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妙法院は東大路七条の角にある。すぐ近くに京都女子大学、京都国立博物館、三十三間堂など様々な施設があり、観光客もかなり多い。
いわゆる門跡寺院であり、特に京都における天台宗の三門跡寺院と言われる。あとの二院は青連院及び三千院となる。要はそれだけ格式の高い寺院だということとなる。
創建については諸説あり、確定したものはない。妙法院の記録によれば天台宗の開祖である最澄が開いた比叡山の小さなお寺が元になっていると言う。あるいは平安時代に創建されたとの説もあって、この辺りは不明になっている。
妙法院は年中開門されていて自由に入ることができる。と言ってもそれは境内のみということになる。堂内入場は特別拝観の公開時のみであり、毎年必ずその時期が設けられるので堂内拝観はそちらがいいだろう。
実は妙法院には既に何度も来ているが、ブログに取り上げるのは今回が初めてだ。しかし山門から入ってみると、なんと大きな建物が工事用の安全シートで全体が覆われている。実はこれこそが妙法院の大きな見所である、国宝の庫裏だ。その隣に玄関があり、これは国の重要文化財に指定されている。玄関の方は工事の対象外で直接見ることができる。庫裏の方の工事は確か2029年までかかると聞いた。いわば大修復工事だ。
庫裏というのは今で言う台所に該当するものだが、妙法院庫裏は実に壮大な造りであり、三層構造の屋根を用い、桃山時代の典型的な様式を継承している。豊臣秀吉によって建てられたと言う。一見するとやや小型の城の天守閣といった雰囲気だ。
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妙法院にはもう一つの国宝があり、「ポルトガル国印度副王信書」と言う。これは豊臣秀吉が天下統一を達成した時に送られた書状であり、秀吉の天下統一を祝す内容と、キリシタンの追放を緩和するように願い出た書状として送られたものだ。普段は妙法院のすぐ向かい側にある京都国立博物館に寄託されている。本物を拝見することは事実上不可能。博物館では時折このレプリカが公開されることがあるが、本物は一般公開することによって劣化することがあり、そういった事情から公開されることは今後もないだろうと思われる。
境内は南北に細長く全体が非常によく整備されており、やはり門跡寺院としての風格を十分に感じさせる。山門も見事な造りであり、境内の植栽もじっくりと楽しむことができる。そして本尊は境内の端にポツンと建つ小さな本堂内に安置されている。
これが「木造普賢菩薩騎象像」であり、国の重要文化財に指定されている。しかもなんとこの本堂は前面がガラス張りで、内部に安置された本尊をごく普通に拝見することができるのだ。無論重要文化財ということで、監視カメラや警報機など最新の機器によって守られてはいるものの、写真撮影も普通に可能なのだ。本来なら寺の本尊というのは、かなり大きな本堂の建物の中央の奥に安置されているが、妙法院では全く様子が違う。誰もいないからと言って不遜な姿勢で臨むのではなく、しっかり拝観して拝むのも大切な心がけだと言える。私もしっかり拝んで撮影させていただいた。
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妙法院には他にも東京国立博物館に寄託されている重要文化財の仏像があり、また同様に重文の古文書類が多数保管されている。さらには東大路通を挟んだ斜め向かいにある三十三間堂は、境内外塔頭となる。ある意味、三十三間堂の方が有名になってしまったのかもしれないが、あくまでも妙法院が大元となる。
つい先日まで京都国立博物館で、「天台宗のすべて」と言う展示会が催されていた。無論私自身も見てきたが、天台宗の祖である最澄の密教を学ぶ姿勢というものの凄さ、そして彼の弟子たちがさらに何年もかけて、中国の奥地長安へ達し、密教の真髄を学び数多くの経典を持ち帰ったという。その執念には恐れ入るほどのものを感じる。昔の人々というのは必要があれば、命をかけてやりきるという大変な心意気があったものだと、つくづく思わされた。
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なお妙法院周辺には、天台宗に関わる寺院が並ぶ。京都大仏で有名な方広寺は天台宗のお寺であり、豊臣秀吉によって開かれた。またすぐ隣の豊国神社も豊臣秀吉によるものだ。そういった意味ではこの近辺の天台宗の影響力というのはかなり大きなものだと言える。妙法院を訪れる機会があるならば、塔頭寺院である三十三間堂、さらに方広寺。そして豊国神社にも是非寄るべきだろう。ちなみに豊国神社の唐門は国宝に指定されている。見応え十分。