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『良正院の由来
知恩院の塔頭。境内には大正十五年慈善事業として設立された大照学園(障害者施設)がある。
本堂、表門は昭和六十一年国指定重要文化財に指定。
非公開文化財。岡山藩主、池田忠雄の母、良正院(徳川家康の二女督姫、池田輝政夫人)を弔う為、寛永八年(一六三一)に建立。
本堂の廊下はうぐいす張りで障壁画は狩野山楽の実の息子・三益(伊織)により描かれた。
本堂「竹の間」は鳥取藩士が本圀寺にて藩主側近を襲撃した因幡二十二士の一人、奥田萬次郎氏が自刃したとされる。
門前の「戦友」の歌碑は、当地が作詞者真下飛泉氏の終焉の地に近く、氏の教え子一八二四人が昭和二年(一九二七) 建立した。
文字は「肉弾」等の著者桜井忠温氏である。終戦後歌詞が軍国調であるとして進駐軍(米軍)より破壊を命じられたが、当時の住職、細井照道の弁護により破壊を免れ、現在に至る。』 (説明板より)
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知恩院塔頭寺院の一つ。場所も知恩院三門のすぐ前にある。江戸時代の初期に徳川家康の娘である督姫の菩提を弔うために建立された。その後今現在に至る。
従って建物などは建立以降三百数十年経っており、2年ほど前から初めての解体修理が行われることになった。そのことはネットで知っていたが、今回訪れた時にはやはりまだ工事の真っ最中ということで、本堂の方は工事用シートがかけられてほとんど見ることはできなかった。
門前には珍しく石柱に本堂、表門、重要文化財と彫られて立てられていた。やはり文化財指定をされているということは、そのお寺にとってみれば一つの誇りでもある。普段は非公開寺院であるということだが、本堂内には狩野派による障壁画がある。公開時には建物とともに大きなアピールとなるだろう。
こういうわけで重要文化財の表門は、まだ工事は行われておらず、しっかりと撮影ができた。また境内には工事用車両などがあって分からなかったが、鎮守堂があり京都府の登録指定文化財になっている。
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さらに境内には1968年に、主として知的障害者のための通所授産施設が開所され、京都では初の認可施設となる。今でこそ各市町村にこのような授産施設が設けられているが、いわば浄土宗の基本的な教えに従って、誰もが救われるような世の中であるためにとの使命感も合わせて、積極的な活動になったものだと言える。
本堂の工事はおそらくあと数年かかるだろう。私自身がまだ無事な体であれば是非とも完成後には訪れてみたいものだと思っている。
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