博物学者アロナクス教授が二人の人物とともに、ネモ船長によって謎の最新技術を搭載した潜水艇ノーチラス号に約10か月間幽閉され、二万里に渡って世界中の海を観察する物語。
私はもとより外国の小説があまり好きになれません。カタカナ語がたくさん出てくるので人物や地名がこんがらがってしまうこと、そして翻訳っぽい回りくどい文章にどうも慣れないことがあるからです。しかし、早々と作者の術中にはまり3日ほどで上下巻を読み終えました。
驚くのは、この作品が150年余り前に発表されていることです。日本ではそのころ…
新橋・横浜間に鉄道が開業したのが1872年のことですが、『海底二万里』はその3年前、1869年に第1部が、翌1870年に第2部が発行されています。そのノーチラス号は全長70m、幅8m、排水量1500トン。電気を動力とし最高速度は50ノット、水深15000mでも潜れるという。では、この当時潜水艇は実際どんな様子だったか。ナカシマプロペラ株式会社のサイトにはこんな記述があります。
- 17世紀はじめにはオールで進む木造の潜水船があった。
- 1861年にはじまる南北戦争ではボイラーを改造して造ったハンレイ号が登場する。乗組員がプロペラを回し時速4.7kmで進んだ。
- 1886年、本作のノーチラス号と同じ電動モータで動く潜水艇が登場する。しかし海上では充電ができなかった。
つまり発表時においてノーチラス号はどこの星の乗り物?というくらいぶっ飛んだ性能であるし、ノーチラス号を通してアロナクス教授が見た景色、風景は想像の上に想像を重ねたものと考えなければなりません。
その中で作者は海の生き物図鑑をはじめ、あらゆる図鑑を近くに置いて執筆したことでしょう。別な言い方をすれば『海底二万里』という小説の体をした図鑑(もちろん、それぞれの生き物の挿絵があるわけではありません)。こんな文があります。
大西洋にも地中海にもいる魚で、わたしたちがお目にかかれなかったものとしては…
見ることのなかった魚まで本文に登場させようとするのです。また海を冒険するストーリーなのにオオサンショウウオまで登場させるのは、単純にデータ参照のミスなのか、読者へのくすぐりなのか。
朝ドラ『らんまん』で一気に私たちの身近になった牧野富太郎博士に登場願いましょう。ウィキペディアの彼のページから情報をもらいます。彼が生まれたのが1862年。本作第一部が発刊された年に牧野さんは7歳です。そして彼が初めて学名をつけた(ヤマトグサ)のが1889年。本作の発刊から20年後になります。ヤマトグサという学名が登場する20年前にヨーロッパでは『海底二万里』に登場するだけの膨大な生き物の分類・整理(のちの研究で修正される部分もあるにせよ)がすでに行われていたわけです。
空想冒険小説ではありますが、そこに張り付いている図鑑は当時の日本と比べれば見上げても見上げても、見上げ足りない立派なものですし、ストーリーをおおまかに整理すれば幽閉されたアロナクス教授にも幽閉する側のネモ船長にもさまざまに苦悩が見えます。現代にもつながる人間への意識、感覚は150年前の作品とは思えない新鮮さがあります。
さて、ノーチラス号から脱出できない教授と二人、読み手は病棟から出ることを禁じられている私。妙なところで共通点を見つけてしまったことです。
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