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『放浪記』と林芙美子というは若いころから知っていたような気がします。けれど、『放浪記』を詠んだ記憶もありませんし、森光子の「でんぐり返り」のお芝居を観たこともありません。学校時代に文学史で覚えさせられたのでしょうか。林芙美子という人に接近したことのないままこの年になりました。たまたまこの夏、尾道の「文学のこみち」を歩いて、「そぅ、林芙美子は尾道だったね」くらいの気持ちで彼女の石碑を眺めていました。偶然にも古い友人が突然送ってきたのが林芙美子関連。NHKの『100分de名著』のテキスト、『下駄で歩いた巴里』『放浪記』です。私はそれまでたいして興味のなかった林芙美子に一気に接近することになりました。ただ、入院というアクシデントを経験しなければ、おそらく読み始めることもなかったかもしれません。
『下駄で歩いた巴里』は紀行集です。長安からシベリアを経てパリまでの道行き、パリでの生活、ロンドンでの生活が書かれたもの、またその他国内の旅の文章を集めた一冊です。
昭和の初めにこんな大胆な女性がいたんだと驚きます。パリまで女の一人旅です。物怖じする気配がありません。そして筆者は常に庶民の視点です。ヨーロッパまで出かけている人が「庶民」はおかしいでしょうが、視点は庶民。貧しい中で大きくなってきた人の見方でしょう。自分の目で見たソビエトの現実から、プロレタリアって何だったのかと問いかけています。
筆者にとって旅は一人か二人だと記しています。そして、どこへ行っても歩く歩く。歩いて情報をつかんでいきます。
旅や旅行の目的は人それぞれですから、林芙美子風の歩き方に賛同する人もそうでない人もあるとは思いますが、私なんぞはこの人のように旅をしてみたいと思うことでした。
この一冊の中では、「西比利亜の旅」から「巴里まで晴天」までが他の部分と文体が違っています。誤解を恐れずにいえばブログ的な書き方というか、文章のシェイプアップが不十分というか。ところがこれがオンタイムで書かれたものではなく、パリに着いてから書かれているように思われる部分が何か所か出てきます。当然、出版に至るまでは推敲もされているはず。となると、現場の臨場感をもたせるための工夫なのかもしれません。
視点を変えましょう。この一冊は時間軸で原稿を選ばれているものではありません。書かれた時もマチマチ。だいたい昭和5年から始まって一番新しいものが昭和26年の「大阪紀行」までのようです。今からおよそ70年~90年前にこんな言葉があったんだとメモをしたのでそれを載せましょう。
ぎょうず(ギョウザのことと思われる)/やけくそな/ウドン粉料理(メリケン粉とは意味が異なるらしい)/驚木桃の木山椒の木/朝のみじまい(現代なら身支度というだろう)/黒いイィクラ(キャビアのことだと思われる)/チャチなもので/ふんぞりかえっている/蚤の市/アラえっさっさ/田舎っぺ/ハーブ/十合(百貨店のそごう。そごうは漢字で書くと十合だそうだ)/文化住宅(文化住宅にはふたつの概念があるそうだ)
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