この週末は非常に忙しかったので、趣味の模型の進展はちょっとだけでした。
今回はホイール/タイヤの塗装&組立て。
エッチングのスポーク部はすでに組立ててあったので、プライマーを吹いてガンメタに塗装。ボルトフランジの部分だけエッチングの地肌を出さなきゃならないので、シンナーを綿棒に含ませて拭き取ったんですが、スポークとフランジの段差が無いので、キレイに拭き取るのは至難の業です。ちょっとでも綿棒がスポーク側にハミ出すと、必要ない部分まで地肌が剥き出しになっちゃう。
なんとかそれなりには出来ましたが、パリッと鮮やかなコントラストにはなっていません。まあ、小さいからあまり目立たないで、これで良しとしましょう。
ディスク・ブレーキのキャリパー・ケースはプラ板を小さく切リ出してテキトーに整形しただけ。スポークの影からチラッと見えるだけなので、黒く塗っておけばそれらしく見えます。小さいという事は万事ゴマカシが効くという事で、私が1/43というスケールが好きな理由は、実はそのへんにあったりもします。
アルミ挽き物のホイール本体は、腐食防止にプライマーを吹いただけですが、こうすると何もしないよりは少しキラメキもアップします。内側の底の部分はエナメルのツヤ消し黒で塗って、抜けているように見せますが、ブレーキの接着を考慮して中央部は塗らないでおきます。ブレーキを接着し、その上にエッチングを接着すれば、ホイールの出来上がり。
タイヤはツヤ消し黒を吹いただけですが、一見するとゴムのように見えます。パッと見でこれがカチカチに硬い材質であると見抜けるヒトはほとんど居ないでしょう。サイドウォールが柔らかそうな曲面になっていて、ツヤ消しの黒に塗ってある、この2つの「記号」が揃うと、ヒトはそれを「ゴムで出来たタイヤ」であると認識するんですね。
1/43というのはある意味「記号性のカタマリ」であると私は考えています。
話は変わりますが…
昨日(日曜日)、クルマで外出しました。隣町まで行くちょっとした用事があったんですが、日曜日だからさぞ道が混んでいるだろうと思いきや、これが全然ガラガラ。ちょっと前までは、日曜日にクルマで出ると、国道1号線を超える時にエラい渋滞に引っかかったもんですが、昨日は全く渋滞もなく、目の前に他のクルマが全く居ないような光景もしばしばでした。
リーマンショック以降、クルマに乗るのを止めた人が相当数いるみたいですが、その影響をハッキリと目の当たりにした気がしました。
道がすいてるのは嬉しいけど、個人がクルマを所有し、クルマで走り回るのが「当たり前の事」じゃなくなる、そういう方向に社会が流れていくのだとしたら、それは1人のクルマ好きとして、全く嬉しくないぞ。
最近、一部のマスコミに感じる「用も無いのにクルマに乗るのは止めましょうよ」的な空気、ちょっとイヤだなぁ、と思うのです。ハッキリ言わずに背景雑音のようにジワーッと醸し出しているのがイヤなんだよね。
どうも若年層に行くほど、その影響を強く受けているような気がします。ある友人のウチでは、夏休みのお出かけの時、お子さんたちが「パパのクルマで出かけるより電車に乗った方が地球に優しいんだよ」と言い出して、結局電車で出かけたそうです。
昨日はたまたま用事があってクルマに乗ったワケですが、私は用も無いのにクルマに乗るのも大好きです。乗ってるのは古いクルマで、いわゆる「エコカー」じゃないし、2リッターのエンジンをまわして、乗ってるのは私1人だけ。
「エコ」というのはいわゆる「錦の御旗」で、考え方としては「絶対的に正しい」ように見えるだけに、正面切って反対するのはやりづらい。
世の中のあちこちで「エコ」という言葉が声高に叫ばれるようになったとき、そこにどれほどの欺瞞が含まれているかを検証するのは、難しいことです。検証しようとするだけで「反エコ」の烙印を押されちゃいますからね。
「エコ」というラベルが瞬時にもたらす一見爽やかな「思考停止」、あれが私はイヤなんです。
スカッと晴れた空の下、空いた道を気分よく走りながらも、そんな事をついつい考えて気分が晴れない日曜日でした。
今回はホイール/タイヤの塗装&組立て。
エッチングのスポーク部はすでに組立ててあったので、プライマーを吹いてガンメタに塗装。ボルトフランジの部分だけエッチングの地肌を出さなきゃならないので、シンナーを綿棒に含ませて拭き取ったんですが、スポークとフランジの段差が無いので、キレイに拭き取るのは至難の業です。ちょっとでも綿棒がスポーク側にハミ出すと、必要ない部分まで地肌が剥き出しになっちゃう。
なんとかそれなりには出来ましたが、パリッと鮮やかなコントラストにはなっていません。まあ、小さいからあまり目立たないで、これで良しとしましょう。
ディスク・ブレーキのキャリパー・ケースはプラ板を小さく切リ出してテキトーに整形しただけ。スポークの影からチラッと見えるだけなので、黒く塗っておけばそれらしく見えます。小さいという事は万事ゴマカシが効くという事で、私が1/43というスケールが好きな理由は、実はそのへんにあったりもします。
アルミ挽き物のホイール本体は、腐食防止にプライマーを吹いただけですが、こうすると何もしないよりは少しキラメキもアップします。内側の底の部分はエナメルのツヤ消し黒で塗って、抜けているように見せますが、ブレーキの接着を考慮して中央部は塗らないでおきます。ブレーキを接着し、その上にエッチングを接着すれば、ホイールの出来上がり。
タイヤはツヤ消し黒を吹いただけですが、一見するとゴムのように見えます。パッと見でこれがカチカチに硬い材質であると見抜けるヒトはほとんど居ないでしょう。サイドウォールが柔らかそうな曲面になっていて、ツヤ消しの黒に塗ってある、この2つの「記号」が揃うと、ヒトはそれを「ゴムで出来たタイヤ」であると認識するんですね。
1/43というのはある意味「記号性のカタマリ」であると私は考えています。
話は変わりますが…
昨日(日曜日)、クルマで外出しました。隣町まで行くちょっとした用事があったんですが、日曜日だからさぞ道が混んでいるだろうと思いきや、これが全然ガラガラ。ちょっと前までは、日曜日にクルマで出ると、国道1号線を超える時にエラい渋滞に引っかかったもんですが、昨日は全く渋滞もなく、目の前に他のクルマが全く居ないような光景もしばしばでした。
リーマンショック以降、クルマに乗るのを止めた人が相当数いるみたいですが、その影響をハッキリと目の当たりにした気がしました。
道がすいてるのは嬉しいけど、個人がクルマを所有し、クルマで走り回るのが「当たり前の事」じゃなくなる、そういう方向に社会が流れていくのだとしたら、それは1人のクルマ好きとして、全く嬉しくないぞ。
最近、一部のマスコミに感じる「用も無いのにクルマに乗るのは止めましょうよ」的な空気、ちょっとイヤだなぁ、と思うのです。ハッキリ言わずに背景雑音のようにジワーッと醸し出しているのがイヤなんだよね。
どうも若年層に行くほど、その影響を強く受けているような気がします。ある友人のウチでは、夏休みのお出かけの時、お子さんたちが「パパのクルマで出かけるより電車に乗った方が地球に優しいんだよ」と言い出して、結局電車で出かけたそうです。
昨日はたまたま用事があってクルマに乗ったワケですが、私は用も無いのにクルマに乗るのも大好きです。乗ってるのは古いクルマで、いわゆる「エコカー」じゃないし、2リッターのエンジンをまわして、乗ってるのは私1人だけ。
「エコ」というのはいわゆる「錦の御旗」で、考え方としては「絶対的に正しい」ように見えるだけに、正面切って反対するのはやりづらい。
世の中のあちこちで「エコ」という言葉が声高に叫ばれるようになったとき、そこにどれほどの欺瞞が含まれているかを検証するのは、難しいことです。検証しようとするだけで「反エコ」の烙印を押されちゃいますからね。
「エコ」というラベルが瞬時にもたらす一見爽やかな「思考停止」、あれが私はイヤなんです。
スカッと晴れた空の下、空いた道を気分よく走りながらも、そんな事をついつい考えて気分が晴れない日曜日でした。
こういう問題は、情緒ではなく叡智で立ち向かうべきものですよね。インテリジェンスが大切、まさにその通りですよ。
化石燃料が敵視される時代が来ると、模型は全部メタルキットになったりして。今からカナもの慣れしておいた方がいいかも、なんてね。
異なる考えが拮抗する分にはとても健全だと思うのですが、今の「エコ」にはkitazawaさんが指摘されたような、無反省な側面が感じられてとっても怖いです。
人間の作り出した文化なんて所詮「無駄」のうえに成り立ってるんですよね。
無駄を排除するのではなく、「好ましき無駄」を認めることが大切なんじゃないだろうかと思うのですが。それにはやはり個々人のインテリジェンスが大切なんじゃないかな、なんて思います。
思えばプラモデルは化石燃料の塊。そろそろ何か、いわれるのかな(笑
タイヤ、素敵です。どう見たって、ゴムに決まってます。