切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紫陽花の季節  藤森神社 京都市伏見区   2022.6.9

2022-06-09 23:54:39 | 撮影
  

『藤森神社
 平安遷都以前に建立された古社で、素盞鳴命、神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神として崇敬されている。
 「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年五月五日に行われる藤森祭で曲乗りのの妙技で有名な「駈馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。 また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
 本殿は正徳二年(一七一二)に中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物といわれる。また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の一つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
 本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、二つとない良い水として名づけられたという名水「不二の水」は有名である。六月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。
 京都市』  (駒札より)

    

 6月に入りお寺や神社の撮影においては、紫陽花の季節となった。中旬ごろが一番の見頃となるが、今日は真っ青な空に真っ白な雲が入り混じり、絶好の好天ということで藤森神社へ撮影に行った。

 確か4~5年前に同じくこの神社の紫陽花の撮影に来ている。実はその時に初めて境内に「あじさい園」がオープンし、撮影に行ったことを覚えている。他の機会にもここには何度か訪れていて撮影しているが、紫陽花の撮影については2回目となる。

  

 紫陽花はどこのお寺や神社にもあるというものではなく、京都でも紫陽花の名所ということで調べると、大概5~6件しかないようだ。かなり規模の小さいものも含めてようやくベスト10といったところだ。そういった意味では梅や桜、あるいはツツジなどと違ってかなり貴重ということになる。それだけに訪れる人は多い。
 実際ここ藤森神社にも平日にもかかわらず、けっこう人が来ていた。高齢者ならばやってくるのもわかるが、中年の女性の場合が多いというのはおそらく、旦那さんが仕事、そしてママ友たちが一緒に訪れるというパターンだろう。圧倒的に女性が多かった。若い人でもほとんどが女性だった。私のように高齢者が一人で、大きなカメラを抱えて接写しているなどというのはごく少数派だ。それでも私は比較的素早く撮影していくが、セミプロのような人は撮影対象の花をしっかり探し切って、どの角度からどのように撮るのか、長い時間かけて定めながらポーズを決めていく。
 そのような男性というのはおそらく、コンテストなどにも出品するんだろうと思う。私の友人の中にもカメラサークルに入って、モデル撮影を行い、コンテストに応募している人がいる。無論使用するカメラは最新のものを、レンズも含めて購入している。私の使っているカメラは、ニコンにしろキヤノンにしろフルサイズ機ではありながらも、中古のものをオークションで安く手に入れたものばかりだ。コンテストに応募するなどと言う大胆なことは考えていないので、現状で十分だと思っている。

 紫陽花の撮影はなかなか魅力的だと言える。色の種類も多く花の咲き具合もまちまちだし、大きさも大小色々あって更にそれらが重なっていると、とても見栄えがする。
 これだけ見栄えがするような花ならば、きっと古代から様々な場面で和歌に歌われたり襖絵に描かれたりしてきたんだろうと思いきや、そうでもないようだ。

     

 紫陽花は和歌の世界においては、奈良時代の「万葉集」に初めて登場する。約4500首あると言う万葉集だが、紫陽花を歌ったのはなんとわずか2首のみ。 大伴家持と額田王だ。
 当時はまだ中国を通して文字が入ってきて間もない頃であり、いわば漢字のみで表現されていた。いわゆる「万葉仮名」と呼ばれるもので、主として表音文字の扱いとなる。万葉集も全てこの万葉仮名で記されており、ずっと後になってカタカナやひらかなが作られてから初めて、漢字かな交じり文として表現されることになる。
 紫陽花も元々はこのような漢字ではなかった。中国においても全く別の文字が当てられていて、少し後世になってから中国の詩人がこの漢字を当てはめ、それが日本でも使用されるようになったということらしい。ただ本来、紫陽花の花は今では様々な色があるとはいうものの、青色が主であり紫色というのは元々はなかったようだ。その意味ではこの文字を当てはめたというのは、アジサイではなく他の花のことだったのではないかとも考えられている。あくまでも中国での話だが、しかし中国には紫色を表すアジサイがあったとも思われる。そこから日本独自のアジサイは、中国のものとは違ったのではないかと考えられている。したがって本来日本のアジサイに対しては、この漢字は当てはめ間違いであったとも考えられるのではないか。しかし歴史的にかなり早期に、この文字が定着してしまって今に至っているので、このような文字を当てはめて紫陽花とすることになったというのが歴史的な流れなんだろう。

  

 京都で紫陽花の名所といえば、この藤森神社と私が居住する宇治市にある三室戸寺が有名だ。三室戸寺は紫陽花が約2万株と言うから、それはもう圧倒的な迫力で迫ってくる。当然観賞にやってくる人々も多く、数年前には車の大渋滞、境内の大渋滞などなどでとんでもないことになってしまった。今年は三室戸寺についてはどうしようか、まだ結論が出ていない。

   
コメント
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