切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

奈良県立橿原考古学研究所 附属博物館 特別展示 『出雲の至宝』 2022.6.17

2022-06-18 23:30:43 | 日記
 

  表題の特別展示会が行われており、19日で終了となるので急いで行ってきた。私の住む宇治市からは近鉄京都線、続いて橿原線を直通で結ぶ急行で50数分だ。終点の橿原神宮前駅の一駅手前「畝傍御陵前駅」で下車する。
 通勤形電車に1時間も乗っているというのは思いのほか疲れるものだ。新幹線のようにほとんど揺れずリクライニングシートで乗っているのとは訳が違う。途中駅から多くの人が乗り、また多くの人が降りていく。大昔の電車通勤の頃を思い出した。

 駅前に出ると小さなロータリーがあり、情報では徒歩5分とあったが、店ひとつない状態。昼前だったので何か食べようと思ったがとにかく何もない。後で分かったことだが駅の反対側に飲食店が並んでいたようだ。
 ともかくぐるっと歩きまわって博物館への入り口が見つかった。空腹のまま入場する。場所がやや辺鄙なせいか、来てる人は少ない。館内もどちらかといえばかなり閑散としている状態だった。
 しかし私にとってみれば大事なことは、テーマである出雲の旧石器時代から新石器時代、そして縄文・弥生時代の発掘物。石器時代のものは教科書やその他写真などでよく見ており、この場所で本物を見てもこれが1万年前のものだ、3000年前のものだ等々なるほどと思いながら館内を巡る。

 
 
 そして銅鐸の展示品が見えてきた時に、さすがに本物を見るのは初めてなのでオッと思った。もちろんこれらも写真等では見ているが、レプリカではなく発掘された本物を見るのはとにかく初めてで、ちょっとした感動がある。小さなものから比較的大きなものまで色々とあった。

 出雲地方、今現在の島根県あたりとなる。古事記や日本書紀にも出雲の国として登場しており、中でも「出雲国風土記 」は全巻揃っていて極めて貴重な古文書となる。記紀においては天上界の神々による出雲地方への圧力によって、結果的に出雲国が一部の土地を差し出さざるを得なくなり、出雲大社を建造したといういわゆる「国譲りの神話」というのがある。これらはあくまでも神話として語られていることだ。
 しかし、当時出雲地方にかなり強力な勢力が誕生し、大和地方にまでその名が知られていて、両者の間に戦いが起こったということが、出雲国風土記に記されている。これらは大和王権がどのような思いでいたのか。おそらく神話的な内容の話や史実に即した話などあって、どのような内容の話が真実なのかということが極めて興味深いところだ。

  
 
 展示会場に入る時、受付で聞くと展示品の撮影は個人で鑑賞する限りは可能だと言う。但し展示物の中には撮影不可のマークがついているものがあり、それは撮影できない。その違いがどこにあるのかはわからなかった。ずらりと並べられた発掘品の中には、国宝もあれば国の重要文化財に指定されているものもある。特に紀元1~2世紀から古墳時代の物にかなり興味深いものが多く見られた。古墳に埋められた土器類はごく普通の大きさのものから、高さ1mを優に超す巨大なものまで様々な種類がある。巨大なものは埋められていたというよりも、古墳が完成し最後に古墳そのものを取り囲むように並べられたもののひとつだろうと思われる。
 また副葬品の中には勾玉や剣、装飾品等々当時の技術を知ることができるような物も数多く見られた。

 5世紀頃になると漢字・仏教といったものが入ってくる。その少し後の時代から木簡が多数見つかるようになる。中には今でも墨書が明瞭に判別できる文字が書かれたものが結構あった。すでに中国において漢字そのものはほぼ完成しており、今現在の漢字と基本的には同じものとなる。さらに漢字が刀剣に彫られたものがあるということで、それを期待したがどうも展示品の中にはなかったようだ。
 大概このような展示会というのは、仏教伝来以降の時代をテーマにしたものが大半だが、紀元前から紀元後1~3世紀あたりを取り上げているというのはあまりないようだ。そういった意味では古墳の出土品や副葬品というのは、非常に見ていて興味深いものがある。一般的にはついつい土偶に目が行きがちだが、それ以上に目に付くのが当寺の日常生活用具、あるいは農耕用具といったものだ。これらは弥生時代の発掘品の中にも色々見られ、時代を追って合理的な形に仕上げられていくのがよく分かってなかなか面白いと思った。

  

 展示のテーマは「出雲」となっていたが、この地域に限定するものはさほど数としては少なめであったという感じだ。後はもともとこの博物館が所有している、特に奈良県を中心とした各古墳の発掘物が極めて多数に上り、展示会のテーマとしてはこの辺りもう少し出雲の国のものがもう少しあればなと感じさせられた。

 それにしても今から2000年以上前の、人々の生活やお互いへの思いといったものが垣間見られたようで、そういった意味ではまだ文字が無い時代であったとしても、日本語の原型になるようなものがあって、言葉として交わされお互いの意思疎通の中でムラとしての集団生活が営まれていたものがあったんだろうと、やや感慨深いものがあった。

 

 図録は出雲のものと、この博物館のものの2冊が、ともに安価だったので購入。


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