きらくなたてものや2

楽しむ、楽しい、いえづくり、まちづくり

太陽の熱を使おう

2013年09月15日 | 家づくりの理念2
先日13日に、
今年度の木の建築塾
「在るものを生かす」
始まりました。

9月度の講師は
工学院大学の後藤治さん。

たくさんの文化財や古民家を
実際に見て触って、
そのうえで醸成された
後藤さんの考えと言葉は、
どれもたいへん興味深いものでした。

その中でも一点
たいへん考えさせられた話は、

今回の塾のテーマと少し離れますが、
アフリカの森林が
危機に追い込まれている理由。

もちろん国内外の建築需要も
あるのでしょうが、

伐採の主な目的は、
現地の人たちが使う燃料調達。

暖を採るため、
煮炊きをするため、ですね。

私は何となく罪悪感を感じながら
これまで化石燃料を使ってきておりましたが、

たくさんの人口を抱える
現代の地球上で暮らすうえで、

もしかしたら
未来への過渡期の「代用品」として
必要なことだったのかもしれません。

一方で私たちの国では、
バイオマス資源が使われずに眠っています。

それはそれで
たいへんもったいないことで、

薪ストーブやペレットストーブなど、
バイオマス資源の活用を促す装置を
積極的に提案し続けていますが、

同時に需要と供給のバランスを
意識する必要性を強く感じました。

そしてもう一つは、
太陽熱の有効利用を
さらに考えていきたいと思いました。

その視点で、
今日開業した「食堂ぺいす」の玄関土間を
一度ぜひご覧になってみてください。

この土間は、
昔ながらの達磨窯を使い、
薪で焼いた敷瓦で
仕上げられているのですが、

その下には
床暖房用のお湯の管が
埋められています。

そのお湯を作る熱源は、太陽熱。

太陽の熱を土(瓦)に蓄え、
そこから発する輻射熱で
暖を取ろうというもくろみです。

例えばそのような仕組みで、
太陽熱利用を提案していこうと思います。

まだまだ暑い時期なので、
その恩恵に預かることができるのは
あと数ヵ月後ですが、

後藤さんのお話をお聞きして、
一刻も早く試運転したくなりました(笑)。



愛し続ける物語を描けるか

2013年05月06日 | 家づくりの理念2
すみません。
恋愛話や夫婦論ではありません(笑)。

先日5月1日、
鎌倉長谷の一花屋さんで行われた、
~あるものいかす電6生活楽校・ニッポン再発見ツアー~
「『できた!電気代600円生活』 人力スライドトーク」
という催しに参加してきました。

申し訳ないことに仕事の都合で
大幅に遅れてまいりましたので、

話の流れに乗ろうと耳を立てていた矢先、
聴衆の間で回覧されていた幾つかの雑誌が
私の手元に回ってきました。

なにぶん話を聞くのが途中からで
どのような話の文脈で
それが回ってきたのかは
よく分からなかったのですが、

とにかく私は、
その雑誌の記事に
釘づけになりました。

その紙面で私が目にしたのは、

私たちが普段よく使う家電製品などの
廃棄物でまみれた南国のスラム街。

かつて日本が
富国強兵策のもと
各地で繰り広げられたであろう
厳しい労働条件のもと
工場で働く隣国の工員たち。

カカオ農園でこき使われる
南国の子どもたち。

私達がのうのうと
暮らしている向こうでは、

相も変わらず
社会の様々なひずみが
生じているということに、
頭が揺さぶられた思いでした。

今の世の中ってなんだろ、

「グローバル」という名のもとに

世界中の甘美なものを、世界中で奪い合い、
世界中のいやなものを、世界中で押し付け合い、

弱肉強食が生きものの掟とはいえ、
同じ人間として、どうなんだろう?

この惨状をすぐには
解決できないかもしれませんが、

私たちは目の前にあるものが
誰が作ってどこからやってきて、

そしてそれを使い終わったら、
これはどこへ行くんだろう?という

ものが辿る物語に対して
どの分野においても
強く関心を持つ必要を感じました。

そしてモノに溢れたこの時代、
私たちに本当に必要なものは何なのか、

これから私たちが
手に入れようとするモノに対して
長い間愛し続ける物語を
描くことがができるだろうか、

そのことを
より深く自問する意識が
必要のように思います。

もちろん私が携わる
住まいの世界も、

現代の住まいづくりは、

作る時も壊す時も、
下地材からも仕上材からも、

土に還らない、
あるいは還すことのできない
たくさんの廃棄物が
出てきます。

廃棄物への
関心を持ちつつ、

愛に溢れた物語を、
提案し続けて
いきたいと思います。