今年の目標の1つは、祖先の軌跡を知る、です。
父方の祖父の叔父は、日本の黎明期の民間の飛行家でした。
祖父もその飛行機会社に勤め、飛行機に情熱を注いでいました。
子どもの時は、おじいちゃんの家に飛行機の模型があったり、とんぼのような写真があるけど、何かは聞いたことがなかったのです。
叔父や父たちは、飛行機会社のことを話をしてたけれど、女の子だし、飛行機には興味なく、武勇伝を話してるなくらいの感覚しかありませんでした。
最終的には、JALに吸収されたらしくて、昔は「その会社があったら、今ごろ海外旅行行くのも、行き放題だったのにー」とミーハーな事を言ってました。旦那さんの家系は医者をしてたけど、貧乏で、でもお金を残さなかったから、兄弟で仲違いとかなく仲が良かったと聞きました。元々何も持たずに生まれて来たし、みんな自分の人生は自分で切り開くっていう風にできてるのかもしれない。
おじいちゃんがなくなって、色んな飛行機の資料や今でいうビザみたいなのが出て来て、本当国にとっても貴重な資料というものが出て来ました。それは千葉にある博物館に寄付したそうです。
千葉に航空博物館があり、そこに祖先の軌跡も紹介されているらしく、一昨年旦那さんが、来年(2020年)は千葉の博物館を見に旅行に行こうと言ってくれていました。その時点でも、私はあんまり興味なかったのですが、その前年父が手術した事もあり、この歴史について少しでも知ってる父と一緒に博物館を見に行けるのは、今しかないなと思い、昨年は千葉に行こうとぼんやりと考えていました。
ところが、突然の新型コロナ感染拡大。
千葉に行く話は今でも保留です。
その代わり、長年父が持っていたけど、分厚くてそんなの子育て中に読めないと思っていた本を、今年は読みたいと思います。
「空気の階段を登れ」

ここには伊藤音次郎の手記を元に日本の民間飛行機の黎明期が描かれているそうです。
おじいちゃんの叔父の手記で、短い物は読んだことがあったのだけど、そこに「最近の若者は夢を持ってない」みたいなことが書かれてて、飛行機に情熱を捧げた祖先の軌跡を知りたいと思いました。
だって、その頃は飛行機の開発に手を出せるのは、華族とか財力がある人中心だったわけですよ、その時代に一民間人で飛行機を作りたい!って思ったって、すごい情熱じゃないですか。
どんな人生だったか見てみたくなったわけです。
親戚の話では、お金がなかったら、親戚に頼んで集めたりしてたそう。貸す方は迷惑もこうむったみたいだけど、「やりたい!」ってことに対してそこまで情熱を注ぐ人のパワーはすさまじいものがあるんだな。



清伯父のコメント:
最終的にJALに吸収されたのは、ちょっと違うかも、伊藤飛行機は定期航空路を持っていたが、この航空路を今のJALに譲渡したと思う。伊藤飛行機は終戦まで存在しています。工場は習志野(津田沼)にあり私はここで誕生しました。終戦前に工場は軍需工場として攻撃される恐れがあり長野県に移転しました。私も長野に転居してます。長野で終戦を迎え、飛行機工場は閉鎖し、飛行機に関連する資料等は焼却したとされていました。父が死後、無尾翼飛行機の設計図等が出てきました。これらの資料は我々が保管することが大変であり、日本航空協会に寄贈しました。
(FB投稿)
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