今日は、起業塾で知り合った人に会う予定だったけど、先方が午後に変えてほしいと言って来たので、昨日誘ってくれた生活団のお友達の家に午前だけ行く事にした。
Eさんも来る予定で、うちは時間がないので早めに行った。
さあやは着くなり、Nさんの子が走ってるのを真似してすぐに走った。2階にもついて行くし、すごい慣れよう。毎週会ってる子だと、慣れるのこんなに早いのか。
すっごいうれしそうだったから、滞在時間短いけど、連れて行って良かった。
子どもがすぐ馴染んだから、母は母同士でお喋り。
この前の父母会で、私が生活団は気に入ってるけど、平日持て余すから、近所の子ども園もまだ完全に払拭できた訳じゃない。先日、近所の人に、小学校入学前は地域の園行かせた方がと2人から言われると、ちょっとグラッと来るわな。ブレるの恥ずかしいけど。
そんな話を振ってくれたのをきっかけに、前に子ども園も入れようか(ダブルスクールにしようか)Nさんに相談した時、生活団以外の日に子ども園に入れる事を「もったいない」って表現してた。それがどういう意味かずっと気になってて、今回、どういう意味で言ったのか聞いてみた。
私は、毎日バタバタして、お励みをするのが蔑ろになる、忙しくなって気忙しくなる、という意味で言ってるのかと思ってたけど...。
Nさんが言うには、
子どもは思っている事をすぐに言うのではなく、時間が経ってから言う。
謝らないといけなかったこと、
消化しきれなかったこと、
言いにくいこと、
うれしかったことも、
すぐには表現できず、時間が経ってから言う事が多い。
毎日あれこれしてたら、日々の事や刺激で、気持ちが上書きされてしまう。
表現しようとしてた事が消えてってしまう。
子どもが言おうとした大事な言葉も出て来なくなってしまう。
そういう意味で、ダブルスクールは、もったいないということだったみたい。
うーん、深い。
そして、子どもの事をよく考えている。
お励みができないという表面上の事だけじゃなくて、子どもの奥にある気持ちまで考えてるんだなぁって思った。
大人も、日々色々起こると、感情の波にのまれて、アウトプットできなくなる。
もやもやは表現しなくても、たまっていく。
うれしいことは、忘れて行く。
子どもの言葉を待つ時間を持つ。
子どもが自分の気持ちや考えを出す(アウトプットする)のを待つゆとり・余裕を持つ。
生活に余白の美を持つってこと。
そこを大切にしてるということ。
生活の中にゆとりがある事、ゆとりを持った生活が大事という事。
最初、ゆとりのある生活、や余白のある生活と題を書こうとした。
でも、ゆとりあるって経済的、気持ち的にも取れる。
また、余白のある生活と言うと、ある時はすごく予定入れたとしても、また別の時には全く予定入れずに過ごすとも取れる。ま、ハレの日が多いと、意識的にケの日(何でもない日)を持つ事は大切。
でも、そんなメリハリつけすぎるとケの日、めっちゃ暇、という事にもなりかねない。
私が言いたかったのは、生活のリズムにゆとりがある事。それが大事じゃないかなと思った。
日々刺激がある事ばかりがいい事とは限らない。
それは、私も最近気付きを得たところ。
それを子どもの頃から大切にしようとしてるから、すごい!!
子どもと親が自分自身を見失わないように、考えてる。
自分軸を育てる基盤を作ってる。
これは、ここ生活団というところは、本当他とは違う。
これは、本当の教育をする場だ。
そして、ここで出会う人達は、お互い本当いい影響を受ける。
Eさんも来る予定で、うちは時間がないので早めに行った。
さあやは着くなり、Nさんの子が走ってるのを真似してすぐに走った。2階にもついて行くし、すごい慣れよう。毎週会ってる子だと、慣れるのこんなに早いのか。
すっごいうれしそうだったから、滞在時間短いけど、連れて行って良かった。
子どもがすぐ馴染んだから、母は母同士でお喋り。
この前の父母会で、私が生活団は気に入ってるけど、平日持て余すから、近所の子ども園もまだ完全に払拭できた訳じゃない。先日、近所の人に、小学校入学前は地域の園行かせた方がと2人から言われると、ちょっとグラッと来るわな。ブレるの恥ずかしいけど。
そんな話を振ってくれたのをきっかけに、前に子ども園も入れようか(ダブルスクールにしようか)Nさんに相談した時、生活団以外の日に子ども園に入れる事を「もったいない」って表現してた。それがどういう意味かずっと気になってて、今回、どういう意味で言ったのか聞いてみた。
私は、毎日バタバタして、お励みをするのが蔑ろになる、忙しくなって気忙しくなる、という意味で言ってるのかと思ってたけど...。
Nさんが言うには、
子どもは思っている事をすぐに言うのではなく、時間が経ってから言う。
謝らないといけなかったこと、
消化しきれなかったこと、
言いにくいこと、
うれしかったことも、
すぐには表現できず、時間が経ってから言う事が多い。
毎日あれこれしてたら、日々の事や刺激で、気持ちが上書きされてしまう。
表現しようとしてた事が消えてってしまう。
子どもが言おうとした大事な言葉も出て来なくなってしまう。
そういう意味で、ダブルスクールは、もったいないということだったみたい。
うーん、深い。
そして、子どもの事をよく考えている。
お励みができないという表面上の事だけじゃなくて、子どもの奥にある気持ちまで考えてるんだなぁって思った。
大人も、日々色々起こると、感情の波にのまれて、アウトプットできなくなる。
もやもやは表現しなくても、たまっていく。
うれしいことは、忘れて行く。
子どもの言葉を待つ時間を持つ。
子どもが自分の気持ちや考えを出す(アウトプットする)のを待つゆとり・余裕を持つ。
生活に余白の美を持つってこと。
そこを大切にしてるということ。
生活の中にゆとりがある事、ゆとりを持った生活が大事という事。
最初、ゆとりのある生活、や余白のある生活と題を書こうとした。
でも、ゆとりあるって経済的、気持ち的にも取れる。
また、余白のある生活と言うと、ある時はすごく予定入れたとしても、また別の時には全く予定入れずに過ごすとも取れる。ま、ハレの日が多いと、意識的にケの日(何でもない日)を持つ事は大切。
でも、そんなメリハリつけすぎるとケの日、めっちゃ暇、という事にもなりかねない。
私が言いたかったのは、生活のリズムにゆとりがある事。それが大事じゃないかなと思った。
日々刺激がある事ばかりがいい事とは限らない。
それは、私も最近気付きを得たところ。
それを子どもの頃から大切にしようとしてるから、すごい!!
子どもと親が自分自身を見失わないように、考えてる。
自分軸を育てる基盤を作ってる。
これは、ここ生活団というところは、本当他とは違う。
これは、本当の教育をする場だ。
そして、ここで出会う人達は、お互い本当いい影響を受ける。