2005年8月21日(日)、さいたま市大宮区高鼻町の氷川神社、同市見沼区中川の中山神社、同市緑区宮本の氷川女体神社に行ってきました。
これらの3社はかつて、見沼に面して、氷川神社が男体宮、氷川女体神社が女体宮、中山神社が簸王子宮の関係にあり、みごとに並んでいます。氷川神社と氷川女体神社は○で囲み、中山神社は×とラインは━で記しました。間隔は、氷川神社~中山神社間が約3.7km、中山神社~氷川女体神社間が3.0kmです。標高も、氷川神社11m、中山神社9m、氷川女体神社10mとほぼ同じです。そして、━は真北から時計回りに300度の角度にあります。
▽ここをクリックすると地図が開きます。
氷川女体神社
祭神は奇稻田姫命(くしなだひめのみこと)で、三穗津姫命(みほつひめのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと、=大国主命)が配祀されています。
氷川女体神社の東に見沼氷川公園がありますが、その北辺に磐船祭祭祀遺跡があります。見沼と深い関係にあり、14世紀から行われていたという祭礼の「御船祭」は見沼で行われていました。しかし、享保12年(1727)に見沼が干拓され、代わって出島で「磐船祭」が行われるようになったのです。
この磐船祭祭祀遺跡と氷川女体神社をむすんだ線も、真北から時計回りに約300度の角度にあります。ほかの2社はちがっていたのですが、ここの参道は上記のライン上に存在します。
中山神社
中山神社は、かつては「中氷川神社」と呼ばれていましたが、1907(明治40)年に中川神社に改めました。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稻田姫命、大己貴命です。毎年12月8日に、焚き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災と火難がないように祈願する鎮火祭が行われていましたが、近年は中断されています。
氷川神社
氷川神社は、武蔵国一宮であり、祭神は須佐之男命、稻田姫命、大己貴命と出雲系で、武蔵国造が祭ってきました。
旧中山道に一之鳥居があり、約2kmの参道を進むと、二之鳥居、三之鳥居があります。三之鳥居をくぐり、神橋をわたると、楼門がありますが、現在は工事中で板で囲まれて見ることができません。
その楼門をくぐると、中央に舞殿があり、4本のケヤキ(?)の巨木がありました(避雷針の代わり)。北側に拝殿があり、その奥に本殿があります(写真は拝殿と本殿)。静寂につつまれたところでしたが、お参りする人はあまりに多いので、拝殿と本殿の写真は前回のものです。
これらの3社はかつて、見沼に面して、氷川神社が男体宮、氷川女体神社が女体宮、中山神社が簸王子宮の関係にあり、みごとに並んでいます。氷川神社と氷川女体神社は○で囲み、中山神社は×とラインは━で記しました。間隔は、氷川神社~中山神社間が約3.7km、中山神社~氷川女体神社間が3.0kmです。標高も、氷川神社11m、中山神社9m、氷川女体神社10mとほぼ同じです。そして、━は真北から時計回りに300度の角度にあります。
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氷川女体神社
祭神は奇稻田姫命(くしなだひめのみこと)で、三穗津姫命(みほつひめのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと、=大国主命)が配祀されています。
氷川女体神社の東に見沼氷川公園がありますが、その北辺に磐船祭祭祀遺跡があります。見沼と深い関係にあり、14世紀から行われていたという祭礼の「御船祭」は見沼で行われていました。しかし、享保12年(1727)に見沼が干拓され、代わって出島で「磐船祭」が行われるようになったのです。
この磐船祭祭祀遺跡と氷川女体神社をむすんだ線も、真北から時計回りに約300度の角度にあります。ほかの2社はちがっていたのですが、ここの参道は上記のライン上に存在します。
氷川女体神社の前から磐船祭祭祀遺跡への通路
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/e5/7b5512fb980a6877ad043b5940e29826.jpg)
磐船祭祭祀遺跡(地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d7/0d6177327e058dedbb9977cf8bfd1cde.jpg)
4本の木にしめなわが張ってあります。
氷川女体神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/69/92643657cd2dce8b8c1861784f913d1a.jpg)
見沼代用水西縁から少し登ったところに神社があります。
氷川女体神社・本殿(地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/03/de55e1cf7b82ae9fff770928480bb023.jpg)
とても静かな境内に本殿があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/e5/7b5512fb980a6877ad043b5940e29826.jpg)
磐船祭祭祀遺跡(地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d7/0d6177327e058dedbb9977cf8bfd1cde.jpg)
4本の木にしめなわが張ってあります。
氷川女体神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/69/92643657cd2dce8b8c1861784f913d1a.jpg)
見沼代用水西縁から少し登ったところに神社があります。
氷川女体神社・本殿(地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/03/de55e1cf7b82ae9fff770928480bb023.jpg)
とても静かな境内に本殿があります。
中山神社
中山神社は、かつては「中氷川神社」と呼ばれていましたが、1907(明治40)年に中川神社に改めました。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稻田姫命、大己貴命です。毎年12月8日に、焚き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災と火難がないように祈願する鎮火祭が行われていましたが、近年は中断されています。
氷川神社
氷川神社は、武蔵国一宮であり、祭神は須佐之男命、稻田姫命、大己貴命と出雲系で、武蔵国造が祭ってきました。
旧中山道に一之鳥居があり、約2kmの参道を進むと、二之鳥居、三之鳥居があります。三之鳥居をくぐり、神橋をわたると、楼門がありますが、現在は工事中で板で囲まれて見ることができません。
その楼門をくぐると、中央に舞殿があり、4本のケヤキ(?)の巨木がありました(避雷針の代わり)。北側に拝殿があり、その奥に本殿があります(写真は拝殿と本殿)。静寂につつまれたところでしたが、お参りする人はあまりに多いので、拝殿と本殿の写真は前回のものです。