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クリステーロ反乱と「インディオ」~序/はじめに~

2004年12月02日 16時33分09秒 | 研究ノート
 この論文は「クリステーロ反乱と『インディオ』―メキシコ革命に対する反革命とマイノリティ」という題名で、下村由一・南塚信吾・共編『マイノリティと近代史』(彩流社、1996年)に発表したものです。
 大学・大学院と、農民反乱と宗教の関係を研究してきたので、マイノリティ問題は苦手でした。したがって、いまいち出来はよくないです。また、これを最後に研究から遠ざかってしまったので、「いまさら」という気持ちがないわけでもありません。それでも、知識は多くの人が共有してこそ意味がある、と思っているので、あえて掲載しました。
 わたしの論文はダメポですが、他の人は大学で中堅の研究者として活躍しているので(たぶん)、マイノリティに関心のある方は、この本を読んでください。まあ、買ってもらっても、わたしに印税が入るわけではないんですけど。。。w
 メキシコはスペイン植民地だったので、スペイン語がつかわれています。ところが、日本語環境では、スペイン語特有の文字を表わすのがとってもめんどうです。そこで、つぎの形式に特殊文字を変えました。
  


はじめに


 1910年にはじまったメキシコ革命は、農地改革と地下資源の国民所有、労働基本権と社会保障を理念とする当時としては画期的な憲法を1917年に産み出した。これらの理念とともに掲げられたのが、カトリック教会の力を押さえようとする反教権主義 anticlericarismo である。革命政府の反教権主義政策に対して、カトリック教会は一切の宗教活動の停止で対抗し、革命政府は教会を閉鎖した。その結果、メキシコ中央高原西部でクリステーロ反乱 Rebelio'n Cristera と呼ばれる、革命政府に対する反乱(1926~29)が起きた。
 この反乱の中心となったのは、革命政府の指導者ともカトリック勢力の指導者とも異なった意識を持った農村民衆であった。こうした農村民衆の中には「インディオ」も含まれており、クリステーロ反乱は「インディオ」が反革命のカトリック勢力に組織される可能性を示していた。反乱地域の最北に位置するドゥランゴ Durango 州では、州都ドゥランゴ市の南に位置するサンティアゴ・バヤコラ Santiago Bayacora の住民と、ドゥランゴ州南部の自治体メスキタル Mezquital の山中に住むテペワノ Tepehuanos によって反乱が戦われた。
 本稿では、このうち、サンティアゴ・バヤコラの反乱を中心に、(1)彼らはどのような人々で、どのような宗教意識を持っていたのか、(2)革命政府の行った反教権主義政策がなぜ彼らを反乱に駆り立てたのか、(3)どの程度カトリック勢力は彼らを組織できたのか、(4)革命政府はどのように反乱を終結させたのか、の4点を論じる。そして「インディオ」が反革命運動に参加したことが、メキシコ革命にどのような影響を与えたのかを考察したい。

地図1:クリステーロ反乱がおよんだ地域

で囲んだ地域が地図2にあたる。

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