キタジマ式酵素健康法

食べ物だけで如何にして生涯を健康で生きていくかを検証する。

久司先生89歳で没す

2015年01月12日 00時00分49秒 | 健康管理
行雲流水
一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅に出て外から日本、日本人の生き様を評す。自然食品主導者の異国での死

日本のマスコミには報道されてないが、ニューヨークタイムスは米国在住で自然食品を広めた久司道夫氏の死をかなり大きく報じた。昨年末膵臓がんで亡くなった。私はこの記事で初めて知ったことだが久司氏は戦後間もない1949年米国に渡り、ホテルのベルボーイや通訳、輸入商などで学費を賄いコロンビア大学で政治学の研究をした。政治では平和は求められない「食こそが健康と平和をもたらす鍵だ」というジョージ大沢氏に感銘を受け、自然食品とくにその地域で採れた穀物、野菜を中心とした食こそが健康の基と猛烈な活動を開始した。

肉食から菜食への自然食運動は当初、健康狂の一団と見られていたが、肥満に悩む米国で大いに注目され今では一般的に普及しだした。久司氏の活動は多くの著作から始まり、セミナーの開催、ボストンでの自然食レストランの開店、全国的に自然食の販売まで1950年代から全開の活動となった。それはみそ、醤油、豆腐の普及に大いに貢献し、和食の普及にも役だったのではないかと思う。

1950年代後半の高島屋ニューヨーク支店開店では副社長を引き受け、1960年代には指圧マッサージも教え、1970年代前半には自然食研究と東西文化交流の研究所を設立した。その研究所では自然食によるダイエットはコレストロールや高血圧を下げ、さらに乳癌にも効果がある可能性を探っていた。1999年には久司氏の業績を称える決議が米国議会で決議された。
氏は晩年、各種の企業・団体の長を勤め、世界中を飛び回る毎日で、ホテルなど外食が多く、制癌効果があると唱えている自然食を食べられず、異国の地で静かに88歳の生涯を閉じた。

つづく


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