切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

満願寺・妙昌寺・本清寺 京都市伏見区・・・全部、日蓮宗

2020-06-25 22:24:57 | 撮影
 伏見区の西の端。桂川を西側へ渡った久我地域にある。3箇所のお寺は相互に約200m余りの間に集まっており、それぞれ日蓮宗のお寺だ。
 順番に回ったが駒札があったのは最初の満願寺のみ。ところがせっかくの駒札も少し古くて、雨風によって完全に変色しており、書かれた文字がかろうじて浮き上がっているものの判読はほぼ不可能。かつての汚れていない時の駒札写真がないかどうか、ネットで調べると京都の寺社の駒札を文字に起こしているサイトがあり、たまたま満願寺も入っており借用させていただくことにした。
 続く妙昌寺~本清寺については駒札も何もなく、またはネット上にもほぼ何の情報もなく、ごくわずかな1行程度の紹介があっただけで実質上よくわからない。
 しかし3箇所のお寺は何れも手入れがよく行き届いて、境内も草木や花の部分と通路がはっきり分かれていて、普段からよく整備されていることがよくわかる。
 日蓮宗のお寺ということなので途中で宗派が変わっていない限り、寺の創建はどんなに早くても鎌倉時代後期。あるいは室町時代以降となるだろう。満願寺の駒札の内容を見てみるとまさに戦国時代。もう間もなく江戸幕府が開かれるという時だ。おそらくあとの2箇所もそのくらいだろう。
 一応調べた限りでは創健の時期だけが記載されているものがあったが、それがどこまで正しいのかはわからないのでとりあえず紹介だけしておく。
 満願寺は西暦1591年
 妙昌寺は西暦1564年
 本清寺は西暦1564年
との短い紹介が見られたが、若干の前後はあったとしても、まぁこのくらいなんだろう。尚、本清寺については、真言宗から日蓮宗へ変わったとのこと。もちろん以降の変遷についてはよくわからない。京都では応仁の乱は既に終わっており、この辺りは決して免れてはいないはずだ。もちろん復興の方もかなり早かったようだが、この後、江戸時代に天明の大火が発生する。桂川の西側にあったのでひょっとして助かったのかもしれない。
 3箇所のお寺は、本堂などの建物は何れも間違いなく再建されたもので、おそらく古くても江戸時代だろう。そういった意味では何らかの理由で再建されたものが今に至っているのではないかと考えてもいいと思う。

満願寺

 

『満願寺
 成就山満願寺と号す。身延山久遠寺を総本山と仰ぐ日蓮宗の寺院。1591年(天正19年)開創。
 かつて真言宗であったこの地に縁あって開山実成院日典上人(本山妙覚寺第二十世)が伝道し、その教化により全村ことごとく法華に帰し、久我法華と称せられた。
 第二十七世了遠院日意上人は。寒中夜間桂川に入水錬行することを壱百日。その法勲をしたい参詣する者門前市をなしたと伝えられ今に中興と仰ぎ、毎年正月十一日には荒行成満の足跡を偲んで一連の法会を営んでいる。 この法会は、その昔、村人によって上人に供養された精進料理「けんちゃ」に由来している。
 境内には開運北辰妙見大士を祀り、昭和五十六年建立の電気梵鐘からは、朝夕平和の梵音が久我の里にこだましている。 それは、人間相互礼拝をめざす御題目の祈りの響きでもある。 京都市』
  (駒札紹介サイトより)
     

妙昌寺

     

本清寺


      
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