切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

エリートの奴らは、障害者がそんなにも、うっとうしくて邪魔なのか・・・障害者雇用水増し、ごまかし問題について。

2018-09-07 23:53:51 | 社会



この間、豪雨災害や台風、北海道の大地震などなどがあって、毎日毎日様々なニュースが現れては消え、全体として流れ去ってしまうような状況になっている。
しかしたとえどういうことがあろうとも、絶対に忘れてはいけないし、追求すべきは最後まで追求しないといけないことがたくさんある。

ちょっと古くなってしまったが、いまだに真相が明らかになっていない、森友問題や加計問題、安倍総理夫妻が大きく関わっているこの事件では、自殺者も出ているにもかかわらず、安倍総理夫妻はそんなこと「知らぬ存ぜぬ」といった不遜な態度だ。
このような深刻な問題が未解決なのに、どうすればニュースなどで見るように、あんなにへらへらと笑えるのか、自分にはとてもまともな精神状況とは思えない。

今朝の新聞広告に、安倍総理を絶賛礼賛する書物が刊行され、その宣伝が載っていた。櫻井よしこらを始めとする右翼ジャーナリストや右派文化人と呼ばれる連中が揃いも揃って、安倍首相を絶賛していると言う題名が目に入ってきた。更に同じ末に「つんく」などの芸能人の名前も出ている。安倍首相と会談したらしい。一時が万事、こんな有様なのに、首相として第3期目をやろうとしているのだ。これも自民党内での自主ルールを勝手に破って、自分の思い通りにやっている。こんなことやってても、安倍政権の支持率はなかなか落ちない。,国民の体たらくを見ていると、国民に対する不信感すら覚えざるを得ない。

● 中央省庁での障害者雇用水増し問題発覚。



こんな状況の中で明らかになったのが、官公庁での障害者雇用水増し問題だ。もともとは障害者にもきちんとした仕事を用意して、自立生活を目指すべきものだったのだが、最初は促進法と言う形で1960年に立法化されている。
しかし単なる促進法では、企業や自治体などにその気になってもらわないと進むはずもない。事実、日本が高度経済成長、バブルの時代、あるいは経済低迷期などを経てあえて障害者を雇う、などと言うのはどこの事業者にとっても面倒だったんだろう。
事態は掛け声だけで何も進まない有様だった。そこで1976年に一定の従業員数を抱える事業所に対して、全従業員数の何%かの割合で雇用しなければならないと言う新たな法律を定めた。その法律が「障害者の雇用の促進等に関する法律」だ。
障害者も最初は身体障害者に限られていたが、続いて知的障害者、さらに後になって精神的障害者も含まれるようになった。新たに定められた法律では、法定雇用率と言う形で、全従業員の数の割合に応じて障害者を雇わなければならないことになった。いわば国からの強制的な押し付けと言う形だ。
自分が中学校で社会科を教えていた時に、当時は確か民間企業では法定雇用率が、1.8%だったと思う。これに対処しない場合には、いわば罰金に当たるような形で、国に納付金を納めなければならない。そのような状況の中で民間企業は相応の努力をしてきた。企業規模が小さくなると、現実問題として障害者を雇用するのは困難な側面もあるのは確かだ。
一方大企業などでは、一定の余裕もあるのか障害者を雇用して法定雇用率には達しているケースが多かった。
しかしこの障害者雇用というのは、民間企業に限ったものではなく、各地方自治体の教育委員会、そして中央の官公庁、もちろん国会や裁判所なども含まれる。

民間企業の法定雇用率未達成は、毎年のように問題にされて、場合によっては企業名公表と言う状態もあった。しかし地方自治体、中央官公庁については一切問題にならなかった。理由は簡単だろう。お上はちゃんとやっている、との根拠のない盲信があったからだ。
しかし今回一部報道機関の報道によって中央の官公庁が未達成と言うことではなく、なんと驚くべきことに、法定雇用率を達成しているように見せかけると言う、卑劣な水増しをやっていたことが発覚したのだ。



● これは「水増し」なのか。

各メディアは一斉にこのことをかなり詳しく報道し始めた。その際に使われるのは、「水増し」と言う言葉だ。確かに水増しと言えば水増しなんだろう。しかしこの表現はいかにも弱々しく、さほど大した事では無いかのような印象を与える。
国の機関である中央の官公庁がやった事は、何とか法定雇用率を達成したように見せかけるために、「水増し」を行ったと言うよりは、最初から意図的に「法定雇用率達成」が当たり前なんだと言う、国民に、そして当該の障害者たちに、見本を見せて、いわば「確信犯的な嘘」をついたと言うことだ。



報道を読んでいると、本来ならば各障害に応じた手帳を有する者、あるいは医師が障害と判断した者が雇用対象になるはずなのに、中央省庁の嘘は極めて悪質なものだった。手帳の確認なしに、糖尿病とか治療中の緑内障とか、まだ具体的な障害も何も認定されていないものも、何らかの理由をつけて障害者雇用に算入していたわけだ。驚くべきことにその数は、法定雇用人数のうちの半分にもなると言うから、いろいろ努力をしてきた民間企業や、障害者や国民全体をも裏切る卑劣極まりない行為と言うことになる。



社会的ハンディを持っている弱いものに対して、まさに国がやりたい放題。はっきり言って、こういうエリートの奴らと言うのは国民をナメきっている。嘘をつこうが何をしようが、バレないと思っている。法律の文言の表現が分かりにくくて、曖昧になってしまったと言う言い訳もつくなどと、タカをくくって国民全体をずっと騙し続けてきたわけだ。中央官公庁の奴等の中にも、少しはまともな人権感覚を持ったものがいるのかと思いきや、まさしくたった1人すらいない。
要するにこのような実態に対して、やってはいけないと思うものが0人であると言うこの事実。これで先進国と言って、国連の常任理事国に入りたいなどと、のたまわっている無様な実態なのだ。
水増しそのものは、どのような形で行われたのか、裏の姿はわからないが、少なくとも東大卒のエリートたちばかりだから、これがまともでないことぐらいはわかっているはずだ。にもかかわらず、こんな事態。要するにただ単なる水増しと言うよりは、意図的な数合わせで、法律を守っていると言う姿を示すために行われた、悪質行為と言うことなのだ。



●なんでこんなことがまかり通っているのか。

旧姓、辻典子さんと言う名前を知っている人はどのくらいいるだろう。現在は結婚して白井紀子さんである。彼女のことは映画「典子は今」と言う題名で、松山善三監督によって映画化された。映画には辻典子さん本人がそのまま主演した。
映画は大変な話題となった。公開は1981年。つまり障害者の雇用の促進等に関する法律が制定されてから比較的間もない頃だ。なぜ彼女のことが全国的な話題になったのか。
彼女の親は妊娠中にサリドマイドを服用し、その結果典子さんは両腕がなく、片方の目も失明状態で生まれてきた。しかし幼少時より大変な努力を重ねて高等学校を卒業し、18歳で熊本市役所に採用された。つまり重い障害を持った人が公務員として採用された初めてのケースとして注目されたと言うわけだ。(現在彼女は市役所を退職し、しばらく講演活動を続けていたが、今現在は休止中と言う)



ところが映画が公開されるや、全国から激励の手紙もあったものの、かなり多くの誹謗中傷が寄せられたと言う。身体障害者が公務員として採用されたことに対して、おそらく税金の無駄遣いだとか、公務員になれたことへの嫉妬心などもあったんだろうと思う。



このケースを見るまでもなく、昔から日本社会での障害者の居場所と言うのはほとんどなかったに等しい。つまり日本社会、地域社会が受け入れないと言う現実が長い間続いてきた。基本的には今現在もさほど変わらない実態がある。
重度障害により企業雇用に乗らないような障害者たちは「共同作業所」といった障害者施設で働き、生活するケースが大半だ。最近ではこのような施設が街中にできるケースも増えつつあるが、以前は住宅街や公共の場に近いところなどには設置することさえできなく、住宅街などから少し離れたところにあるケースが多かった。



地域住民との共生などと言う考え方が受け止められない、一般人が大半だという証明だ。スーパーなどに行って、身体障害者を見かけることがある。必ず指導員が付き添っているが、周りの一般客は全く見ないようにしているというのがよくわかる。まるで自分たちとは人種が違うのだ、とでも言わんばかりの態度だ。
このような国民や地域住民の思いの中には、面倒なことに関わりたくないとの深層心理なり、あるいはあからさまな意思があるんだろう。そしてこれは民間企業や中央省庁で障害者を雇用している現場においても、そのようなものがあるのではないかと思われる。だからこそ水増ししたってどうってことないと言う図式になると考えてもいいと思う。

●中央省庁のエリートたちは、障害者と一緒に働くのがそんなにも嫌で、面倒で邪魔だと考えているのか。



こんなこと言うまでもない。実際に弱い立場にある障害者に対して、このような卑劣な行為を行っている事自体、表題の通り障害者と言うのは、面倒で邪魔なんだろう。
今日の新聞記事では、最高裁判所においても同様の問題が発覚したとあった。こいつらにまともな人権意識などないと考えるのが妥当だ。こいつらは国民の血税から給料をもらい、国民の公僕として働いているはずだ。立法化された法律に基づいて、彼らの働くことの意味合いがあるにもかかわらず、このようなことが行われてきたと言うのはもはや完全に、「水増し」と言うものではなく、障害者に対する完全な「差別」と言うほかない。

日本では当該のものが障害児者であることを示すために、それぞれの障害に応じた手帳が発行され、それを持っていなければならない。様々な場でその手帳を示さなければならない。障害者割引を得るためには、駅の窓口で、何かの施設を見学するときにはその窓口で、と言う具合で、障害者であることをいちいち証明しなければならない。
実は先進国と言われる国の中で、こんなことをしているのは日本だけだ。他の国では障害と言うものに対する捉え方自体が、日本とは決定的に異なっている。そしてその障害者に対する政策の運用そのものも、かなり柔軟性があり、障害者が決して弱い立場にならないような工夫がなされ、国民の間にもそのような考え方がかなり浸透している。もちろん例外的な個々人はいるだろうが、国全体として日本とは大違いであるというのが事実だ。

考えてみれば、日本と言う国はもうすぐやってくるオリンピックで、「おもてなし」なんて馬鹿馬鹿しい表現でアピールしてたけど、日本国民の内実はそんなものではない。障害者に限らず、組織内で下の立場、弱い立場にあるものに対して、極めて差別的で見下したいじめ的な風潮が非常に強い。
だからこそ優生思想に染まりきってしまうんだろう。自分では明確な意識はしていなくても、心の奥底にはそういった優生思想がはびこっている。これが具体的に、自分たちの職場との関わりの中で接することになると、その優生思想が具体的な形で表に出てくるし、あるいはまたネット上の匿名性を利用して、弱い者や障害者に対するヘイトスピーチなどが大量に溢れかえっている。
こういった日本人の内面的な実態をしっかり見ていかないと、上辺で良いことを言ってもどこからも信用されない。



今回の事件で、中央省庁は完全に信頼を失墜した。いやこんな言い方おかしい。中央省庁のエリートたちの信頼なんて、もう以前から失墜している。政治家に遠慮し忖度し、国民を平気で裏切るような公僕の立場を捨てた奴らだ。だからこそこいつらの真意として、障害者雇用と言うのは、本当にめんどくさくて邪魔なものとしか感じられないんだろう。
今この実態や原因などを調査して、10月ごろには公表するとか言う話だが、そんなものに何の期待もしていない。どうせ体の良い言い訳をずらりと並べて、いわゆるエリートたちの官僚言葉でものを言うんだろう。この事件を通して変わるものは何もないと思う。

一応法定雇用率だけはなんとかするだろうが、奴らの心の奥底にある、非人間的な感覚は何ら変わらないと思う。このことについては言うべき事は、ここまで書いてきた何倍もの内容があるが、とりあえずここまでにしておく。
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4 コメント

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これは教育ではなく狂異苦だ (芋田治虫)
2019-01-18 21:17:40
ナチスのものを放置するよりも「親や目上の人たちが無理だということができなければ立派な人間ではない」という教育をする方が危険だ。
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障害者になって当然の奴はいる (芋田治虫)
2019-01-18 21:20:50
日「本は過去の侵略戦争においてドイツ以上の反省をしろ」という奴は障害者になれ。
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Unknown (大学生)
2020-02-10 02:35:20
官僚に対して、こいつら、奴ら、と一括りにして切って捨てる態度で途中読むのをやめた。
お前は官僚の何を知っている?
全職員と話したのか?
バカは黙ってろ。そんなんだからお前みたいなのはエリート、いや普通の人間からもナメられるんだよ
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Unknown (Unknown)
2021-09-17 04:45:25
大学生は馬鹿なのか?
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