王子のきつね on Line

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荒川下流工事情報(河口~秋ヶ瀬橋)

2004年11月29日 17時40分00秒 | 自転車
 11月27日(土)の「荒川車止めポタ」の副産物。荒川下流の工事情報です。国土交通省・荒川下流河川事務所によると、荒川下流の工事箇所はつぎのとおりです。なお、公式には荒川の上流と下流の境界は笹目橋だそうです。

■平成16年度工事予定箇所について(クリックするとページが開きます)

 ほんとうに通れないのは、のところです。の部分は、土手下が通行可能、土手上が通行不可です。

●埼玉県 川口市


●埼玉県 戸田市

荒川左岸の車止め(河口~秋ヶ瀬橋)

2004年11月29日 02時21分14秒 | 自転車
 車止めばかり、荒川左岸を河口から秋ヶ瀬橋まで、見ていきます(車止めでないものもありますが)。車止めといっても、いろいろな形があります。車止めは、あたりまえですが、車の出入りのあるところに設置されています。橋の近く、ゴルフ場・野球場・サッカー場などの施設のあるところ、などです。開閉も、平日は開いているのに、休日は閉じていたり、逆に、平日は閉じているのに、平日は開いていたり、さまざまです。

ここをクリックすると今回確認した車止めの位置を示す地図が開きます(×印が車止めのあるところ。右岸の新荒川大橋と東北本線鉄橋の間の車止めは除く)。


江戸川区「健康の道」にある凸面

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江戸川区「健康の道」の清砂大橋への出入口
 左折すると清砂大橋を渡って荒川右岸へ行けます。

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葛西橋の階段
 下流側。中央の車止め(?)がひじょうにジャマ。上流側も同じ。こっちにはウ○コばら撒き魔が出没w

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葛西橋の中土手への出入口
 下流側。

 下流側のぐるっと回る部分。

 上流側。下流側と構造は同じ。

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木根川橋下流側
 車止めは" 冂 "型。

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新荒川橋(首都高速6号線)下
 車止めは" 冂 "型。

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常磐線鉄橋上流側
 コーンを用いたもの。

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西新井橋下流側
 左は単管バリケード。右はコーンとコーンバーを用いたもの。

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扇大橋下流側

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江北橋下流側
 コーンとコーンバーを用いたもの。

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鹿浜橋下流側
 コーンとコーンバーを用いたもの。

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鹿浜橋上流側
 都市農業公園の「さくら」のところ。

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川口セミパブリックゴルフ場
 みなさん左端をすり抜けています。

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新荒川大橋下流側
 川口セミパブリックゴルフ場出入口です。

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市営浮間ゴルフ場前

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三領水門下流側
 真中はハンドルがあたって通れません。みなさん左端をすり抜けています。

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笹目橋下流側
 最近舗装されました。以前は砂利道。

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笹目橋上流側
 真中は鎖で通れません。右端の車止めは土手下の遊歩道の車止め。この車止めと土手上への道の車止めの間をすり抜けます。

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彩湖と荒川をつなぐ水門付近
 左の2つは土手下に下る未舗装道の車止め。右が土手上の舗装路の車止め。

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幸魂大橋下流側
 左折すると道満グリーンパークへの道。右折すると幸魂大橋に出る。

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幸魂大橋下
 一般道と道満グリーンパーク内の道との境。

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道満グリーンパーク北側の出入口

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荒川右岸の車止め(河口~秋ヶ瀬橋)

2004年11月28日 23時16分32秒 | 自転車
 車止めばかり、荒川右岸を河口から秋ヶ瀬橋まで、見ていきます(車止めでないものもありますが)。車止めといっても、いろいろな形があります。車止めは、あたりまえですが、車の出入りのあるところに設置されています。橋の近く、ゴルフ場・野球場・サッカー場などの施設のあるところ、などです。開閉も、平日は開いているのに、休日は閉じていたり、逆に、平日は閉じているのに、平日は開いていたり、さまざまです。

ここをクリックすると今回確認した車止めの位置を示す地図が開きます(×印が車止めのあるところ。右岸の新荒川大橋と東北本線鉄橋の間の車止めは除く)。


清砂大橋下流側
 ガードレールと鎖。みなさん左端をすり抜けています。

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清砂大橋をつかって右岸から左岸に渡る場合
●清砂大橋下流土手上側
 鎖が張ってある。右端は通れるが、狭い。

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●清砂大橋下
 土手から下る道。夜は右半分が閉まっている。

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●清砂大橋に上る歩道
 " 冂 "型の車止めが互いちがいになっている。橋の上まで4か所設置。

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葛西橋上流側
 釣り船の繋留場所へのコード、ホースなどが通っている。

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平井大橋上流側

 みなさん左端をすり抜けている。

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木根川橋下流側
 単管バリケードとコーン。「自転車スピードだすな」の看板。

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四ツ木橋下流側
 単管バリケードだが、なんか壊れそう。

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四ツ木橋上流側
 単管バリケード。ここにも「自転車スピードだすな」の看板。

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墨田水門上流側

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堀切橋下

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西新井橋下流側
 "├ "がくるくる回るめずらしい形。

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江北橋下流側
 オートバイに2人乗りした大学生が死亡した事故現場。

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岩淵水門

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新荒川大橋~東北本線鉄橋間

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赤羽ゴルフ場前
 最近まで花が手向けられていた。

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戸田橋下流側
下流側:ぐるっと回るところは誰も使わない。

上流側

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戸田橋上流側
 ここはぐるっと回るところがひじょうに狭い。

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荒川戸田橋緑地東側

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笹目橋下流側
下流側:土手側のコンクリート・ブロックとポールの間をすり抜ける。

上流側:川側のコンクリート・ブロックとポールの間をすり抜ける。

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笹目橋上流側
 自動車教習所「ナビモータースクール」に来る車が車止めの前に停まっている。この写真では真中を通れるが、ふだんは車が停まっていて通れない。右側には未舗装部分と舗装部分の境に段差がある。

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幸魂大橋下流側

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朝霞水門下流側
 左の車は車止めを開けて通過している。右の車はここに停まってアンテナを立てて何かしている。何してるんだ!w

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朝霞水門上流側

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朝霞ゴルフ場南側の凸面
 改善後(?)。むかしはもっと凸だった。

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朝霞ゴルフ場出入口

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武蔵野線鉄橋下

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秋ヶ瀬橋下流側
 バリケード全開。はずしたバリケードは右端に積まれている。平日はバリケードの隙間から出入りする。

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「スピードだすな」と言っても出ちゃうんだが~荒川車止めポタ~

2004年11月28日 01時24分46秒 | 自転車
 前に事故のことを書いたので、今日は、車止めをチェックしながら、荒川の下流を走ってきました。江北橋から右岸を河口まで走り、戻って清砂大橋を渡って、葛西臨海公園まで。臨海公園を一周して、昼食をとり、今度は右岸を秋ヶ瀬橋まで。秋ヶ瀬橋を渡り、こんどは左岸を江北橋まで走りました。右岸とは川上から川下を見て右手側のこと、左手側が左岸。

 車止めの位置をハンディGPSでチェックし、デジカメで写真を撮る。この繰り返しです。時間をかなりロスするので、平均時速はママチャリなみです。
 その成果はのちほど書きますが、今日はその途中で起きたことを書きます。

 土曜日の右岸は、自転車乗り、ウォーキング人、ジョギング人、犬に散歩させる人、野球少年&中年、サッカー少年、インラインスケーター、スケボー乗り、凧あげ人など、とにかく人、人、人です。それでも日曜よりは少ない。

 まずは、堀切橋と新荒川橋(首都高速6号線)の間の右岸、金八撮影ポイント。エキストラの厨房がイパ~イいました。撮影機材を積んだ車とか、ADとかも。。。おそらくディレクターかと思われる人物が3人の警察官と話をしていましたが、リアル警官なのか、警官役の役者さんなのか、わかりません。撮影が開始されると、通行止めになってしまうらしいのですが、幸いそうではありませんでした。でも、緑のテープを持った女性ADがオイラをじっと見てたよ。

 平井大橋の車止めで、激走するモールトンをハケ~ン。追跡しました。w ところがこのモールトン40km/hも出しててなかなか追いつけない。小名木川水門で追跡をあきらめました。清砂大橋下流の車止めを撮影してたら、右岸河口まで行って戻ってきました。

 葛西臨海公園駅近くの食事処で「ミニ天丼セット」を注文、700円でミニ天丼と蕎麦あるいはうどんというものです。これを食べていたら、中国人の家族連れ(女性3人男性1人、老夫婦と娘たちって感じ)がやってきて、オイラが食べてるカウンターの隣の4人用テーブルにすわりました。中国語と英語と日本語で話してたよ。
 と、突然、娘のひとりがオイラに「ソレッテドレデスカ?」ってメニューもって聞いてきたんで驚いたよ。どうもオイラの食べてた「ミニ天丼セット」が食べたいんで、聞いてきたみたい。「これですよ」って教えたら、つれに"This one."だって。
 先の大戦で、じいちゃんが中国人からブタを盗んだ話を聞いてから、中国人には親切にしなけりゃいかん、と心に誓ったオイラでした。w

 右岸に対して、左岸、とくに「中土手」はぜんぜん人がいません。「中土手」とは、荒川と中川に挟まれた土手のところ。人もいないし、車もないので、車止めもありません。この日は、北風か西風だったんで、左岸の川上りは逆風できつかったです。
 しかも、鹿浜橋から先は工事だらけでした。鹿浜橋~新荒川大橋は川口ゴルフ場の川沿いを走らされ、新荒川大橋~東北本線鉄橋は一般道を走らされ、戸田橋~笹目橋は戸田漕艇場の歩道を走らされました。
 あと、幸魂大橋手前の荒川処理センターですさまじいくコ:彡臭さに襲われました。なんの臭いなんだ。。。

 彩湖・道満グリーンパークあたりで、太陽が沈みそうになり、秋ヶ瀬橋を渡っているときは西日でよく見えなくなりました。朝霞水門で日が沈んでしまい(16:30くらい)、笹目橋すぎたら、暗くなってしまった。これ以降、GPSによる位置はチェックできましたが、写真撮影はダメでした。
 まあ、帰りは追い風で楽だったんですけどね。。。


●2004年11月27日(土) 荒川:河口~秋ヶ瀬橋

 自宅[10:37]―江北橋[10:46]▼荒川(右岸)━右岸河口[11:45]━[11:55]清砂大橋[12:00]▽左岸━[12:10]葛西臨海公園(昼食)[12:49]▽左岸━葛西橋[13:12]━[14:36]都市農業公園[14:40]━[16:07]秋ヶ瀬橋[16:13]▽右岸━江北橋[17:20]―自宅[17:29]

 ☆GPS
  走行距離 90.8km
  走行時間 6:28:08
  最高速度 42.1km/h
  平均速度 14.0km/h


ここをクリックすと、地図が開きます。

タマちゃんを探せ!

2004年11月26日 19時22分07秒 | 及川奈央
 2004年3月19日(金)、アゴヒゲアザラシのタマちゃんの写真を撮りに行った。これはそのときの記録である。タマちゃんが荒川からいなくなったのが4月だから、その約1か月前である。


 3月1日(月)、及川奈央日記を見て、愕然とした。なんと、及川奈央が『Hush!』という雑誌の取材で荒川に来ていた! しかもきつねのよく知っているところへ。。。
 
 取材内容は「あのアザラシは今!?タマちゃんを探せ!」ということで、アゴヒゲアザラシのタマちゃん探しなのだが、結局、見つけることができなかった。

 奈央姫が見つけられないのなら、きつねが見つけるしかない! というわけで、3月19日(金)正午すぎ、タマちゃんを見るため、西浦和駅から志木街道を通って、秋ヶ瀬橋をめざした。途中、コンビニで昼食を買った。このとき、電池を買っておけばよかったのだが。。。


 この看板。


 すでに大勢の人が集まっていた。

 しかし、このとき気づいた。∑( ̄□ ̄;)ずかーん!!デジカメの電池が切れている。


 コンビニに行っている間に、タマちゃんが出現しては意味がない。タマちゃんを待っていると、秋ヶ瀬マリーナ(地図①)の船と船の間に頭を出した。ただし1~2秒。これじゃ電池があっても、とても撮れない。。。
 タマちゃんは、最近ふとったので、もう船には乗れないのだ。だから、最近は対岸に上陸すると、事情通のオジサンが語っていた。

 そして、その予想どおり、タマちゃんは対岸(地図②)に上陸した。親切なオジサンが双眼鏡を貸してくれた。しかし、引き潮なのでヘドロのところに上陸してしまい、タマちゃんは真っ黒になってしまった。気持ち悪かったのか、再び荒川の中へ。。。

 この間に近くのコンビニに電池を買いに行き、デジカメが復活した。電池を買って、昼食を食べている間に潮が満ちてきて、タマちゃんは砂地に上陸していた(14:25)。


 いちばん近いところ(地図③)から撮ろうとしたが、対岸は遠い。


 光学ズームだけでは小さくしか撮れない。やむなくデジタルズームに、、、画質が。。。(泣)


 しばらく観察していると、15:53に、野犬が4匹現れた。そして、タマちゃんを発見。タマちゃんに吠えかかる。


 危機一髪、タマちゃんは荒川に逃げ込んだ。


 そして、なんとこっちへ来てくれた。それにしても、鼻の穴が目立つ。。。


 タマちゃんはしばらく泳いだ後、、、


 進路を変えて、、、


 遠ざかってゆく。


 とうとう、水門の向こう側の鴨川に入っていってしまった。出てくるのを待っていたのだが、この間、親切なオジサンたちが恐ろしい話をしていた。「県に訴えてあの野犬を捕まえてもらおう」と。。。
 お~い、アザラシは見守るのに、野犬は捕まえちゃっていいの? 捕まったら、殺されちゃうよ。。。

 15:30ころ、再びタマちゃんが現れた。でも、野犬に吠えられたせいか、すぐに川に入ってしまった。16:00ころ、また水門のほうへ。このあとはもう現れなかった。。。


この日のタマちゃんの行動。
 赤:秋ヶ瀬マリーナ①から対岸②へ
 青:犬に吠えられて、対岸②から水門の中へ
 黄:水門から対岸②に上陸するが、すぐに水門内へ
 ③:撮影位置

荒川河川敷道路の車止め

2004年11月26日 01時57分46秒 | 自転車
オートバイの大学生2人が事故死/東京
 21日午前5時50分ごろ、足立区宮城の荒川河川敷道路で、荒川区の私立大2年Rさん(19)と同Iさん(20)が乗っていた400CCオートバイが鉄製の車止め(高さ約90センチ)に衝突したのを通行人が見つけ、119番通報。2人とも腰などを強打し、収容先の病院で死亡した。2人は同じ大学の同級生。どちらが運転していたか分かっていない。現場は車両進入禁止区域で、事故原因を調べている=西新井署調べ。
毎日新聞 2004年11月22日

 2chの自転車板荒川スレからリンクされていた記事です。名前と住所は匿名にしました。オートバイに2人乗りした大学生が、車両進入禁止の道路を走り、下流方面から車止めに衝突して死亡した事件です。

江北橋下流右岸の車止め(ここをクリックすると地図が開きます)


 向かって左側の大きな車止めは、平日は開いていますが、休日は閉めています。事故のあった21日は月曜日の午前5時50分なので、前日の日曜日に閉めたままになっていたのだと思えます。向かっていちばん右側の車止めは、ぐるっと回って通る方式のものです(上の写真を見てください)。その間に" 冂 "の字型の車止めが2つあり、その1つに激突しました。車止めの曲がり方が事故の悲惨さを思わせます。

 この日の日の出は午前6時23分なので、その前の薄暗がりで起きました。しかし、この車止めには蛍光塗料が塗ってあり、ライトがあたると光ります。となると、ライトもつけていなかったのでしょうか? それとも気づいても停められないくらいスピードを出していたのでしょうか?
 いずれにしても、事故の原因は彼らの側にあるように思われます。

 それにしても、荒川河川敷にはいくつも車止めが設置されています。荒川を自転車で走ったことがある人ならわかると思うのですが、事故現場は工事車両が出入りするため、大きな車止めがいつも開いているので、危険だとは思いませんでした。もっと危険は場所はいっぱいあります。

 笹目橋上流右岸の車止めは、自動車教習所「ナビモータースクール」の車がいつも前に停められて通れないうえ、避けて端に行くと、未舗装部分と舗装部分との境に段差があって、とても危険です。写真は夕方なので、車はいつもより少なめです。5月にこの段差でロードのタイヤがパンクしました。

笹目橋上流右岸の車止め(ここをクリックすると地図が開きます)


 また、同じくコンクリート製の笹目橋下流右岸の車止め(ここをクリックすると地図が開きます)も、通れるところの半分が舗装、半分が未舗装で、境目に段差という「いやらしさ」です。ここでもコケたことがあります。

 江北橋や岩淵水門と同じ、ぐるっと回る方式の車止めの中には、戸田橋上流右岸の車止め(ここをクリックすると地図が開きます)のように、自転車でまわることができないくらい幅が狭いものもあります。

 事故現場には、家族や友人が手向けたであろう花などが置かれています。最近は置かれなくなりましたが、宇都宮線・高崎線・京浜東北線の鉄橋と、東北・上越新幹線、埼京線の鉄橋の間の赤羽ゴルフ場の車止め(ここをクリックすると地図が開きます)に、花が手向けられていました。わたしが知っている限りでは、1999年ころからです。

 わたしは自転車でこの河川敷道路を走ります。夏などは暑いので夜走ることもあります。疑問に感じるのは、なぜこのような車止めが設置されているのか、ということです。もちろん、バイクが河川敷道路を走ったり、河川敷を利用する人の車が河川敷道路を走ったりしないためですが、車止めがあってもバイクは走ってますし(だから事故が起きた)、自転車で通るのも困難なほど狭かったりします。これらの車止めは、いったい何のために設置されているのでしょうか?
写真を換え、地図の位置を修正しました。(2004.11.27)

わたしの幽霊目撃体験

2004年11月22日 23時17分13秒 | 心霊
 先日、中野ZERO大ホールで幽霊を見ちゃいました。これがはじめてじゃないわけで、今回は自分の幽霊目撃体験を書きます。ただし、ちゃんと意識があるときのものに限定します。夢かどうか区別できないものもあるんで…。なお、はじめの2つは、すでに閉鎖された某心霊サイトのBBSに書いたものを書き直したものです。

●真っ黒な影


 2001年10月13日(土)午後7時30分ころ、自転車をしまおうと、自宅の玄関を開けて外を見たら、隣家との間に真っ黒な影が見えました。それは人の頭よりやや小さな髪の毛みたいなもので、地面から120~30cmくらいのところに浮いていました。「なんだろう」と思っていると、隣家との間に入って行ったのです。
 自宅と隣家の間には1mくらい間が空いているので、人が入らないように扉がついています。その扉は外開きなので、開いているとわかるのですが、閉まっていました。
 よせばいいのに、確認しようと、扉を見ると、1cmくらい扉が開いていました。そこで扉のノブを掴んで、開けてみると、何もいなかったのですが、突風のような冷たい風が体にあたるのを感じ、左手が震えだしました
 ちょっと恐ろしくなって、霊感の強い妹を呼ぶと、妹は、「何かまがまがしいものが通った跡が残っていて、私は怖くて近づけない」と言うのです。さらに「念のため、みんなで神社に行ったほうがいい」と言い出しました。
 母親は風呂に入っていていけないので、ペットボトルに息を吹き込んだものをもって、妹と近くの神社に行きました。父親はこのときは外出中でした。家を出るとき、妹は、神社に着くまで百円玉を持っているようにと渡しました。
 神社に着くと、さっきの百円玉を賽銭箱に入れるように言い、自分と母親の分もいれました。そして神社で拝んでいると、さっき感じたのと違って、暖かい風を感じました。
 妹が「ああ、これでだいじょうぶ。温かい風、感じた?」と言ったので、うなずくと、「あれが神様の気なのよ」と言って、母の息を吹き込んだペットボトルを差し出したので触ると、熱くなっていました。
 それにしても、私が見たのは何なのか、妹に聞くと、「あれは人間や動物の霊ではなくて、まさに悪意のかたまりだ」というのです。
 いずれにしても、あんなものを見たのははじめてだし、扉を開けたとき感じた風と、神社で感じた風もはじめてです。

 不思議なことですが、影を見た瞬間はそれほど恐ろしくなかったんです。でも、あちらさんは私を拒絶したみたいです。私が見たら、急に入っていったのと、のぞいたら、突風を受けたので…。
 突風を受けたときは、オカルト映画のワンシーンみたいでした。オカルト映画に「んなわけねえだろ」って突っ込みを入れていたんですが、自分が体験しちゃうと、もう突っ込めません。
 ただ、一度ああいうものを見てしまうと、「これからも見るんじゃないか」と妹に言われ、かなりマジでびびってます。妹もそうだったんで…。

 実は、2日前の11日(木)に栃木県の足利市に行き、森高千里の「渡良瀬橋」に出てくる八雲神社の裏手にある足利公園を訪ねました。ここは、古墳群であり、八雲神社自体が3号墳という古墳を背に建てられています。
 そこで気になったのが、写真の墓です。古墳よりは新しいのですが、かなり古いものです。この墓とあの真っ黒な影のようなものとの関係は不明ですが、不思議な体験でした。

●額に貼りついた顔


 2003年12月7日(日)に妹の演奏会があって、その会場となったホールがとてもイヤな場所でした。音の響きが悪く、聴くのがつらくなって、妹が歌い終わった直後に帰ってしまいました。妹は「打ち上げ」が終わってから、帰ってきたのですが、なんと「お持ち帰り」してきたのです。
 異変に気がついたのは、妹の顔に見知らぬ男の目がダブって見えたのです。ヘンだ、と思っていたら、なんと、妹の額にさっきの男の顔がプリントされていたんです。小さな目と眉尻があがった顔でした。
 妹もうすうす気がついていたようで、「なんか額についてるでしょう?」って言うんで、「男の顔がくっついてるよ」というと、「やっぱりね」って言ってました。ただし、私にははっきり見えるのに、妹には見えないんだそうです。でも、感覚で何かがいるのはわかるようでした。
 翌日になると、男の顔は消えていました。

 ここまでだったら、まあ、私の勘ちがいってこともあるんでしょうけど…。2日後に、妹の友だちから電話がありました。「あなたの額についてた霊(ひと)、いまKちゃんのところにいるよ」だって。みんな、「打ち上げ」のときから気がついていたようで、妹を避けていたとのこと。なんて(゜∀゜)イイ!友だちなんだろう。

●舞台の袖の白い影


 で、今回の中野ZERO大ホールなんですが、舞台の下手(向かって左端)に白い小さい影がチラチラ見えてました。わたし、視界の外側にその手のものが見えることがあるんです。気になるから、見ようとする。視界にはいると、もう見えない。気のせいかな、と視線をずらす。すると、視界から外れて、また見える。この繰り返しでチラチラ見えるになるんです。
 「打ち上げ」が終わって、妹が帰ってきたとき、「下手にいたでしょ」って聴いたら、「いた。ゲネプロのとき、ぶつかりそうになって、こけた!」って言ってました。妹によると、そいつは目に見えないんだけれど、そこだけものすごい圧迫感があるんで、驚いてよけようとしたら、こけてしまった。その瞬間、視界から外れて、モロに見てしまったそうです。
 この白い影ですが、この劇場に常駐しているもの(=地縛霊)か、たまたまここにきていただけ(=浮遊霊)なのかはわかりません。どなたか確認しませんか?w



「風のようにうたが流れていた(月曜組曲・第1部)」に
・2004年11月22日 放送(第7回)を加えました。

大原・モーホー遍(吉野家ネタ)

2004年11月21日 14時37分46秒 | Weblog
そんな事よりみなさん、ちょいと聞いてくださいよ。あんま関係ない話だけどさ。
2年ちょっと前、千葉の大原行ったんです。大原。
9月だったんで、海岸行っても人がぜんぜんいなくて、寂しかったんです。

で、しばらくいたら、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之みたいな男が寄ってきたんです。
しかも、江原ったら、ショッキングピンクのTバックパンツなんて穿いてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
江原、そんなカッコで寄って来るんじゃねぇよ、ボケが。
そしたら、なんか「写真とってください」とか言ってるんです。
パンツ一丁で記念写真か。おめでてーな。
でも、私イイ人だから「いいよ」なんて言っちゃったんです。
そしたら、「ちょっと待って下さい。いま脱ぎますから」とか言ってるの。もう見てらんない。
江原、パンツ一丁でなに脱ぐんだよ、と。
そしたら、江原のヤツ、パンツ脱いでチ○ポ出しちゃったんです。
で、「ちょっと待って下さい。いま立てますから」なんて言い出したんです。
あのなあ、なんで俺が江原のチ○ポ勃起させた写真撮らなきゃならないんだよ。
でも、約束しちゃったから、結局撮ってやったんです。。。
で、1枚撮ったら、「もう1枚お願いします」。もう1枚撮ったら、「もう1枚」。
って合計5枚も撮ったんです。

で、江原がようやくいなくなったかと思ったら、大倉孝二もどきが寄ってきて、
ニヤニヤ笑いながら、「あの人のお友だちなんですか?」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、なんで俺があんな江原のお友だちじゃなきゃならねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「お友だちですか」だ。
ほんとうは大倉が江原の友だちなんじゃないのか?と問いたい。
問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
大倉が、江原と組んで俺をおちょくってるんじゃないか、と。

大原に行った俺から言わせてもらえば、大原の最新流行はやっぱり、
「はだか祭り」、これだね。
「はだか祭り」で、裸になってチ○ポ勃起させて記念写真。これ最強。
しかしこれを頼むと次から千葉県警にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあ、みなさんは、モーホーの話でもしてなさいってこった。

   もとネタは超有名なココ。w

「天国と地獄(地獄のオルフェ)」

2004年11月20日 22時22分05秒 | 音楽
 本日、妹が歌うので、聴きに行った「天国と地獄(地獄のオルフェ)」について説明します。

 

【日時】11月20日(土) 18:30開演(18:00開場)
【場所】なかのZEROホール 大ホール

 「天国と地獄(地獄のオルフェ)」は、オッフェンバック(1819-1880)が、ギリシャ神話のオルフェウスの話をもとにつくった喜歌劇で、1858年10月21日にパリのブーフ・パリジャン劇場で初演されました。ここではあらすじを紹介します。もとネタはつぎのとおり。
 アポロンとカリオペの息子オルフェウスは、父から竪琴をもらい、その名手となった。彼は、動物をも魅了するほど美しい音を奏で、エウリュディケと結婚した。
 ある日、エウリュディケが散歩をしていると、牧者アリスタイオスが、彼女の美しさに心を奪われ、彼女を追いかけてきた。逃げる途中、エウリュディケは蛇に噛まれて死んでしまう。オルフェウスは、黄泉の国の支配者ハデスのもとへ行き、エウリュディケを連れて行きたい、と願い出た。ハデスは二人が地上へ帰りつくまで、彼女をふりむいてはならない、という条件で願いを聞き入れた。二人は暗い小道を通って、とうとう地上へ着こうかというとき、オルフェウスは彼女がついて来ているかどうかと、つい振り返ってしまった。すると、たちまち彼女は黄泉の国へ吸い込まれるように消えてしまった。
 以後、オルフェウスは女をさけるようになった。トラキアの乙女たちは、オルフェウスをとりこにしようとしたが、彼は見向きもしなかった。ディオニュソス(バッカス)の儀式のとき、興奮した女たちは、オルフェウスの身体を引き裂き、頭と竪琴をヘブルス川へ投げ込んだ。ミューズの女神たちが、切れ切れの身体を集めて、リベトラに葬った。竪琴はゼウスによって星座とされた。


あらすじ
~第1幕~
【第一場】テーバイ近郊の野原
 「世論」と名乗る女性が現れ、「世論ほど正しいものはないので、この話にも大いに自分の意見を反映させる」と述べる。
 ユリディスはオルフェの妻だが、自分の夫に愛想をつかせ、「愛人(アリステ)のために花を摘みましょう」とクプレを歌う。夫のオルフェも、妻に嫌気がさしており、愛人のためにヴァイオリンを奏でる。そのことが発端で、夫婦喧嘩の二重唱がはじまる。オルフェは狂ったようにヴァイオリンを弾き、その音色にユリディスはかんしゃくを起こす。オルフェは「麦畑に罠をしかけた」と捨て台詞を残して去っていく。
 ユリディスは罠のことをアリステに伝えようと探しまわる。アリステが登場し、「オルフェの夢に出現し、罠を仕掛けるよう暗示をかけ、ユリディスが毒蛇に噛まれて死ねば、彼女を地獄へ連れて帰れる」とクプレを歌う。そこへユリディスが現われ、オルフェの捨て台詞をアリステに必死に伝えるが、毒蛇に噛まれてしまう。じつは、アリステは地獄の王プリュトンが変身した姿だった。プリュトンはユリディスを地獄へ連れて行く。
 戻ってきたオルフェは、ユリディスが地獄に連れ去れたことを知り、大喜びする。しかし、「世論」が「妻を取り戻しに行きなさい」と説得し、いやがるオルフェを連れ、ジュピテールのいる天上へ旅発つ。

【第二場】オリュンポス
 神々たちが眠っている中、キュピドン、ヴェニュスが朝帰りしてくる。やがて、朝を告げるホルンが鳴り響き、ジュピテールが目を覚まし、みなを起こす。
 そこに現われたディアヌは「恋人のアクテオンがいなくなってしまった」と歌う。処女のシンボルであるディアヌが情事に没頭されては困ると、ジュピテールは「彼を鹿に変身させた」と打ち明ける。すると、ヴェニュスが「地上でも女性が行方をくらまし、その犯人はジュピテールではないか」という。ジュピテールは「メルキュールに調査させている」と答える。
 調査を終えたメルキュールが「プリュトンが犯人だ」と報告していると、プリュトンが現われ、お世辞たっぷりのクプレを歌い、その場を逃れようとする。二人のやり取りの最中に他の神々が反逆の狼煙をあげ、ジュピテールに過去の情事を歌にして披露する。そこにオルフェと「世論」が妻を助けたいと懇願に来る。ジュピテールは「地獄に行こう」と宣言すると、みなも「連れて行って下さい」と頼み、神様全員で楽しく地獄に向かう。

~第2幕~
【第一場】プリュトンの私室
 プリュトンに囚われたユリディスはとても退屈で、「火遊びが過ぎた」と後悔のクプレを歌う。すると、プリュトンの召使のジョン・スティックスが、昔の栄光を語り、ユリディスを誘惑する。
 プリュトンに連れられたジュピテールが訪れ、ユリディスの居所を聞くが、軽くあしらわれ、宴会場に連れて行かれる。人の気配を感じ、ユリディスは戻ってくるが、もう誰もいないくてがっかりする。
 キュピドンはジュピテールをハエに変身させ、誘惑のお手伝いをする。二重唱が終わり、ジュピテールは身分を明かし、ユリディスをオリュンポスに連れて行きたいというと、彼女は乗り気でバッカスの巫女の姿で宴会に出席し、そのあと逃げる旨を打ち合わせる。

【第二場】地獄の大宴会場
 宴会が盛大に行われている。ジュピテールはバッカスの巫女の姿をしているユリディスとメヌエットを踊り、様子をうかがい逃げようとするが、プリュトンの邪魔が入る。そこへオルフェがいやいやながら妻を取り戻しに来る。
 ジュピテールは、これまたいやいやながら「妻を地上に連れて戻るまで、決して振り返ってはならぬ」という条件で彼女を返す。「世論」はオルフェを励まし、オルフェはユリディスを従え、地上へと向かう。
 オルフェが一向に振り返らないので、ジュピテールはを落とし、オルフェを驚かせ、振り返らせる。プリュトンが「彼女は地獄に残るしかない」と宣言するが、ジュピテールは「バッカスの巫女にする」と宣言し、大騷ぎの中、幕となる。



 中野ZERO大ホールは、新しいので、とてもキレイです。障害者用椅子席、難聴者用補助装置、親子室などもあります。ホールの詳細についてはここを見てください。
 しかし、オーケストラ・ピットが浅い(約1m、囲いを入れても約2mしかない)ため、オーケストラの音が直接座席に届いてしまい、ちゃんとした発声をしないと、歌い手の声を消してしまいます。これは、歌い手にとって、とてもやりにくいでしょうが、逆を言えば、ちゃんと発声ができているかどうか、判断するにはよいのかもしれません。

 台詞は日本語、歌詞はフランス語で字幕つき。歌い手は、それぞれ努力しているのでしょうが、ちゃんと発声ができている人は少なかったです。のど声多すぎ。のど声、(゜A゜)イクナイ! 年とると、声が出なくなるよ。それに発音が不明瞭になります。

 演出もいかがなものかと思われます。最初に「世論」(←オイラの妹)が客席から登場して、説明するんですが、ぜんぜん聞こえません。これはあたりまえで、客席の音が響かないようにできているからです。ミュージカルなどでもそういう演出がありますが、その場合、ふつうマイクを使います。
 この点は妹も気になっていたので、「聴こえないのでは?」と演出家に言ったそうです。が、演出家は「やってみなけりゃわからんだろ!」って逆ギレしたそうです。

 やたらと走りまわる演出、なんとかならんのでしょうか? 歌うので手いっぱいの人多かったのに、あんなに走り回ったのでは。。。みなさん、ご苦労さんです。プリュトンがユリディスを地獄へ連れて行くところで、「爆破」があり、煙が立ちます。その煙(←なにかの粉なんですが)が出演者が走り回るたびに飛んで、舞台はもうもうとしていました。
 喜劇なので、いろいろ笑わせるために、小技が使われました。「○○って、ゆうじゃない♪ でも××ですから、残念!」って、ギター侍が使われたり、ジュピテールがケータイ・メールを送るんですが、その送り手の名が「ペ・ヨンジュン」だったりしました。しかし、プリュトンの召使ジョン・スティックスがユリディスを誘惑するとき、ジョン・トラボルタのポーズで決めたり、「あたり前田のクラッカー」とか言ってたんですが、笑える世代が限定されますね。w
 第2場・第2幕でプリュトンがはでにこけるシーンがあったのですが、わたしはてっきりそれも演出だと思っていました。ところが、妹から聴くと、事故だったそうです。

 舞台が終った後、歌の師匠である松本美和子さんから妹に電話がありました。妹はオペラの内容が内容だったので、「申し訳ありません」ってあやまりました。ところが美和子さんは「あら、あなた、とってもよかったじゃない」と、ご機嫌だったそうです。オペラの内容は眼中になかったようです。

 1階席中央のいちばん後ろの席に鳥越俊太郎を太らせたようなオヤジがいました。この人、オペラ会場でよく見かける人ですが、たいへん有名な辛口評論家なんだそうです。どんな評論になるか、楽しみです。w

オペラって人気ないね。orz

2004年11月19日 17時58分03秒 | 音楽
 妹が出るオペラ・ブーフ「天国と地獄」なんですが、今夜からやってます。ただし、妹が出るのは明日ですが。
 オペラっていうのはホント人気がないですね。いつもだいたい100以上アクセスがあるのに、こいつをトップにもってくると、アクセスが激減します…30くらいに。チケットも半分くらいしか売れません。orz おまけに妹のアドレスをだしたら、なぜかホスト募集のメ~ルが大量に来ました。なんでやねん。
 まあ、最後なんで、もう一度ここに出します。w



オペラ・ブーフ「天国と地獄(地獄のオルフェ)」

【日時】11月20日(土) 18:30開演(18:00開場)

【場所】なかのZEROホール 大ホール

【チケット】S席:10,000円/A席:8,000円/B席:5,000円

くわしくは下のチラシをご覧ください(クリックすると大きくなります)。
 



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・「女の地獄・女の幽霊」

女の地獄・女の幽霊

2004年11月19日 17時42分38秒 | 心霊
 高田衛は、その著書『お岩と伊右衛門~「四谷怪談」の深層』(洋泉社、2002年)の第1章「女はなぜ幽霊になるのか」で、諏訪春雄の『日本の幽霊』(岩波新書、1988年)をあげ、それぞれの時代の幽霊観はその時代の地獄観に連関することを指摘している。ここでは、高田の書を用いて、近世の地獄絵図で示された近世の女性観を示し、「女はなぜ幽霊になるのか」を考えてみたい。
 図は、熊野比丘尼の絵解き(艸田斎『籠耳』)。

●熊野比丘尼がひろめた地獄絵図
 日本に具体的な地獄思想を啓示・普及したのは、源信の『往生要集』であった。しかし、もう一つ、熊野比丘尼が唱導した地獄がある。『熊野観心十界図』(『熊野の絵』、『熊野観心十界曼荼羅』ともいう)である。現在は資料の散逸し、ほとんど重視されることがないが、熊野比丘尼の唱導した「地獄極楽」は近世において一般的であった、と高田も考えている。
 萩原龍夫・著『巫女と仏教史―熊野比丘尼の使命と展開』(吉川弘文館、1983年)によれば、熊野比丘尼は室町時代から絵解きを中心に地獄極楽の唱導を行った。近世前期頃から、都市においてはしだいに零落し、「色比丘尼」化して街娼化したが、地方においては『熊野観心十界図』を携行して、長く旅の唱導者として、小寺院などと結びつきながら活動していた。
 この地獄絵は、中央上部に「心」の字を置き、その上に半円形の「山坂」を描き、その上を歩く子供、男女、老人を描いて、人生を示している。また、図の中心部には「盂蘭盆(うらぼん)の施餓鬼(せがき)」と「賽(さい)の河原と地蔵」が大きく描かれている。そして、主部に罪人を裁く閻魔王や獄卒たちが描かれ、下部には「八寒地獄」「剣の地獄」「衆合地獄」など、いろいろな地獄が描かれている。
 しかし、注目すべきは、その他に「不産女(うまずめ)地獄」、「両婦(ふため)地獄」、「血の池地獄」が描かれていることである。この三つは、女の地獄であって、男が堕ちる地獄ではなかった。

●「不産女地獄」
 最近、話題になっている酒井順子・著『負け犬の遠吠え』(講談社、2003年)によると、「どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは『女の負け犬』」なのだそうだ。また、雅子皇太子妃殿下がご病気になられた原因の一つに、男子を産めという宮内庁などからの暗黙の圧力があったからではないかという報道もある。このような話を聞くと、これから説明する「不産女地獄」と通じるものが、現代にも生きているのではないか、と戦慄を覚える。
 「不産女地獄」は、武久家本では、閻魔王の裁きの場の直下に描かれている。白衣の女の亡者が、竹藪のなかで泣きながら、その竹の根を掘っている場面である。そして、手にしているのは竹箆(たけべら)などではなく、灯心(とうしん)なのである。固い竹の根が、ふにゃふにゃの灯心で掘れるわけがない。しかし、女の亡者たちは来る日も来る日も、灯心での竹の根掘りを続けなければならないのだ。
 不産女とは「石女」とも書き、子を産めない女をさす。そのなかには一生独身のため、子をつくる機会のない女もいたかもしれない。また、結婚しても、本人あるいは配偶者の体質が原因で、子を産めないこともある。もちろん、子を産めない体質であっても、それはその女性の責任ではない。しかし、ここでは、そのことがその女の責任であり、罪悪であるとして、責めつづけられているのだ。

●「両婦地獄」
 「両婦地獄」は、武久家本では、掛幅図の右下の「無間奈落」のすぐ上に描かれている。二人の蛇女が真ん中の男に巻きついて、顔を上げ相互に噛みあっている図柄である。太宰治は『津軽』のなかで、幼時、津軽の金木町の雲祥寺の「地獄極楽の御絵掛地」を見て、「めかけを持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた」と、理解した。


両婦地獄(青森県金木町雲祥寺)

 「両婦地獄」の解釈と絵解きは、伝承者によってちがっていた。別名を「二女狂(ふためくるい)地獄」ともいい、二人の女に二股かけた男が、地獄に堕ちて蛇化したその二人の女に、永劫に責められる地獄として解釈されたらしい。男の浮気心を戒めるものとして説明されたのだろう。
 しかし、熊野比丘尼が実際に絵を示して説きひろめたときには、そんな解釈はなかったはずである。なぜなら、室町から近世を通じて、男と女をめぐる「一夫一妻多妾制」は、公然たる制度であり、上は天皇、将軍から、下は町家、農民にいたるまで、男が二人もしくは二人以上の女を所有するのは、制度上当然のことであって、そのこと自体では人倫に反したことではなかったのであった。したがって、二人の女を持ったから地獄に堕ちる、という論法は成り立たなかったのである。
 それどころか、その二人の女が嫉妬の鬼となり、男を争うという形になるならば、逆にその二人の女の方が、それぞれの嫉妬の邪念によって、地獄に落ちる要件を備えてしまう、そういう時代だったのである。
 中世の「蛇髪譚(じゃはつたん)」はつぎのような話である。
男には正室と側妾がいるが、男の自制もあり人柄もあり、二人は仲良く助けあって日々を過ごしている。ところがある日、二人の女が同室で眠っている間、二人の女の髪がそれぞれ蛇と化し、おそろしい勢いで相手側を襲いあうのであった。男はふとしたことで、それを垣間見て慄然とする。女二人は心から仲良くしようと努めあっているのだが、眠りこんで正体を失ったとき、無意識のうちに相手を憎みいどむ心が黒髪を蛇と化して、たがいに争ったのである。男はこれを見て、現世の汚辱をはかなみ、これを機縁に、家を捨て、髪を剃って出家する。

 この話の背景には、女がどんなに賢く努めても、本来の嫉妬心を捨てることはできず、眠りのなかですら蛇と化す、という差別的女性観がある。これをさらに露骨に図像化すると、「両婦地獄」のイメージが成立する。

●「血の池地獄」
 「血の池地獄」は、武久家本では、掛幅図全体の右下隅に、いかにも毒々しい真紅の色で描かれていた。血の池は、女の経血という「穢れ」によって成り立つ池なのである。そこに9人の裸身の女性が沈められ、業苦に泣き叫んでいる。赤い池の水とは対照的に、女性の裸身は蒼白に描かれており、そのうち3人までが頭に角が生え、身体は蛇になっている。女は「血の池」に堕ちて蛇になるのか、それとも女の本体は蛇であって、それが「血の池」においてはじめて顕現するのだろうか。もっとも、救いがないわけではない。武久家本の場合、血の池から二本の蓮の葉が生えており、その上に2人の白衣の女人が合掌している。女人が罪障をつぐない、深く仏に帰依するれば、成仏の道がないわけでもない、と唱導しているのだ。
 『血盆経』によると、「女たちは月ごとに経水をしたたらせ、出産時は血露を下して地神の項を汚蝕する。また血で汚れた衣裳を谷川で洗って水を汚す。多くの善男善女は知らずにその水を用いて茶を煎じ、諸聖に供養して不浄を致してしまう。それで天大将軍に『善悪部』のなかに女人の名を記させ、百年後、命終をまってこの苦報を受けさせるのだ」というのが、女人を「血の池地獄」ヘ堕とす理由なのである。
 女性が「血の池地獄」ヘ堕ちる理由は、経血であり、出産の血穢なのだ。女として生まれた以上、成人すれば経血、出産は当然であるが、これでは女として生まれることが、すでに重大な罪であり、女として生まれた者は、全員「血の池地獄」ヘ堕ちるということになる。
 このような理屈の上にグロテスクな「血の池地獄」が設定されているのは、明らかに女性そのものを嫌悪し、罪悪視し、忌避する、差別思想によっている。そこでは「女」はすでに「蛇」あるいはそれ以上に穢れて醜悪な存在と見なされているのである。


女の地獄(上:両婦地獄、左:不産女地獄、下:血の池地獄)

 注目すべきは、三つの女の地獄の絵解きを、聞き手の女子どもに対して、女の熊野比丘尼が語り、唱導するということである。女の熊野比丘尼が、女の地獄の恐ろしさ、いたましさを、聞き手に伝え、聞き手の女は同じ罪を背負っているはずの、同性の比丘尼の口から、女であることの悲しさと恐ろしさ、おぞましさ、冥界に待ちうけている暗く恐しい自分たちの運命を聞くのである。しかも唱導者は遊行としての被差別民なのである。

●女の地獄から女の幽霊へ
 現実に、子を産めない女に対する周囲の目は、氷よりも冷たかったであろう。わが男が自分の他に、女を作って可愛がっているのを見せつけられたときの、女の激しく身をこがす嫉妬の妄念は、とても自己抑制などのきかない、いわば女にとっての生きながらの地獄であったであろう。そして男にはない、月のさわりを持つ女が、そのゆえに独立した人格として扱われることなく、いわば男の付随物、奴隷的な位置に置かれているという日常の、無念さ、いらだち、腹だたしさは、女の思いを無意識のうちに執念ぶかくさせ、非社会的にしたかもしれない。それは、近世において、女たちが生きながらすでに「女」という地獄のなかに置かれていたということではないか。
 そういう女たちには、救済者待望の心意が生ずる。熊野比丘尼の地獄語りは、そういう女たちの心意にこたえ、仏の救済を説きつつ、グロテスクで陰惨な女の地獄の様相を、一種の鏡像として、女たちに突きつけているということである。それは熊野比丘尼その人が、被差別という闇を背負っていることで、一層リアルに受けとられたにちがいない。また、ここでしばしばとりあげた祐天が、大奥の女性たちから支持され、ついには浄土宗教団のトップになったのも、同じメンタリティによるものであろう。
 近世において、女は、自己の鏡像としての地獄をすでに持ち、存在としてすでにデモーニッシュ(悪魔的)だったのである。まだ仮説にすぎないが、と高田は断っているが、近世にあって幽霊といえば「女」の姿が見えてくるのは、そのような女たちへの差別、そして女たちが自らの心に抱いた、闇の暗さのせいであったのだ。

内山クソはけ~ん!

2004年11月19日 01時49分45秒 | Weblog
 きつねの母が、昨日(17日)、荒川四丁目バス停(→このあたり)にてバスを待っていると、赤信号で黒っぽいバンが止まりました。運転していたのは年配の女性(ジャーマネ?)だったのですが、後部座席になんとデブタレントの内山クソが乗っていました。きつねの母の前に、キレイな女の人がバスを待っていたのですが、内山クソ、その女性にむかっていろいろアピールしはじめました。しかし、その女性がシカトしたので、内山クソはしょんぼりしていたそうです。



カテゴリ:「及川奈央イベント」のサイン会レポートにサインの画像を貼りつけました(2ショット・ポラロイド写真にサインをもらった回は貼りつけてません)。

及川奈央握手会情報

2004年11月16日 19時12分40秒 | 及川奈央イベント
 本日、新宿の福屋書店・新宿サブナード店に行って、「及川奈央さん握手会入場整理券」2枚をゲットしてきました。1枚2,100×2=4,200で、番号は110番台でした。

トライエックス「2005年カレンダー」発売記念
「及川奈央さん握手会」

【日時】2004年12月04日(土) 17:00~ 集合時間 16:50
【場所】福屋書店・新宿サブナード店

・事前サイン済(表紙部分予定)カレンダーをお渡しいたします。

【特典】
・整理券2枚同時出しの場合:及川奈央さんとの2ショットポラロイド写真1枚
・写真撮影は、整理券1枚につきご自分の順番の時に本人正面1枚撮影可
 (デジタルカメラ・ビデオカメラ・携帯電話は使用できません)

なお、入場整理券の裏にはつぎのように書いてあります。
1.「入場整理券」の再発行は致しません。
2.「入場整理券」の転売は禁止いたします。
3.番号順に行いますので、集合時間に店舗前にお越し下さい。
4.進行上、長時間お待ち頂くことがございます。
5.集合時間に遅れた場合、列の最後尾にお並び頂くことになります。
6.集合時間に遅れた場合、進行上イベントにご参加頂けない場合がございます。
7.ご参加されなかった場合、レジにて商品をお渡し致します。
8.商品のお取り置き期間は、イベント実施日後2週間とさせて頂きます。
9.イベントにてお受け取り頂いた商品はご確認頂き、不都合がございましたら1週間以内にご連絡ください。
10.イベント実施につきましては、スタッフの指示に従って下さい。


福屋書店のイベント情報はこちら



カテゴリ:「歌」に追加しました。
・「風のようにうたが流れていた」(月曜組曲・第1部)

風のようにうたが流れていた(月曜組曲・第1部)

2004年11月16日 19時10分15秒 | 音楽
「月曜組曲」第1部「風のようにうたが流れていた」

2004年10月4日 放送(第1回)ゲスト:島倉千代子
・Let It Be
・朧月夜
・赤とんぼ
・卒業式
・からたち日記
・あの頃にとどけ
・風のようにうたが流れていた

2004年10月11日 放送(第2回)
・黄昏のビギン
・悲しき片思い
・Happy Birthday Sweet Sixteen
・Yesterday Once More
・Moon River
・銀座カンカン娘
・夢で逢いましょう
・いつかどこかで

2004年10月18日 放送(第3回)
・Your Song
・Leaving On A Jet Plane
・Browin' in the wind
・A Soalin'
・California Dreamin'
・水曜日の午後
・風のようにうたが流れていた

2004年11月1日 放送(第4回)ゲスト:山本潤子
・Without You
・竹田の子守歌
・JANE,JANE
・卒業写真
・歌を捧げて
・You've Got A Friend

2004年11月8日 放送(第5回)ゲスト:ムッシュかまやつ
・想い出の渚
・二人だけの海
・どうにかなるさ
・ノー・ノー・ボーイ
・ゴロワーズを吸ったことがあるかい
・バン・バン・バン
・春夏秋冬
・風のようにうたが流れていた

2004年11月15日 放送(第6回)
・明日に架ける橋
・神田川
・心もよう
・あの素晴らしい愛をもう一度
・風(朗読)
・地球はメリーゴーランド
・風のようにうたが流れていた

2004年11月22日 放送(第7回)ゲスト:財津和夫
・SMILE
・ファンキー・モンキー・ベイビー
・心の旅
・今だから
・魔法の黄色い靴
・人生を語らず

2004年11月29日 放送(第8回)
・眠れぬ夜
・さよなら
・生まれ来る子供たちのために
・Yes-No
・YES-YES-YES
・風のようにうたが流れていた

2004年12月6日 放送(第9回)
・HOTEL CALIFORNIA
・いつもいつも
・たそがれ(ENDLESS NIGHTS)
・哀しみを、そのまゝ
・もっと近くに
・君住む街へ
・NEXTのテーマ~僕等がいた~
・風のようにうたが流れていた

2004年12月13日 放送(第10回)ゲスト:鈴木雅之
・まっ白
・good time & bad time
・woh woh
・別れの街★
・私の願い★
・ラブ・ストーリーは突然に
・キラキラ
・SOMEWHERE


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