1923年9月1日、関東大震災発生。犠牲者・行方不明者は約10万5000人と言われている。その大半は被災地全域で起こった火災によるものと言う。近代未曾有の大災害としてこの 震災以降、国は様々な耐震政策を取りながら歩んできた。以来100年を越えた。そしてまた多大なる犠牲者に対して国が主催して、天皇を招いて追悼集会を毎回重ねてきた。今年については台風の影響で規模は縮小されたが、また天皇の参加は見送られた形となった。
もちろん東京をはじめ隣接する神奈川県や千葉県、埼玉県などのやはり犠牲者を出した自治体からは知事が出席し、また追悼文を出してきた。このことは震災から得た教訓をどのように活かし、これからの日本人の生活の中に地震との共生という現実に対して、全国的な取り組みの必要性を発信することにもなる。
特に東京都においては今現在も毎年のように、広報によって震災が近づいてきた時期に 地震対策の注意喚起や避難マニュアルを前後に配布していると同時に、これらの元になる研究が以前に行われ、関東大震災についての地震学や気象学、地質学、建築、住民、集団の行動などなどの詳細な研究が行われ、1つにまとめられている。おそらくこれらは様々な新しい各地の震災を新たな教訓として、必要な改定が行われて行くことになるだろう。
これはネット上にも公開されていて、私もその一部を通読してみた。かなり専門的な分析から人々の行動に関わる分析なども含めて、各分野からの教訓化し得る内容となっている。 これはこれで一つの大きな成果となるが、これに基づいて東京都は広報を作って全都民に知らせているということになるんだろう。もちろんこれはこれで大事なことであることは言うまでもない。今後も毎年続けていくべきこととなるはずだ。
しかし関東大震災においてはただ単に、地震による被害だけにとどまらず負の出来事があったのも事実だ。言うまでもなく民衆の流言飛語などによる在日朝鮮人に対する、いわば 根拠のないヘイトが広まったのだ。
「朝鮮人が水源に毒を入れた」「朝鮮人が武器を持って日本人を襲ってくる」と言った噂話が自然発生的に起こったのだ。自然発生的というのは違うかもしれない。こういった流言飛語に至ったのは、背景に普段からの日本人による朝鮮人への差別意識というものがあったものと言える。 1910年、日本は朝鮮を併合し植民地化した。同時に同化政策を取り朝鮮人を日本人化するような政策を進めていく。朝鮮本国においては半日暴動が発生する。当然のことだ。このような背景のもとに日本国内においては数多くの朝鮮人労働者がやってきていて、彼らに対する差別意識というのが広まっていたのは事実だろう。
この件はさらに加えて新聞を中心とする大手メディアが、無責任に流言飛語をあたかも 事実かのように掲載し、民衆を煽ったということが言える。そういった意味で新聞メディアの責任は免れないものとなる。人々はその時々において主要なメディアが発する内容について、疑問を持たずに簡単にまるで信仰のように信じてしまうものなのだ。このような事態に至ってしまったことについて、今現在も存続している新聞メディアの責任は極めて大きい。
これらを背景に民衆は「自警団」を結成し、やられる前にやれということで、次々に朝鮮人を襲撃し殺していく。まさしく虐殺行為が行われたのだ。その数は定かではないが、韓国政府は約6000人とも言うし、日本国内では200数十人から多くても1000人前後であろうとの主張で、大きな食い違いがある。これには当時の混乱した状況の中で朝鮮人と間違えられて日本人が虐殺されたケースもあるのだ。そういった意味では正確な数は把握しづらいのというのが実態なんだろう。
虐殺された人数はともかく、虐殺事件そのものがあったことは紛れもない事実であり、当時の 官憲が逆に流言飛語に惑わされないように、などという注意喚起なども出さざるを得ない状況となった。つまり日本の民衆のこのような行為がさらに極まって、当時の政府に向いてくる可能性もあり、また同時に社会主義者に同調する形で新たな困難を巻き起こす可能性もあったのだ。この点については警察自身が社会主義者を虐殺している。有名なケースは、大杉栄・野間ちえたちだ。大杉栄は警察に襲われて斬首されている。まさしく虐殺そのものだ。
このような状況の中で少しずつ日にちが経つとともに、民衆も落ち着きを取り戻し再建の道へと歩むことになる
そして日本は戦争・敗戦を経て戦後の民主主義社会へと大転換をなすことになった。戦後 社会の中で日本は高度経済成長を遂げながら様々な過去の問題といろんな形での向き合い方があるとはいえ、敗戦日には集会を開き、関東大震災の日にも追悼の集会を開くようになってきた。そして政府が触れたくない「朝鮮人大虐殺」については、政府主催ではなく民間団体が主催して追悼集会を行ってきた。歴代の東京都知事はこの集会にも追悼文を寄せていた。
ところが小池知事が誕生して突然、その追悼文が取りやめとなった。小池知事の言い分は全体の追悼集会に含まれるということで、また朝鮮人の問題については研究されていることだとして、具体的な本人の考えを明かさないという卑劣な態度で今まで来ていることになる。毎年このことはニュースで取り上げられている。
今回この問題が東京都の広報などにどのように示されているのかを見るために、今年に入ってからのネット上に公開されている東京都広報を読んでみた。もちろん震災関係に関する広報だ。全部読んでみたが、流言飛語による朝鮮人虐殺に関する問題はただの一言も触れられていなかった。
これらとは別に、以前に東京都がまとめた関東大震災に関する報告書には、民衆の行動についての項目があり、その部分を全部読んでみた。こちらには警官による朝鮮人殺害の記録、民衆による記録が一覧表という形で載っていた。これらは当時警察の上層部に報告されたものだけが載せられているものだ。事件の場所・時間・人数といったものがあったが、この中には上記にも記したように、間違われて日本人が殺された例も掲載されている。それにしても正確に数えてはいないが、殺された朝鮮人の数はずいぶん少ない。民衆があちこちで自警団を結成し先に朝鮮人を襲撃し、鍬や鉈・農機具・包丁などなどを使ってあちこちで虐殺をしている。どう考えても報告書の記録はあまりにも少ないのだ。
小池都知事にしてみれば、どれが正確な記録なのかわからないという言い分で、言い逃れができたと思っている。同じく朝鮮人虐殺が行われた東京の隣接県では、一部を除いて県知事が いずれも同じ言い方で記録がないので分からないとしている。調べる気もないのだ。しかし民間人の一部が記録を残しているケースがあった。ある人物が直接見た虐殺光景を絵巻物として描き残しているものが3年ほど前に発見されたのだ。またかなり古くはなるが一部の民間人が虐殺場面を目撃している証言の言葉もある。
つまり関東大震災というのは単なる建物や人的被害だけではなく、背景に差別意識を共有していた日本人集団が朝鮮人を集団で虐殺した、という行動がついてきたわけだ。そのことを無視して関東大震災を語ることはできないはずだ。ましてや今、日本国民の中には労働力としての外国人の流入を不快に思っているケースが極めて多い。日本が単一民族国家だなどと発言して、大恥をかいた大臣がいたが、実のところ日本人の大半も同じようなもんだろうと思う。観光旅行にはたくさん来てほしい。しかし日本に移住して住み着いて働くというのはごめんだ。こうした考えが在住外国人に対するヘイトクライムを産むことになる。まして これが平常な日々の中でも起っているのに、まして極めて大きな災禍のもとであればそれこそ自警団を作れ、なんてことにもなりかねない。
各県の政治を預かっているのは都道府県民から選挙で託された知事だ。そのトップの座にいる知事が外国人排斥の思想を持っているならば、簡単に民衆は熱狂してそれこそ本当に同調して行動するだろう。場合によっては殺戮行為だって十分に考え得る。そういった意味では都道府県単位ならば知事、国政単位ならば総理大臣らの考え方というのは、極めて大きな責任がかかっていることになる。
関東大震災で虐殺された朝鮮人の慰霊集会に、追悼文を出さないことそのものが、差別を助長し、外国人排斥を賛同することになる。こうしたものがトップにいるような社会が、本当に民主主義社会と言っていいのかどうか。ことは小さなことかもしれないが、極めて重要な意味を持っていると思う。
まして東京都は世界屈指の大都会であり、世界からも民主主義の象徴であるべき代表的な都市だと思われているし、また東京都も政治家や民衆が自負するところであるだろうと思う。にもかかわらずほんの小さな問題に見えるようなことではあるものの、こうした問題が ことと次第によっては、国民全体にも大きな影響を及ぼしかねない。すなわち ヘイトを拡散する役割を果たすかもしれないということを、肝に銘じておかなければならない。
(画像はTVニュース、NHK、朝日新聞 等より)