正一代豊崎大明神は、伏見区の大手筋商店街から少し南に入った路地の奥にある。目印はその近くに、伏見稲荷大社と同様の赤い鳥居が20基ほど並んでいる一種のオブジェのようなものがあり、そのすぐ近くだ。
この神社についての情報は全くと言っていいほどなく何も分からない。現地に行ってみると、小さな本殿があり、狐の置物が一対になって鎮座しており、稲荷社であることは間違いないだろう。そういった意味では総本社は伏見稲荷大社ということになるはずだ。
本殿にぶら下げられていた真新しい一対の提灯には「豊崎大明神」「國吉大明神」とあった。大明神というのは一種の尊称になるが、豊崎及び國𠮷については何を表しているのかはわからなかった。おそらくこの地においてかつて何らかの功を成した人物の名前で、ここに祀られたものではないかとも考えられる。
しかし神社名の「正一代」というのが何を表しているのかが全く分からない。神社には位というものがあって、高い位の神社に与えられるのが「正一位」というものだ。しかしここでは「正一代」となっている。あれこれ調べたが、神社の呼称、あるいは位についてこのようなものは全く存在しない。何かの事情があって、正一位とすべきところを間違えてしまったのか、あるいはこの地域に何らかの特別な事情があって、このような名称が付いたのか、この辺りは全く不明でどうしようもない。
これが仮に「正一位」だとすれば、稲荷社としてそれを名乗ることが理解できる。本来稲荷社以外の神社であっても、この位というのはそうそう簡単に名乗れるものではない。ところが稲荷社に関しては、かつて後鳥羽天皇が本来、正一位を名乗ることが認められていた伏見稲荷大社だけではなく、全国各地にある分社に対しても名乗っても良いのではないか、という意味のことを口にしたようだ。その結果、各地の稲荷社が正一位稲荷神社などと、あちこちで名乗り始め、いわば稲荷社を表す呼称の一部となってしまったらしい。
まあいろいろとわからないことだらけの神社だが、大手筋商店街に行くならば寄ってみてもいいのではないか。最寄り駅は京阪本線伏見桃山駅となる。近鉄の京都線桃山御陵駅前でも同じだ。
参考までに以下のような張り紙があった。直接当神社との関わりについては不明。
『平野町町名の由来
賤ヶ岳合戦七本鎗の人平野権平長泰(ひらのごんぺいながやす)が秀吉伏見築城に際して賜った屋敷地が町名のもとです。
この稲荷社が屋敷内社の名残りなのか否かはわかりません。
平野長泰はのち徳川家康に仕え、その家は 代々奈良田原本の領主として、七本槍のうちただ一人幕末まで家名を残しました。
平野町の北は大手筋、 東は伯耆町(ほうきまち) 通り、南は油掛町、西は納屋町と接しています。平野町の中を南北に大手筋と油かけを結ぶ小路(圖子)が通っています。
2019年7月 木村周太郎』 (境内掲示より)