切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

観音寺~妙蓮寺・・・近所ではない  京都府久世群久御山町   2024.9.10 訪問

2024-09-14 22:17:59 | 撮影
観音寺



『観音寺
久御山町指定文化財
木造阿弥陀如来坐像一軆
       観音寺蔵
寄木造 玉眼 漆箔
像高 四八・九センチメートル
鎌倉時代中期
平成八年二月二十九日指定

 観音寺は、建長二年(一二五〇)、百阿上人の開基と伝え、中世には御牧三ヵ寺(華台寺・観音寺・念仏寺)の一つに数えられていた。 
 木造阿弥陀如来坐像は、定印を結び胸は大きく開き、腰を深く落とす大仏風の体型で、面貌は童顔ながら端正な表情を示す。衣文の彫りは浅く、平安時代末期の作風が感じられが、様式からみてほぼ十三世紀中葉の制作と推定される。後年の補修も少なく、鎌倉時代の小像 の佳作として貴重なもので ある。
 平成八年 三月
  久御山町教育委員会』 (境内説明板より)



 観音寺は久御山町を東西に走る府道八幡宇治線のほぼ中間地点にある。私はかつてこの道を使って職場へ往復していた。しかし道に面したお寺であるにも関わらず、最近まで全く気がついていなかった。近くにある玉田神社は気がついていたが、なぜこの観音寺には気がつかなかったのか。今でもわからない。たまたま先日久しぶりにこの道を通って、山門があるのに気がついて後日 訪れた次第だ。

 寺の横に駐車場があり、そこから府道に出て正面から撮影を開始する。幸いにも山門は開いており、そのまま境内に入らせてもらった。外からはあまり目立たなかったが、境内に入ると立派な本堂が目に入り、また庫裏なども建っていて風格のあるお寺としての感じが伝わってくる。境内にも立派な松の木などが枝を横に伸ばし、全体の植栽もかなり多く綺麗に手入れされていて、非常に雰囲気の良いお寺という感じがする。

  

 創建は鎌倉時代初期の西暦1250年。元々は天台宗のお寺として創建された。しかし鎌倉時代初期にはそれまでの密教に変わる新しい改革仏教が次々と現れ、それぞれの教義を民衆に示して、平安時代においては朝廷権力と結びついた仏教の実態を否定し、新たに一般庶民にも分かりやすい仏教教義を標榜するいわゆる鎌倉仏教が大きく信仰を伸ばした。んな流れの中で観音寺は浄土宗に改宗することになる。

 

 観音寺の本尊は阿弥陀如来となるが、これは浄土宗共通の特徴となる。そしてこれらとは別に、十一面千手観音像がある。普段は公開されない秘仏として、特に一般公開されることはないようだ。さらに高さ 約50cmという小型の阿弥陀如来坐像がある。これは観音寺が創建されたほぼ同じ頃に彫られたものだと言われる。貴重な仏像として久御山町の文化財に指定されている。おそらくこちらの方は、公開時に参拝することはできるだろうと思われる。
  


妙蓮寺

  

 久御山町役場の北方数百メートルのところにある。周囲はほぼ畑となっているが、役場方面だけは住宅地となっている。観音寺から真南への道路だが、かなり遠くからでも割と目立つ。本来ならば平地にそのまま建設されるものだろうが、妙蓮寺は土台として石垣が組まれており、平地より数m高いところに境内や建物がある。おそらくこれは近くの木津川の氾濫 時に水没を免れるために、このような高台にあえて組んだものと考えられる。昔であればさらに宇治から久御山町に渡って旧巨椋池が広がっていて、その関係もあってこのようになされたのだと思われる。

  

 山門前に着くと駐車場があり、周囲には赤や黄色の花が取り囲んで、非常に美しい。山門、本堂などの建物はかなり新しく、再建されてからさほど年数は経っていないように思われた。境内も よく手入れがなされ、 なかなかのものだと言える。

 妙蓮寺という名前から当然、日蓮宗のお寺だろうと勝手に思って行ったのだが、表札には 浄土宗とあった。なかなか珍しいなと思いながらまあこういうケースもあるんだろうと思った。創建等の由緒等については何もわからないが、最初はここからは別の場所にあったものと考えられる。ずっと後になって巨椋池の干拓事業その他から、移転を余儀なくされこの地に落ち着いたのではないかと考えられる。色とりどりの花が豊かなお寺という感じだ。

  

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