんどん冷たくなってきたんで、聞くのをやめたそうです。

 Yさんは、この公演に出る前に、デジカメを買ったんだそうです。でも、Yさんが撮ると変なモノが必ず写るんで、Yさんは怖がっていました。
 千葉県での公演が終わって、アクアラインを通って帰ってきたんですが、途中、「海ほたる」で休憩しました。もう暗くなってしまったんですが、みんなで写真を撮ろうってことになって例のデジカメを使いました。ところが…
 他の人を写した写真はふつうに撮れるのに、Yさんを写した写真だけが、謎の光が写りこんでいるのです。一つはものすごく明るい青い光が写っていて(もちろんそんな光はありません)、別の一つは白い発光体がうねうねってうねっている写真でした。2つとも実物を妹も見たそうです。
 不思議なのは白いうねうねで、シャッターを開けたままにして動かしながら光を撮るとそういう写真が撮れるんですが、その写真、Yさんはしっかり写っていて、そういう写真じゃないそうです。しかも、今さっき撮った写真なんで、パソコン等で細工なんてできません。
 Yさんはそうとうビビっていたそうです。


 映画「呪怨」ビデオにとって見たけど、ぜんぜん怖くなかった。うちの及川(←と身内みたいに言ってみるw)がお世話になったんで文句いいにくけど、清水崇監督のいうジャパニーズ・ホラーって何? ただ単に理不尽なだけ。あと、人死にすぎ。最後、香椰子(←漢字これでいいのかな?)が階段下りてくるシーンで爆笑してしまった。
 ハリウッドで映画化したらしいけど、上記の理由でアメリカ人には受けると思われ。。。

『闇の検証』~書いてあるのはわかってることばかり&現世のことももっと評価してよw~

2005年02月16日 19時09分00秒 | 心霊
 「ほんとにあった怖い話」編集部・編『霊能者・寺尾玲子の新都市伝説 闇の検証』(朝日ソノラマ)というシリーズがあります(1996~2003年)。その内容は、霊能者・寺尾玲子をナビゲーターにして、全国の心霊スポットを霊視するのです。ところが、霊視の対象が、超有名な心霊スポット、歴史上の重要人物ばかりなのです。目次だけ紹介しましょう。
●第1集(1996年)
 ・四谷怪談・お岩さんの謎
 ・祟りの首塚・平将門の謎
 ・怨霊都市・鎌倉の謎
 ・禁断の聖地・皇居の謎
 ・異界ゾーン・赤坂・青山・六本木の謎
 ・地獄の刑場・鈴ヶ森の謎
 ・魔の高層ビル・池袋の謎
 ・花のお江戸の怪伝説・浅草の謎
 ・葬られた聖地・上野の謎
 ・動物霊の神秘・秩父の謎
●第2集(1999年)
 ・日本最大の魔境/青木ヶ原樹海の謎
 ・ミステリアスな伊豆の旅/唐人お吉の謎
 ・勇者と美女の悲恋/怨霊・新田義興の謎
 ・親の因果が子に報い/中野長者の謎
 ・眠れる怨霊/続・平将門の謎
 ・エキゾチック・ゴーストゾーン/横浜の謎
 ・ウワサの真偽を直撃/東京タワーの謎
 ・呪われた覇者/源頼朝の謎
 ・仇討ち劇の真相/忠臣蔵の謎
 ・関所暗話/箱根の謎
●第3集(1999年)
 ・悲劇の英雄/源義経の謎
 ・知られざる東京ゴーストフィールド/表参道の謎
 ・陰陽師/安倍晴明の謎
 ・騒乱の世に散った剣士達/新撰組の謎
 ・薄幸の佳人/お市の方の謎
 ・沈黙の敗将/明智光秀の謎
 ・源平最後の合戦/壇ノ浦の謎
 ・神々の里/出雲の謎
 ・孤独な魔王/崇徳上皇の謎
 ・仕組まれた埋葬/大阪城の謎
●第4集(2001年)
 ・加賀百万石の闇/金沢の謎
 ・静かな超越者/菅原道真の謎
 ・幻の聖童/天草四郎の謎
 ・新旧ゴーストスポット探訪/千葉・下総の謎
 ・徳川の女達/千姫の謎
 ・最後の呪法/武田信玄の謎
 ・龍の通る道/飛鳥の謎(前編)
 ・龍の通る道/飛鳥の謎(後編)
 ・最後の戦国大名/独眼竜政宗の謎
 ・大輪の死に花/真田幸村の謎
●第5集(2003年)
 ・古代最大の内乱/壬申の乱の謎
 ・呪いの墳墓/高松塚古墳の謎
 ・怒れる猛き者/平清盛の謎
 ・無念の闇に迷う/白虎隊の謎
 ・パワーエリアの陰と陽/日光の謎
 ・黒衣の宰相/天海僧正の謎
 ・風水の都/魔界・京都の謎
 ・戦国人物模様/細川ガラシャの謎
 ・信念の求道者/上杉謙信の謎
 ・神秘の山/吉野の謎

 さて、その中からいくつか「つまみ食い」してみます。いちばん最初の「お岩さん」は、前回紹介した永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』(朝日ソノラマ、1996年)との関係で、永久保さんといっしょに行きました(永久保貴一『永久保怪談 恐怖耳袋』朝日ソノラマ、2巻、1998年にある「累ヶ淵」も同様)。意外なのは、お岩さんは怨霊ではなく、いわゆる「成仏」した霊だったことです。あと、最強の心霊スポットといわれる「将門の首塚」には、平将門の霊はいず、むしろ霊的なパワースポットである江戸城本丸=東御苑の影響であると指摘したことです。そして、その場所で「大嘗祭」が行われてたなんて。。。
 「青木ヶ原樹海」では、「オレはダマされたんだ、ダマされたんだ」と恨みがましい台詞を繰り返す霊の言葉に、彼らが永遠に樹海から逃れられない理由がうかがえます。「打越橋」は、ひじょうにバランスの悪い場所にあり、吐き気をもようしたそうです。この場所で自殺者が絶えない原因は、もうひとつ、強制労働によって虐げられた人々の恨みの念だというのです。彼らの「覚えておれよ」という台詞には慄然となります。
 織田信長と明智光秀の霊視でおもしろかったのは、信長が自分を攻めていたのが光秀であることを信じていなかったことです。理由は、自分の目で確かめたわけではないから。異常に信長らしい話です。そして、明智光秀の謀反の動機ですが、最近は「影の黒幕」探しが流行っていますが、彼個人の野心であったことです。
 歴史上の人物としては二流ですが、徳川信康と武田義信、そして2人の母(築山殿と三条殿)の霊視はおもしろいです。徳川家康と武田信玄(晴信)という偉大な父の長男でありながら、気位の高い母に育てられ、ともに殺されてしまう(築山殿も殺される)。ひじょうに似ています。
 「壬申の乱」と「高松塚古墳」では、持統天皇がかけた呪術がテーマになっています。とくに高松塚では、持統のかけた呪いを解き、囚われていた片目の女を解放します。しかし、持統に逆襲され、霊能力を奪われてしまうのです(その後、吉野で回復)。この後だっけ、高松塚の壁画が剥がれたの? まさか呪術を解いちゃったからじゃないよね? 玲子さん。w

 ただ、つまらないのは、わかってることばかりなんだよね。大学院生のとき、「わからないことも本人に聞けばわかるんじゃないの」って友だちと話したことがあったんだけど、わかってる以上のことが出てこないのですヨ。これは思うにスタッフが歴史にくわしくないからなのではないかと。。。ここをもっと調べると新しいことがわかるのに、そこがわからない!w
 今から10年以上前、宜保愛子さんがまだ健在のころ、ロンドン塔を霊視するという企画をテレビで放送しました。このときはイギリス文学者が、コメンテーターで呼ばれていて、宜保さんが見た霊をつぎつぎと解説してくれて、とてもおもしろかったです。霊視した霊は、エドワード5世とヨーク公(おじのリチャード3世に殺された少年王とその弟)、アン・ブーリン(ヘンリー8世の妻でエリザベス1世の母)、ウォルター・ローリー(エリザベス1世の寵臣ではじめてタバコを吸った欧米人。ご主人様が火事だ!と水をかけられた人)などです。とくに、エドワード5世とヨーク公は死体が見つかっていないので、文学者さんはその場所が知りたくてたいへんでした。w

 あと、ムカツクのが、歴史的にはとても重要な仕事をしているのに、いまだに「成仏」できていない人たちの話。源頼朝は、脳溢血で死んじゃったんだけど、そのままウ~ンてなってるんだそうです。800年間も。。。あと、信長は、達成感と無念の気持ちで、ぐちゃぐちゃだそうです。どうも死んだときの精神状態がその後の「成仏」を左右するみたいなんですが、現世でやったことは、人を虐殺したとか、人の恨みをかったというマイナスの評価はあるのに、武家政権をつくったとか、天下統一に貢献したとか、プラスに評価されないのね。orz

永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』~永久保さんの実証がステキw~

2005年02月15日 19時24分00秒 | 心霊
 永久保貴一さんの実録マンガ、これが最終回です。永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』(朝日ソノラマ、1996年)は、「四谷怪談」と「皿屋敷」について検証しています。このうち、今回は「皿屋敷」の検証を紹介します。
 永久保さんは、これ以外にも、前回紹介した『永久保怪談 恐怖耳袋』の2巻で、「累ヶ淵」の検証をしています。「四谷怪談」と「累ヶ淵」については、つぎの記事を見てください。
●「累ヶ淵」
 →「累ヶ淵」補論~羽生村事件の概要~
●「四谷怪談」
 →「四谷雑談」~「四谷怪談」の実録小説
 →「東海道四谷怪談」の概要(はじめに)
 →「東海道四谷怪談」の概要(前半)
 →「東海道四谷怪談」の概要(後半)
 →於岩稲荷に関する考察

 「皿屋敷」の怪談にはさまざまなヴァージョンがあるのですが、永久保さんはまず馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」(1756年)を紹介しています。
 盗賊・向坂甚内(さきさかじんない)の娘・菊は、盗賊改・青山主膳(しゅぜん)に縁坐で母とともに捕らえられました。主膳は、菊が下女になるのを条件に許しますが、母を処刑してしまいます。菊は、そのことを知らず、主膳に迫られたうえ、主膳の妻に嫉妬され、イジメられますが、耐えます。しかし、菊は、家宝の皿を割ったことで、母親が処刑されていることを知らされ、さらに指を1本斬られてしまいます。菊は井戸に身を投げるのですが、主膳は事故で死んだことにしてしまいます。やがて、主膳に子が生まれるのですが、その子には指が1本ありませんでした。さらに、、、



 毎夜あらわれる菊の霊に、奉公人たちはみな逃げ、主膳も狂ってしまい、青山家は取り潰されました。

 この話の舞台は江戸の番町ですが、もともとは牛込での話らしいのです。じつは「皿屋敷」の怪談は全国にあり、菊が水で死ぬ話も多く存在します。その中でも特徴的なのが、菊が、針のために殺され、怨霊となる話です。そのひとつが、新井白石の「白石先生紳書」(1719年)にあります。
 加賀藩の小幡播磨という人が、飯の中に針が入っていたことを理由に、菊という女中を殺しました。その際、菊は、身に覚えのないことで殺されるのはとても恨めしい、小幡ゆかりの者たちに思い知らせてやりたい、と言いました。その後、小幡の家は死に絶え、縁続きの者も多く亡くなったのです。そして、有賀平三郎という者がいたのですが、その兄弟もみな死んでしまいました。彼は、江戸の上屋敷で病に倒れ、どんどん悪化していきます。そんなある日、屋敷内に馬士が現れ、女を乗せてきたので、駄賃が欲しいというのです。役人は、ここには女などいないし、どうやって屋敷の中に入ったのだ、と問いつめます。ところが、、、



 それから数日後に平三郎は死んでしまいました。

 姫路にも「播州皿屋敷」という話があります。小寺則職(こでらのりこと)が姫路城主だった戦国時代、家老の青山鉄山が主家横領を企てました。忠臣・衣笠靭負之助(きぬがさゆきえのすけ)の愛人・菊が下女となって陰謀をあばこうとします。しかし、青山は主家の横領に成功し、家来の町ノ坪(ちょうのつぼ)弾四郎は、菊をモノにしようと、重宝の皿を隠します。弾四郎は、菊に責任を問うが、思いどおりにならないので、責め殺してしまいます。その後、菊の霊が現れ、青山は失脚し、小寺則職は城をとりもどすのです。
 この話の元ネタが「竹叟夜話(ちくそうやわ)」にあります。姫路市西郊の青山に住んでいた太田垣小殿佐(おおたがきこどののすけ)には花野という愛人がいました。



 永久保さんは、「針で殺される菊」の話と「花野とアワビ貝」の話が、姫路で融合したのではないかと考えます。

 ところで、「針で殺される菊」の話は、祐川法幢(すけかわほうどう)の「幽霊・妖怪考」によると、戦国時代に群馬県西部の甘楽郡を支配していた小幡氏に関係するのです。小幡氏、そう白石の話に出てきた小幡氏です。甘楽町の曹洞宗宝積寺には菊の墓があり、つぎのような話が伝わっています。
 小幡信貞は菊という美しく聡明な腰元を寵愛していました。しかし、奥方は、それを快く思わず、信貞の留守のとき、陰謀をめぐらします。奥方は、菊に給仕を命ずるのですが、、、




 菊は1586年9月19日に殺されました。それから、4年後の1590年、小幡氏は、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北条氏についたため、没落してしまいます。
 小幡信実は、旧友の真田氏を頼り、信州上田に移動しました。さらに、真田氏が松代に移封されたので、それに同行しました。その際、カゴがひとつ余計について来たといいます。運賃を請われ、中を見ると、誰も乗っていませんでした。どんな者が乗っていたのかと聞かれた人足は、21か22のたいそうやつれた女の方が乗っておりました、と答えたそうです。信実は、息子を家康に仕えさせ、その子孫が旗本になりました。その一族の墓が牛込にありました。これが最初に紹介した話のもとになったようです。
 小幡の一族・彦三郎は、本隊が小田原にろう城した際、留守を守っていました。前田利家に攻められたのですが、彦三郎はあっさり降伏し、そのまま前田家に仕え、重臣となりました。これが白石の「馬士」の話につながるのです。
 滋賀県の彦根や埼玉県の行田にも「皿屋敷」の話があります。彦根の初代藩主・井伊直政は、小田原の戦いの後、小幡領を支配し、多くの家臣を新たに取り立てました。その後、彼が彦根に移ると、菊の怨霊の話が彦根に伝わったのです。さらに、彦根藩の重臣で小幡氏に仕えていた岡本半介が、徳川家康の孫・松平忠明(下総守)に小幡氏の人間を推挙しました。この松平家(下総守)が姫路に移封され、菊の怨霊の話が姫路に伝わったのです。さらに、松平家は埼玉県の忍(行田市)に移ると、ここにも菊の怨霊の話が伝わりました。
 このようして、全国に「皿屋敷」の話が伝わったのです。

 しかし、永久保さんは「皿屋敷」の起源はこれ以前にもさかのぼれると考えています。民俗学者・折口信夫は、菊のモデルは菊理姫(くくりひめ)ではないか、と指摘しているのです。菊理姫は、日本書紀でイザナギとイザナミが泉平坂(よもつひらさか)で争ったときに登場するのですが、謎の多い神です。白山神社の祭神ですが、それとは別に処刑にたずさわったから崇拝されていました。永久保さんは、菊理姫が関係するものとして、水(菊は水で死ぬ)、ヘビ(ヘビ責めにあう菊、ヘビは、脱皮するので「死と再生」を意味し、農耕神でもある)、針(磔[はりつけ]と関係する?)、バンという音(番町、播州、彦根の番場町など、ばんという音と関係がある?)からこう結論づけます。



 う~ん、飛躍しすぎ、、、かな? 最後の結論はともかく、なかなかおもしろいマンガです。ていうか、マンガの領域をすでに超えていて、とても読みごたえがあります。

永久保貴一『恐怖耳袋』~永久保怪談は2巻までw~

2005年02月13日 21時00分03秒 | 心霊
 永久保貴一さんのマンガを載せるとアクセス数が高い! というわけではないんですが、今回も永久保さんのマンガを紹介しましょう。『永久保怪談 恐怖耳袋』(朝日ソノラマ、1~2巻、1998年)、例によってまた2巻までしか出ていません。w
 構成はつぎのとおり。"~"から後は私が適当に題名をつけました。
「永久保怪談 恐怖耳袋」1巻
・「生き人形」~稲川淳二さんの体験談
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第1話~「生き人形」後日談
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第2話~憑きものすじの家(オサキギツネ&イヌガミ)

「永久保怪談 恐怖耳袋」2巻
・「実録 怪談・累ヶ淵」~霊能者・寺尾玲子さんも登場
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第3話~医療関係者の体験(病院長&看護士長)
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第4話~ホタル水路
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第5話~納戸の黄色い煙(アシスタントの体験)

 この中から、ホタル水路の話を紹介します。

 ホタル水路は八丈島(東京都)にある観光スポットです。この話は、永久保さんのファンの松山さおりさん(仮名)が当時つきあっていたホテルマンの松沢くん(仮名)の体験談です。
 このホテルは、夏の間だけバイトを雇うのですが、そのバイトくんたちの慰労ため、ドライブをします。松沢くんは、それに付き添って、ホタル水路に行ったのですが。。。



 翌日、松沢くんは、同僚の広田くんに請われて、ホタル水路に行き、そこで写真を撮りました。しかし、その帰り道、2人の乗った車にトラックが突っ込み、広田くんは頭蓋骨骨折の重体となって東京の病院にヘリで搬送されてしまいました。
 数日後、フロントにいた松沢くんに2人の女性が近寄ってきました。彼女たちは、ホタル水路に行き、そこで少年の霊を目撃しました。しかも、その少年が彼女たちの部屋までついて来てしまいました。あまりに怖いので部屋に戻れず、ロビーにいたと言うのです。




 この藤巻くんもこの後バイクで事故にあい、松沢くんのお父さんも交通事故を起こしてしまいます。おまけに、突っ込まれたトラックの運転手にごねられ、松沢くんは精神的にまいってしまい、同僚に殴りかかりそうになったのを上司に止められました。
 松沢くんはこの話を恋人の松山さんにしたのですが、その直後、記憶を失い、気がついたら、海岸にひとりでいたそうです。
 あまりに恐ろしいので、埼玉県の神社に行ってお祓いをしてもらいました。その結果、怪異はやんだのですが、不思議なことに、事故で壊れたはずのカメラも直りました。その写真を現像すると、恐ろしいものがたくさん写っていたそうです。

 この話では犠牲者こそ出ませんでしたが、第2話の憑きものすじの家の話では、調査にいった大学生のうち、1人が変死、1人が行方不明になったそうです。
 このマンガを描いている間、永久保さんも体を壊してしまいました。う~ん、怖い、怖すぎるよ、永久保さん。

念願の葛西臨海水族園に行ってきますた。w

2005年02月13日 01時34分23秒 | 自転車
 今日はこの前行きそこなった水族館(正しくは東京都葛西臨海水族園)に行ってきました。もちろん自転車で。。。

 自宅を2時10分前に出発し、ロードでいつものように宮城ゆうゆう公園から荒川河川敷道路に入りました。風はいつもより少し弱かったです。軍事ヲタの方々が、江北橋と扇大橋の間でサバイバルゲームをしてました。これもいつものこと。w
 金八ゾーンでは、ロケ車が3台停まっていて、撮影してました。でも、河川敷道路は封鎖してませんでした。墨田水門南のうさぎタソも元気にぴょんぴょん跳んでました。
 清砂大橋の下ではユンボが土手を掘ってました。何の工事なんでしょうかね?

 葛西臨海公園に着き、水族園の前にロードを停め、水族園のなかに。ここからは、下のパンフレットを見てください。

   パンフレット→おもてうら(クリックすると開きます。)

 正門を入って右折、レストハウス(アザラシとかペンギンのぬいぐるみを売ってますw)を右に見ながらしばらく行き、こんどは左折。さらに行って売札所で700払って入場券を買います。ゲートをくぐってそのまま行くと、噴水池に囲まれたエントランスホール(3階)から、2階に下りていきます。土曜日なんで、家族連れの客がイパ~イいました。
 2階に着くと、正面に巨大水槽があって、「大洋の航海者」という展示で、サメがイパ~イ泳いでいました。あまり大きなサメはいません。シュモクザメがいちばん大きかったです。ストロボを使わなければ、写真が撮れるので、デジカメで撮ろうとしたのですが、サメが速すぎてうまく撮れないよ。そうこうしてたら、デジカメの電池がなくなっちゃった。(泣)
 写真はあきらめて、1階に下ります。大水槽の中をマグロが回遊してました。つぎは「世界の海」という展示で、太平洋、インド洋、大西洋、カリブ海、深海の生物が見れるはずなんですが、人多すぎ。ぜんぜん見れません。(泣) しょうがないので、もういちど「大洋の航海者」のマグロの回遊を見ました。大きいマグロから小さいマグロまでイパ~イいたんですが、大きいマグロはホントにデカイですねぇ。それにすごいスピードです。
 つぎに「渚の生物」で、イソギンチャクとか、ヒトデとかが展示されてたんですが、ここも人多すぎ。全体的には人がいないんですが、生物が見れるところに人がイパ~イいるんです。
 つぎが「ペンギンの生態」です。陸上の生態と水中の生態と両方見られます。水中ではちょうど飼育係がえさを撒いて、それをペンギンが泳ぎながら、食べてました。ほんとうに水中を飛ぶように泳ぎます。足で体を掻いているペンギンもいました。でも、どうも北海道の某動物園(最近テレビ放送しすぎw)と比べると、迫力不足ですね。
 「海藻の林」と「東京の海」も家族連れで混んでました。でも、「世界の海」より空いてました。
 さいごに「海鳥の生態」という展示で、エトピリカとウミガラスがいました。どっちもふつうの鳥とペンギンの中間みたいな鳥です。
 2階に戻って売店を見ると、アザラシ、ウミガメ、シュモクザメ、ペンギン、タコなどのパペットを売ってました。まあ、べつに買わなかったんですけどね。w
 なんか人多すぎて、700分の400くらいしか見れなかったなぁ。平日に来れたらいいんですが。。。

 水族園を出て、こんどは鳥類園に行きました。ここには「上の池」と「下の池」があって、その間にバードウォッチングセンターがあります。センターには前入ったことがありましたが、有料の望遠鏡がある他はとくに何もなかったです。
 ここには野鳥から気づかれないように観察できるポイントがあり、そこから一眼レフにカメラ小僧がつかうようなレンズをつけて、写真を撮りました。でも、これじゃ足りないみたいです。だって他のオサ~ンたちはもっとすごいレンズつけてましたから。w カモとアオシギとコシギの写真が撮れました。まだ現像してないけど。

 帰りは例によって向かい風ですが、今日はいままでではいちばん弱かったので、それほど疲れませんでした。暗くなってもうさぎタソは元気に跳んでました。金八ロケ車は5時半撤退でした。w


●2005年2月12日(土) 荒川河川敷道路・葛西臨海公園

 自宅[13:50]―宮城ゆうゆう公園▼荒川河川敷道路(右岸)━清砂大橋▼江戸川健康の道━葛西臨海公園━清砂大橋━宮城ゆうゆう公園―自宅[17:55]

 ☆サイクロコンピュータ
  走行時間 2:17:02
  最高速度 35.7km/h
  平均速度 21.3km/h
  走行距離 48.86km
GPSトラック・ログなし

永久保貴一『生き人形』~稲川淳二の怖い話~

2005年02月11日 21時31分40秒 | 心霊
 夏になると、どこかのテレビ局で稲川淳二さんの怖い話が放送されます。その稲川さんもあまりの怖さに封印してしまったのが「生き人形」の話です。実際に死人が出ているんで。。。永久保貴一さんのマンガ『生き人形』(朝日ソノラマ、1985年)でこの話を紹介します。

高速道路の女
 稲川さんは、1977~78年頃の6月、オールナイトニッポンの放送を終えて、ディレクターと送迎車に乗って帰りました。中央自動車道の三鷹を過ぎたあたりで、道路を斜めに遮断するように灰色の霧が立ちこめていました。それを抜け、何気なく道路脇の標識を眺めていると、遠くに黒い着物を着た黒髪の女性が立っているのに気づきました。近づくにしたがって、顔だけが見えるようになり、さらに身体全体が透けているのに気づきました。そして、すぐ手前まで来た時に、いきなり首だけが宙を舞い、フロントガラスを突き抜けて、稲川さんとディレクターの間を通り抜けていったのです。



 稲川さんは、国立の自宅へ帰りましたが、寝つけないので妻のいる2階の寝室から出て、1階のソファで横になっていました。すると、朝の5時頃、妻が起きてきて「友人はどうしたのか」と尋ねてきました。稲川さんの後ろから入ってきて、部屋をグルグルと回っていた人がいるというのです。
 翌日、一緒に帰ったディレクターから電話が入り、「誰かと一緒に車から降りなかったか」と聞かれました。ディレクターによると、自分と稲川さんと運転手以外に誰かが乗っていたような気がしたというのです。そしてその日の内に、有名な人形使いである前野(マンガでは松岡)さんから連絡が入り、「呪女十夜」という人形芝居に出演することとなりました。
 稲川淳二がオールナイトニッポンのパーソナリティーをつとめていたのは、1976年4月~9月(水曜2部)と1976年10月~77年9月(月曜2部)である。

芝居前夜
 京王線の幡ヶ谷で人形芝居の打ち合わせがありました。メインになる人形は2体、少女と少年でした。人形はできていませんでしたが、その完成図を見たとき、稲川さんは驚きました。少女の人形が、先日、中央自動車道で遭遇した女とまったく一緒だったからです。
 完成直後の人形を見ると、右手と右足がなぜかねじれてつけられていました。人形作成者に連絡をしましたが、まったく音信不通状態になっていました。
 台本作家の自宅が全焼し、台本が焼失してしまいました。「呪女十夜」の台本ができた直後に、その台本がおいてあった書斎から出火したのです。
 練習中、前野さんが気になって父の家へ連絡を入れると、父の世話をしてくれていた従兄弟が部屋の中で変死していました。
 慰労のために稲川さん宅で飲み会をやったのですが、翌日、タンスを開けると、芝居用の衣装の棚だけが水をかぶっていました。そして、泊まったメンバーの鞄の中に水が溜まっていました。また、スタッフの多くが、右手・右足に怪我をしていました。

呪女十夜
 公演初日、昼の舞台直前に出演者の多くが原因不明の金縛り状態になり、動けなくなりました。そのため、夜の部に観客をひとまとめにして初日とすることになりました。夜の部までの間に神社からお札をもらいました。
 出演者が、人形操演のための黒子は7人のはずなのに、8人いるというのです。稲川さんが舞台のそでに立っていると、そばに一人の黒子がいるのがわかった。舞台監督だろうと思ってやり過ごしましたが、彼は別の場所にいました。稲川さんも黒子が一人多いことに気づきました。
 舞台上で突然人形が涙を流しはじめました。そして、いきなり右手が吹き飛んだのです。
 人形を棺桶に入れる場面で、いきなり桶の底が抜け落ち人形がバラバラになってしまいました(人形の重さは8kg)。しかも、設定にないにもかかわらず、ドライアイスのような煙が立ちこめ、観客が大勢入っているにもかかわらず、場内が寒くなっていきました。


 声優の杉山加寿子さんが老婆に扮して、白いかつらをかぶり、頭に蝋燭を立てて舞台に出てきた瞬間、かつらに火が引火して危うく大惨事になるところでした。練習でも一度もそのようなアクシデントになったことはありません。
 このような怪異が立て続けに起こったため、早く終えたかったのにもかかわらず、次の公演を行う劇団の都合によって公演を2日延長して欲しいと言われました。全員が反対する中で、人形使いの前野さんだけが延長を主張しました。そして、その日の晩に前野さんの父親が亡くなりました。

3時にあいましょう
 公演の怪異を聞いて、TBSの「3時にあいましょう」という番組で人形の特集をすることになりました。当日、なぜか前野さんが人形に執着して手放さないのです。よく見ると、おかっぱ頭の人形の髪が耳あたりの長さだったのが、肩あたりにまで伸びていました。
 リハーサルをはじめた瞬間、そのスタジオだけ停電、セットも倒れてしまいました。そしてつり下げてあった照明が落ちるというアクシデントも起こったのです。
 生本番で、司会者が話題を振ってカメラが人形にズームインした瞬間、後ろにつり下げてあった黒幕が落ちて、人形にかぶさってしまいました。幕はいくつもの紐によって吊られており、それが一度に切れるということはありえません。それからしばらくして、スタッフの一人が急死したというのです。

東京12チャンネル
 TBSの話を聞いて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)も特集を組むことになりました。そこで、行方不明だった人形の製作者を捜し出しました。彼は京都比叡山あたりの山奥で仏像を彫っていました。ところが、彼はそのような人形を作った覚えがないと断言しました。
 京都ロケでは、小松方正さんとスタッフが京都で会うことになっていましたが、買った切符が全部時間がちがっていたりして、結局、小松さんと会うことができなくなりました。後日、製作者へインタビューをしましたが、同時刻にディレクターの妻が原因不明の発疹が顔にでき、切符を手配した人の子どもは交通事故、構成作家の飼っていた犬は原因不明の病気になりました。
 スタジオ撮りを開始すると、立て続けにカメラが3台壊れました。最後には、撮影本番中にもかかわらずスタジオの扉が何者かによってガンガン叩かれました。しかし、扉を開けてみましたが、外には誰もいなかったのです(このフロアには人間が隠れることができるような死角はない)。このような怪異が続いたため、2週間もかけて制作された番組はボツとなりました。

霊視
 稲川さんは人形を持って霊媒師・久慈(マンガでは久郷)さんのところへ相談しに行きましたが、強く拒否されました。無理にお願いして、布を巻いたまま人形を霊視してもらったところ、この人形には多くの霊が取り憑いており、中でも一番強烈な霊は、戦前に赤坂にあった「青柳」という料亭の7才になる娘で、空襲によって右手・右足を吹き飛ばされて亡くなったといいます。また、この人形には対の人形(少年)があり、こちらも何かが取り憑こうとしていると言いました。
 久慈さんはこの人形の霊視をした当日に倒れ、そのまま意識を回復することなく、3日後に亡くなっています(マンガでは久慈さんの死についてふれていない)。

記念撮影
 人形を寺に納めることにしたので、人形を愛する前野さんのために記念撮影をすることにしました。そして、立木義浩さんのスタジオで写真を撮って現像すると、人形は目を大きく見開き、口を開けて笑い、胸が大きくふくらんでいました。この変異にもかかわらず、前野さんは人形を所持し続け、人前に出さないぐらい偏愛するようになりました。

プラスα
 一連の事件から3年後の1982年夏に、大阪朝日放送の「プラスα」という番組から人形の話をして欲しいとの依頼がありました。ゲストは稲川さんと人形を持ってきた前野さんと地元の霊媒師です。ところが、出演予定だった霊媒師は、当日放送スタジオの前まできて交通事故に巻き込まれ、急遽、代役が立てられました。
 当日、スタジオに着くと、異様な音が鳴り響いていました。スタジオにいた誰もがその音を聞き、効果音のように思っていましたが、音声担当者は音を流していなかったのです。
 本番前、大道具係が人形を載せた台を取り囲むついたての中を覗くと、一人の少年が中に座っていました。フロアスタッフと一緒に確かめると、少年は「この人形、どうやって操るの」と尋ねてきました。ディレクターが観客をおどかそうとして、人形を動かす子役を起用したのだと思っていました。
 稲川さんの後ろの暗幕が奥へ引っ張られるように動き出しました。代わりの霊媒師が到着すると、その幕のあたりに男の子がいるといいます。さらに、観客席の主婦にどくように言うと、いきなりその頭上にあった照明器具を取り付けたバーが大きく揺れだしました。さらに、他の吊り下げ看板が揺れ、セットが倒れ出します。
 生本番スタート後に、女子社員がスタジオに駆け込んできて「モニターで見たら、稲川さんの肩の上と人形の上に同じ男の子が映り込んでいる」といいます。さらに「テレビに男の子が映っている」という電話が殺到しました。その男の子は本番前に大道具係が見た男の子でした。結局、番組はパニック状態のまま終了しました。



 ある心霊サイト(すでに閉鎖)のBBSで知り合った人が、この放送を見ていたそうです。彼によると、混乱していて、何がなんだかわからないうちに終わってしまったそうです。彼はこの放送が「生き人形」がらみの放送だと知らなかったので、「しまった。ちゃんと見ておけばよかった」とカキコしていました。

民宿
 「プラスα」終了直後、事務所スタッフの一人の親元が経営する伊豆の民宿へ行くことにしました。前野さんも人形を持って行くことにしました。新幹線で大阪から三島へは3時間程度で着くはずなのに、どこをどう行ったのかわからないのですが、三島駅に到着したのは終電時刻だったのです。
 民宿から車の迎えが来て向かったところ、山道の前方を白い影が走っていくのに気がつきました。よく見ると、それらは軍服を着た兵隊の集団でした。そして、宙を飛ぶようにこちらへ向かって飛んできたのです。
 民宿へ到着した途端、前野さんは人形をくるんでいた布を取り外しました。すると、人形の顔はどす黒く変色し、目を見開き、口元が大きくゆがんでいました。大騒ぎしていると、民宿のお母さんが人形の供養のために着物を作ってあげようと言ってくれました。

「呪女十夜」の再演
 「プラスα」の事件があった年(1982年)の秋に「呪女十夜」の再演がありました。前野さんは、さすがに怖かったので、別の人形を使用して舞台に立ちましたが、その公演の打ち上げパーティーから失踪してしまいます。約2ヶ月後、ひょっこり稲川さん宅を訪れたときには、前野さんはやせこけて髪も真っ白に変貌していました。そして、大きな目玉のポスターを貼ったり、意味不明なことを喋ったりして、精神的にも変調をきたしていました。

 永久保さんのマンガはここで終わりですが、「生き人形」の怪異はその後もつづきました。ここから先はネットなどで集めた話です。

ルックルックこんにちは
 1986年、日本テレビでも人形の話をして欲しいとの依頼があり、今度はビデオで収録することになりました。撮影は8畳の間でおこなわれ、全員で6人の人間が入ったにもかかわらず、クーラーなしでも寒さを感じるほどでした。そして、照明の加減であり得ないはずなのに、マネージャーのそばに影ができていました。しかも、マネージャーが動いていないのに、その影は動いてしまったのです。
 話が最高潮になったとき、稲川さんの腕時計がいきなり破裂しました。しかし、腕時計本体だけが破裂しただけで、他には何も異常がなかったのです。
 この録画が放送された「ルックルックこんにちは」の生本番中に「11時の方向へ…カメラを回せ」という声が流れ出し、そのまま放映されてしまいました(ただしこれは別のコーナーでの話だそうです)。

カセットテープ
 稲川さんは、1987年に『秋の夜長のこわ~い話』というテープを発売し、「あやつり人形の怪」のタイトルで、生き人形にまつわる怪異を発表しました。しかし、このテープを再生すると、白い煙が出たという噂が流れました。

人形使いの死
 カセットテープ発売後のあるとき、深夜に前野さんから稲川さんへ電話がありました。翌日からヨーロッパへ人形芝居の公演へ行くというのです。しかし、翌日の新聞に前野さんの自宅が全焼し、前野さんも焼死したという記事が載りました。それによると、稲川さんが電話を受けていた同時刻には、火災は起こっていたのです。
 あの人形も自宅の全焼で焼けてしまったと思っていましたが、後になって、製作者の元にあることがわかりました。前野さんが前日に、公演旅行へ行くので預かって欲しいと言って、初めて手放していたのです。

お姉ちゃん
 親元が例の民宿を経営していたスタッフが結婚して子どもが生まれました。ところが、子どもが3才頃になると、夜に誰かと喋っているのです。聞いてみると“お姉ちゃん”が来ているといいます。その“お姉ちゃん”は小さくて、おかっぱ頭の着物姿で、お母さんを捜しているというのです。そのお母さんとは“着物を作ってくれた人”であるといいます。
 人形を預かっている製作者のところへ人形の所在を確認すると、人形は着物ごとなくなってしまっていると報告を受けます。時期から考えて、子どものところへ“お姉ちゃん”が現れはじめた頃から見当たらなくなったようなのです。

稲川事務所
 事務所の者から、おかっぱ頭の少女がときどきドアの影から事務所内を覗いていると報告を受けました。しかし、稲川さんの事務所はビルの9階にあり、偶然のぞき込んだとは考えられない状況でした。
 稲川さんが仕事の関係でこの事務所に泊まったとき、自分以外の誰かが廊下をひたひたと歩いている音が聞こえてきました。そのあと、歩いていたと思われる場所へ行くと、なぜか水溜まりができていました。そして、9階なのに、窓の外から女の子がこちらを見ているような気に襲われたのです。

1枚の写真
 稲川さんは“お姉ちゃん”と会っていた少女と再会しました。少女は小学生になっていました。そして、少女は1枚の写真を見せてくれました。それは、稲川さんと前野さんの弟子と人形が一緒に写っているのですが、このような写真を撮る機会はなかったはずなのです。しかも、その写真は例の民宿のお母さんのタンスから出てきたというのです。そして、そこに写っている人形をさして、少女は「これが“お姉ちゃん”」と言ったのです。
 この頃までに少女は、右腕に2回も縫合手術が必要なほどの大ケガをしていました。ただし、大きなケガはそれだけです。

再びテレビ東京
 あるとき、テレビ東京から「倉庫から人形の胴体が出てきたので取りに来て欲しい」との連絡がありました(この人形は、早変わりのため、胴体が二つ作られていた)。マネージャーが行ったのですが、テレビ東京にはそのような倉庫もなく、電話した人間もいなかったのです。しかも、よく考えると、胴体だけであの人形であるとわかるはずがないのです。

1999年
 稲川さんは例の少女と再会しました。中学生になっていた少女は「いつかあの人形と会える。人形は待っている」と言いました。そして、このような家の中で待っている、と言って、家のスケッチを描いて見せました。その家の造りを見てスタッフは驚愕しました。それは、8月13日の舞台で使うセットと全く同じだったのです。