ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

放浪記 林芙美子  岩波文庫

2023-11-25 19:42:07 | 読んだ本

 夏に初めて尾道を歩きました。暑い日でした。ロープウェイで千光寺山へ登り「文学のこみち」を歩いて放浪記の石碑を見ました。帰ってしばらくすると神奈川県の友人が本を送ってきました。『放浪記』ほか、林芙美子関連が全部で3冊。

 とりあえず『100分de名著 林芙美子』から読み始めたものの、とにかく話題が重い。なかなか進まないうちに入院してしまい、これらの3冊も持参しての病院生活に入りました。数日かけて本作の第一部から第三部までが収まったこの文庫を読み終えました。

 財布を確認すると千光寺山ロープウェイの切符の半券が入っていました。物持ちのよいことです。35℃は軽く超えていた暑い日のこと、胸ポケットに入れていた半券は汗の水分でヨレヨレ。水分が乾いてシワシワになっていました。その半券を栞代わりにして読みました。

 

 昭和5年。(すでに亡くなった)私の父が生まれる前に、『放浪記』はベストセラーになっているそうです。読者は何を思ってこの一冊を読んだのだろう。こんなのを読んで面白いか?うれしいか?貧しさやどん底の「私」(=林芙美子)を見て、ページを進める気持ちになれるか?

 相反する二面がいつも同居している「私」。

 

強情で弱気/金が欲しいのにすぐ使ってしまう/安住の地を求めているのに落ち着けない/愛が欲しいのに向こうからやってくると逃げ出してしまう/生きていたいのに死にたい/猪突猛進の引っ込み思案/都会(東京)を嫌いながらすぐ都会に戻ってきてしまう/落ち着きたいのに放浪する/人を愛して一方で同じ人を憎んで/小さいことが嫌いなのに細かい/強がりであまのじゃく/攻撃的で自己否定/行ったり来たりまどろっこしい

 

 こういう小説を北向きの薄暗い病室でも不自由な身体で読み続けるのにはなかなかのエネルギーが必要です。よくこれがベストセラーになったものだと思います。

 第一部、第二部、第三部の経緯を巻末の解説でやっと知りました。本作にはタネとして現存しないであろう作者の6冊の雑記帳があり、そのタネをもとに昭和3年10月から『女人芸術』に連載されたものが第一部。その単行本のベストセラーを受けて昭和5年11月に『続放浪記』として、また同じタネから書き直したのが第二部。戦後、昭和22年4月から雑誌『日本小説』に連載され、昭和24年1月に『放浪記第三部』として刊行されたのが第三部。同じ雑記帳をもとに同じ時期のことを3回書いているわけです。どうりで、足踏みをするような同じ話が繰り返されるものだと思っていました。首を傾げながら第三部まで読み終えてから知りました。舞台となる時代が新しくなっていく各部ではなかったのです。

 ではなぜ、同じ時期のことを3度も書く(=2度書き直しをする)必要があったのか。それは同じタネであっても執筆時点での取り上げるべき話題や作者の視点が変わってくるということでしょう。第三部は戦後に書かれており、戦前の一部や二部で発売禁止や投獄などを恐れて表現できなかったことが書き記されているとのこと。第三部でよく見えるものに天皇制や神への言及があります。そりゃ戦前は書けませんね。男(異性としての)のこともよく出てきます。読みながら連鎖の図のようなものを書いてみました。

 私にも少しだけ見えてきました。いつも並行する2本の線の間を行ったり来たり。しかも、「中道」とか「中をとって」はなく右か左かの極端な主人公。希望と絶望、安堵と憔悴もしくは不安。自嘲と不満。

 人間の内側ってこんなもんさ、みんな気取って町を歩いているけれど内側の内側を探ってみたら、あなたも、あなたもきっとこんなもんでしょうよという作者の問いかけかも知れぬと思いました。

 シワシワの千光寺山ロープウェイの半券。『放浪記』に似つかわしいかもと思ったことです。入院がなかったら、こんな重い小説を最後まで読めたかどうか。


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