§5 マルクスの発展論における労働手段の重要性
社会の発展に関するマルクスの理論は、物質的な財貨生産への彼の考察の結果である。人間の共同体がその物質的な存在のために欠くことのできない物を手にいれる性質は、その残り全ての存在の形成にとって基本的に重要である。「物質的な生活の生産様式は社会的、政治的、精神的生活諸過程を一般に制約する。」(1)
(1) カール・マルクス『経済学批判』カール・カウツキーによる新版、シュトゥットゥガルト、1897年-1859年出版のその著書の序言でマルクスは彼のいわゆる「唯物史観」を簡潔に述べている。詳しい描写はフリードリヒ・エンゲルスの『オイゲン・デューリンク氏の科学の変革』(第3版、シュトゥットゥガルト、1894年)の第3篇に見られる。-ここではこの歴史哲学的理論に対して態度を決めてはならない。我々はそれを、農業の発展についてのマルクスの理解の描写にとって必要なだけ、我々の考察に取り入れる。
ある時代の財貨の生産の分析はマルクスによってその内部の状態、その闘争と成果の全複合体の理解のための門を開いた。それは同時に歴史的変化の秘密を暴露し、発展の原動力を示す。それが物質的な財貨生産の領域における発展であると、社会的諸制度と社会観の改造にはずみを与える。物質的な生産の発展はすべての歴史の土台である。
カール・マルクスの長年の協力者であるフリードリヒ・エンゲルスは次のように述べている。「唯物史観は次の命題から出発している。つまり生産と、生産に続くその生産物の交換は、全ての社会制度の基礎であり、それぞれ歴史的に出現する社会において生産物の分配、そしてそれとともに諸階級あるいは諸身分の社会的編成は、何がどのように生産され、生産されたものをどのように交換されるかに従う。これによってあらゆる歴史的変化と政治的変革の最終原因は、人間の頭の中で、つまり永遠の真理と正義についての増大する理解の中でではなく、生産と交換の様式の変化の中に求めるのであり、それらは問題の時代の哲学の中ではなく、経済の中に求めるべきである。」(前掲書、286ページ)
しかし財貨生産の対象と方法は、生産によって社会が利用できる手段に依存している。「人間が彼らの生計費を獲得し、彼らがそのために必要な富を生産する性質は、その道具と原料の性質、一言で言うと財貨生産(生産)のために自由に使える手段、その生産手段に依存している」とカール・カウツキーは述べている。(『エルフルト綱領』3ページ)そしてマルクスは労働手段が社会の経済的基盤の形成におよぼす決定的な影響について次のように述べている。「滅亡した種の組織の知識のために骨格の構造が持つのと同じ重要性を、労働手段の聖遺骨は没落した経済的社会構成体の判断のために持っている。何がつくられるかではなく、どのように、どのような手段でつくられるかが経済上の諸時代を区別する。労働手段は、単に人間の労働力の測定器のみではなく、その中で労働が行われる社会的諸関係の指示器である。」(『資本論』第1巻、142ページ)
およそこの様式で物質的生産の領域における諸変化をとおして歴史的発展を規定して見る人は、これらの諸変化をさらに生産手段の諸変化に帰し、生産手段とくに労働手段(道具)にそのような決定的な役割を割り当て、彼の経済的研究の突出した場所を財貨生産の技術に論理的に明け渡さなければならない。そのためカール・マルクスは、財貨生産の労働過程の技術的手段と方法を詳しい分析に服させることで、それを行っている。その結果は、より大きい段階にある経営が、その段階でこれだけに用いられうる動力・工作機構のために、小経営を経済的に打ち負かす、という理解である。大経営は、小さな手工業の経営よりも、相対的によりわずかの労働力の消費で生産費用をつくりだす。後者はほとんど競合できず、衰退の状態にあり、後者はそれだけになおさら、大経営が生産物の販売と同じく原料の購入で得る、あらゆる前者の商業上の利益をなしで済ますことになる。だから、原則的説明がエルフルト綱領の実践的要求を前提とされたとき、ブルジョア的社会の経済的発展が自然的必然性で小経営の没落を導くという原理が、理論的な思考の鎖の出発点を形成する。
小経営の潰滅はいっそう広い小さな所有の潰滅を前提としている。より強力な大経営の外的形成とともに、より少ない手の中へのより大きな富の堆積が実現している。現在の経済的・社会的制度の全体的貧困は、より大きなそしてこのもっとも大きな[生産者]による小さな生産者の収用過程を結果として生んでいる。
財貨生産の技術的手段と方法の止まることのない進歩は、しかしまた他方必ず、資本主義的[経済様式]から社会主義的経済様式へのより広い発展に結果としてなる。巨大なものに成長し、生産の社会的組織をより大きな段階にする生産諸力は、私的所有諸関係と和解できない対立を引き起こす。ただ社会主義的物体の制度によってのみ生産形態と所有形態との調和が回復される。「社会主義的社会を必然的につくるのは大経営である。」(カウツキー『エルフルト綱領』150ページ)
大経営による小経営の駆逐についてのマルクスの予言は、工業生産のもっとも重要な諸分野にとってだいたい真実であることが証明された。(2)
(2) それがここではより大きな原型にしたがってすべてひとつの道を行くわけではなく、集中の速度についても極端な観念に陥ってはいけない、とエドゥアルト・ベルンシュタインは説明している。この本を参照、『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』シュトゥットゥガルト、1899年、55ページ以降。
農業の領域ではこれと異なっている。そこには発展の全体図にまったくあの経営の集中の動きが欠けている。反対に農業が強力な使用様式に進んでいるところではどこでも、反対の傾向が出現している。つまり大経営は後退し、小経営が繁栄し、前進している。
したがって、この綱領に反する農民的経営の状態を説明するために、あらゆる種類の農業的生産過程の他に存在する理由が求められている。もっとも近くにある考え、つまり農業的生産それ自身の固有な特性の中に決定的な理由を探すことに思い至らなかった。マルクスの生産分析の権威はその動きの中にある。
社会人になってからは、直接的にマルクスに関する本には、すっかりご無沙汰してました。
実用書の斜め読みとエロ雑誌とたまに小説・・とほほ。。(汗;)
なんだか、10代のころはじめてマルクスの思想に触れた頃の、素朴な価値観を懐かしく思いだせた気がします。
たしかに、このコラムにもあるように、マルクスの「生産」と社会資本の発展の「考察」には、幾つかの「盲点」があって、
「農業生産」に関する理論の検証には、単純適用は乱暴だったんだな~って、いまさらながら「同意」です。(笑)
※マルクスの「考察」の真の問題点は、西欧的視点と、歴史観を含む人間観、そして二項対立の発送原理そのものの中にあった訳ですが、、
不思議なことに、それは産業革命を通過儀礼とした西欧人には、気がつきにくく、
我々日本人のような農耕民族には、案外と容易に気がついてしまうようなことですね。
日本が、開国によって工業化していくという特殊で性急な「模倣的な西欧文明の継承」の手順を辿ってきた民族だったこととも、関係があるのかもしれません。
(もちろん、日本語という言語システムの特殊性の問題も多いに関係があると思います。)
ウナワタの高校時代は、学園紛争の嵐が吹き荒れていた時代でした。
その時の学校のバリケードストライキ中の、学生ホールでの若い稚拙な「議論」を思い出しました。
学校の教室と階段という階段には、机や椅子をうずたかく積んで、そこの有刺鉄線を巻き付けた、バリケードが貼られて、授業などまったくできない状態でした。そんなアナーキーな状態が、何ヶ月も、ときには1年近くもつづくのです。
毎日、学校へは「授業」ではなく「議論」に出かけます。(笑)6時間の授業全部が、「ホームルーム」の時間なんです。w(今、考えると嘘みたい。)
あのころ、アジテーションに声を涸らす、熱くなりすぎていた若きマルキストの玉子たちに向かって、
このエドゥアルト・ベルンシュタインの言葉を投げかけられたら良かったのですが・・
。。。_| ̄|○、、、なにぶんにも不勉強すぎました。。(笑)
・・って、ゆーじゃない~♪・・切腹!
これによると、世界資本主義システムのなかでは、さまざまな生産様式(奴隷制や農奴制)が、資本主義的生産様式に従属する形で存続するというのです。つまり、アメリカの奴隷制は、ギリシャ・ローマの奴隷制とはちがって、イギリスの綿工業に原料を供給するために存在したことになります。また、東ヨーロッパの再版農奴制も、中世ヨーロッパの農奴制とはちがって、イギリス(の労働者)に食糧を供給するために存在したというのです。
いまや「世界システム論」は、どの世界史の教科書にも載っていて、その由来を知るものからすると、奇妙な感じがします。いつから文部科学省は「毛沢東主義者」に乗っ取られたのかと。w
あと、ベルンシュタインじゃなくて、ダヴィドなんですけど。 どっちも名前がエドゥアルトで、修正主義者なんですが。。。w