『腹带地藏 善願寺
奈良時代、 光明皇后の発願により「女人を難産の苦しみから救わん」と僧・行基に命じて、安産にご利益のある地蔵尊を本尊として創建された寺と伝える。その後、所在が不明になっていたのを縁あって比叡山延暦寺の恵心僧都「源信」が長保年間 (九九九年~一〇〇三年)に当地に再興した。
現存する地蔵菩薩(重要文化財)は寺伝によれば、平清盛が五男の「重衡」の安産を祈願して、七条仏所の仏師により造立し奉納されたと伝える。
そのご尊像は丈六の座像で「地蔵大仏」といわれ、尊像の腹部に裳の結び目があり、これが腹帯に似るところから「腹帯地蔵」として親しまれて今も安産祈願の人が絶えない。また重衡の夫人が近くの日野に住み、夫人の安産を祈願して堂宇を寄進したと伝える。
現存する本堂は第一九世、慈円上人(浄土宗西山派の僧)によって弘化三年(一八四六年)に再興されたもので、堂内の天井には岸派(岸良)による華麗な天井画がある。
また、境内には「榧」の大木があり小野小町ゆかりの「小町がや」といわれ、その表皮をめくり生木に不動尊像が彫られている。仏師・西村公朝師の作で有名となっている。
京都市』 (駒札より)
伏見区の善願寺へ行く。
伏見区とはいっても地理的には山科盆地に食い込んでおり、区割りの関係で山科区ではなく、この地は伏見区となっている。
有名な醍醐寺の南の方にある。共に旧奈良街道沿いに面している。今では奈良街道の西側を走る外環状線が主要道路であり、その下を地下鉄が走っている。この旧奈良街道は抜け道としても利用されており、狭い道ながら結構車が多くはっきり言って危ない。醍醐寺は大きな駐車場もあり特に問題はないが、この善願寺は小さな駐車場があるものの、奈良街道に直に面しており十分気を付ける必要がある。
門の前に駒札があり、由緒は上記の通り。創建の時代は不明確だが、僧、行基が奈良時代の天平年間に創建したと言われている。その後荒廃し、平安時代に今度はこれも有名な、恵心僧都源信によって再興されたとのことだ。
別名腹帯地蔵とも言われ、女性の安産祈願のお寺として知られている。本尊の地蔵菩薩は 大きなもので「地蔵大仏」とも呼ばれる。実際には予約をしないとお堂内に入って参拝することはできないが、ネット上にはその写真が公開されている。国の重要文化財。
しかし山門には「国宝 腹帯地蔵」と書かれており、これは戦前に国宝に認定されたということを意味している。戦後の文化庁による再調査によって基準が少し厳しくなり、重要文化財とされた。かつての国宝がこのように重要文化財にされたというケースはかなり多く、一部はこのブログでも紹介している。
境内は狭く木々が密集していて緑にあふれている。その中に木の幹に不動尊像が彫られているのだが、以前訪れた時にははっきりとそれを見ることができた。今回はなぜか見つけることができなかった。数年ぶりに訪れて彫られた像が新たな表皮に覆われてしまったんだろうか。
女性の安産祈願をうたうお寺はあちこちにあるが、ここもその意味ではかなり有名なお寺であり、醍醐寺を訪れた際には歩いても近いので、是非とも寄ってみるのが良いと思われる。
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