『一念寺
寺伝によれば、天武天皇即位二年(六七四)僧道昭が創建し、奈良の元興寺に属する法相宗の寺であったが、永享年間(一四二九から四一)に、後亀山天皇の皇子であった真阿上人によって再興され、浄土宗に改められたといわれている。
本堂に安置する本尊阿弥陀如来像は、定印をむすんで結跏趺産する丈六の巨像で、俗に「鳥羽の大仏」と呼ばれ、人々から親しまれている。この大仏は、当寺の再興に当って、東大寺念仏堂から移されたものと伝えられている。
門前の鴨川畔は、永享一二年(一四四○)六六歳で没した真阿上人遺命により、遺体が水葬されたところで、「真阿ヶ淵」と呼ばれ、以後永く殺生禁断の地とされてきた。
京都市』 (駒札より)
一念寺は桂川にかかる羽束師橋の東岸の堤防沿いを、北の方へ数百mのところにある。分かりやすい道であり、堤防沿いの道なので車でも行きやすいが、公共交通機関となると少しややこしい。但し車の場合は近くにコインパークも何もなく、駐車する場所を探すのに苦労しなければならない。
本堂前に駒札があったので、上記のように由緒がわかる。創建は奈良時代の前、なんと 飛鳥時代にまで遡る。西暦674年であり、聖徳太子が全国に仏教を広めるために各地に多くのお寺が創建された頃と重なる。当時は法相宗のお寺であり、長い間その位置づけで歩んできた。
鎌倉時代初期、仏教にも新しい宗派が次々と誕生し、中でも法然の浄土宗は専修念仏を唱えることにより、極楽往生できるとの誰にでも受け入れやすい宗派として、大きく広がりを見せる。しかし浄土宗派に教義上の難がかけられ、後鳥羽院によって讃岐の国へ流されることになる。その際、法然は弟子たちを連れてこの一念寺に立ち寄っている。そのことから「 法然ゆかりの寺」とも呼ばれている。また門前にそのことを示す石柱が立っている。
その後一時衰退するが、室町時代に再興され、宗派も法然の浄土宗に改宗することになった。その際東大寺から阿弥陀如来坐像を本尊として遷されたという。
この阿弥陀如来坐像は現在、本堂に安置され一念寺の本尊となっている。鎌倉時代の作とされ、京都府の指定文化財となっている。大きさが丈六(224cm)というものであり「鳥羽の大仏」と呼ばれ親しまれている。
鳥羽の大仏とは初耳であり、今まで東山区方広寺の「京都大仏」は知っていたものの、鳥羽地域にこのような大仏とお寺があるというのは全く知らなかった。歴史的な由緒もかなりなものであり、無論山門にしろ境内や本堂も何度も建て直されているはずだ。従って外から見る分には、建物も綺麗な普通の浄土宗のお寺に見えてしまう。飛鳥時代に創建されたなどというのはまさしく京都の中でも、かなり古いお寺の一つに数えられるだろう。訪れて拝観する価値は十分にある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます