ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

へぎそば  そうだ 富山、行こう。(1)

2020-11-02 22:59:07 | PiTaPaより遠くへ

 9月末のお話しです。

 朝から雨です。雨の北陸自動車道を走っています。今年は変な気候で、猛暑続きと長雨。そのせいか、彼岸花の咲くのが遅い。彼岸には見かけませんでした。9月終わりになって、ようやく赤い花が見られるようになりました。北陸地方でも同じような様子です。

 高岡市の雨晴海岸から、日の出を見たいと思って出発しました。しかし、今日は雨。明日の朝日も期待が持てません。とはいえ、連休がほとんどない私のこと、次のチャンスがいつくるかわかりません。わずかな期待だけを背負って走ります。

 北陸道の近くでは北陸新幹線が敦賀までの延伸を目指して工事中です。以前にも見たことがあるような…と思って振り返ってみます。2009年の秋に長野から上越を経て北陸道を西に走っているときに、金沢までの開通を目指して道路の左右で工事されていました。なんとあれから11年。

 尼御前のSAが懐かしくて寄ってみました。昭和の終わりごろ、3年ほど野沢温泉にスキーに通っていたころ、よく休憩した記憶があります。しかし、風景に覚えがない。きっと、寄ったのは暗くなってからだったんでしょうね。SAから徒歩で出て、岬の遊歩道を歩いてみました。やはり雨です。

 ここからしばらく走ると、道路は海辺の松林の中を進んでいくのですが、ここにも思い出が…「美川県一の町」と書かれた塔。北陸道の名物の塔のような気がしていたのですが、今は撤去されてしまったとWeb情報で見たような気がします。やはり見つからないまま北陸道は海から離れてしまいました。かつての美川町は合併により白山市になってしまったので、「美川(町が)県(で)一(番)の町」という言葉に意味がなくなってしまったのでしょう。

 金沢市を走っていると高速道路の左手に自由の女神像。この女神さまも随分長いことこの場所に立っていらっしゃるはずです。これもスキーに通っていたころ、すでに金沢の自由の女神像は、ホテルだかパチンコ屋だかの屋上におわしました。

 ナビに案内されるまま、小矢部砺波ジャンクションで能越道に乗り換え、イオンモール高岡にやってきました。北陸新幹線の新高岡駅までほんの数百メートル。きっと新幹線の開業に合わせて、イオンモールもできたのでしょう。しかし、イオンモールって全国どこに行っても(というほど、全国を知らないけれど)、同じような造りの商業施設ですね。

 ここにやってきたのは、越後の名物へぎそばを食べてみたかったからです。へぎそばというものをいっぺん食べてみたかった。しかし、越後は遠いのですよ。簡単には行けそうもありません。同じ越の国だからと理屈をつけて、ランチタイムを過ぎてしまったころ、その蕎麦屋さんに入ったのでした。

 これが正統派へぎそばかどうかは、経験がないのでわかりませんが、細いけどしっかりコシがある蕎麦です。喩えていえば、乾麺を硬ゆでにした感じの食感。ふのりをつなぎに使ったと知識があるからかどうか、海藻のような香りがする。盛りの形がきれいです。

 天気は相変わらず、傘を差すか差すまいか迷う程度の雨続き。

 ここから新湊へ走ります。途中、カモンパーク新湊という道の駅を見かけました。うーん、ここにも思い出が…

 

 1999年8月に、飛騨でキャンプをした帰り、41号線から富山へ出て帰る途中で、この道の駅に寄ったのでした。海辺に来たので、魚でも買って帰れたらいいねと、この道の駅で聞きました。「魚を買えるようなお店はありませんか」お店の女性スタッフはしばらく考えて、「富山の人は、日曜はお魚を食べないからね」と言いました。漁のない日曜に新鮮でない魚を食べる買うのは馬鹿だというわけです。さすが、「天然のいけす」と敬意を持って喩えられる富山湾が近いだけのことはあると、その時私はひどく畏れたのでした。

(つづく)


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